平成2359日目
1995/06/24
この日のできごと(何の日)
【ドジャース・野茂英雄投手】メジャー初完封
米大リーグ、ドジャースの野茂英雄投手(26)が24日、11試合目の先発となったジャイアンツ戦でついに初の完封勝利を挙げた。ド軍の本拠地ドジャースタジアムは応援の日系人らが目立ち、今季最高の5万3551人のファンが詰め掛け、野茂の快投に沸いた。
◇
野茂投手の初の完封勝利でドジャースは4連勝。ナ・リーグ西地区の首位に並んだ。野茂は1敗のあと5連勝、防御率2.30はリーグ3位となり、まさに中軸投手として期待される存在となった。 ジャイアンツに対し野茂は一、九回にルイスに安打2本を許しただけで、四球は3と制球もよかった。
味方打線は2本塁打を含む12安打で7点を奪い援護した。奪三振は三番ボンズからの2を含む13個。ここ3試合の三振合計は37となり、ドジャースでは1965年、名投手コーファクスがつくった38個に続く記録だった。 また、大リーグ5勝は日本人初の大リーガー、村上雅則氏(ジャイアンツ)の通算勝利数に並んだ。次回の登板は29日(日本時間30日)のロッキーズ戦となる。
◇
マウンド上で躍動する野茂の姿は、今やドジャースのエースの風格すら漂う。21歳のメキシコ人で野茂と一番仲のいいバルデスと争うように、ともに今季ナ・リーグタイ記録の5連勝。そのバルデスに「野茂は90パーセント、オールスターに行くよ」と言わせるほどこの日の投球は素晴らしかった。
一回、二死満塁でクレイトンを2−1と追い込んだ。観衆から三振を要求する拍手が起きると、野茂は、それにこたえるようにフォークを決め、三振に仕留めた。球場のファンと野茂がここから一体となって走り始めた。 4試合連続で8回までこぎつけながら、完投はなかなか遠かった。野茂の口からは「最後まで投げられてうれしい」と素直な言葉が出た。一回のピンチに「もし、あそこで先制されていたら逆のゲーム展開になっていたかもしれない。あそこを切り抜けてリズムが出た」と振り返った。
全米や日本からチームで1、2位を争うほど大量のファンレターが届く。それに毎日1時間近く、遠征帰りだと3日ぐらいかけて目を通し、返信用の手紙などに黙々とサインするのが日課になった。ファンを大切にする大リーガーとしての生活もすっかり板についた。 この初完封で球宴出場にまた一歩近づいたが「まだ決まっていないですから」と野茂は慎重。29日の次回先発が答えを出すことになるだろう。《共同通信》
昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。
情報量が少ない日は随時加筆中です。
引用記事は名前、住所など一部修正の上、抜粋してあります。
外国の方のお名前、地名などは現時点で一般的に通じるものに書き換えています。(例・ロシアのプーチン氏はかつてプチン氏と表記されていました)
古い記事の多くは「書き写し」のため、誤字脱字が多数あります。見つけ次第修正しています。
【国連・ガリ事務総長】台湾の国連復帰「不可能」
ガリ国連事務総長は24日、国連憲章調印50周年の記念式典出席のため訪問したサンフランシスコで記者会見し、台湾の国連復帰問題について、台湾は中国の一部であるとの立場を明らかにし、国家としての国連加盟は「不可能」と言明した。
台湾は国連復帰運送を本格化させ、国連加盟国や国連事務局にも支持を求めているが、ガリ事務総長が台湾の復帰の可能性を明確に否定したのは初めて。
事務総長は理由として、国連総会の決議が「台湾は中国の不可欠な一部であると認めている」と述べ、国連が独立国家を加盟資格とするため、現状では加盟できないとの立場を取った。
また、事務総長は台湾の国連復帰問題の解決の最善の方法は「中国政府と台湾当局の直接対話」と述べ、中台交渉の活発化を促した。
事務総長の指摘は、国連に加盟するには安全保障理事会の推薦決議が必要なことを踏まえ、中国が拒否権を握っていることから、台湾の復帰は中台交渉などを経て中国の台湾政策が変わらない限り、不可能との見方を裏付けたことになる。
台湾は中国との二重承認を受け入れ、1993年の国連総会から国連復帰南運動を本格化。93年は中南米など7カ国、94年は15カ国が台湾の国連復帰問題を検討する委員会の設置決議案を総会に提案したが、2回とも中国の反対で正式の議題とはならなかった。《共同通信》
【ラグビーW杯】南アフリカ、初の世界一
初めての大舞台で見事な優勝−。ラグビーの第3回ワールドカップ(W杯)最終日は24日、ヨハネスブルク(南アフリカ)で決勝が行われ、開催国の南アフリカが、1987年第1回大会以来の優勝を目指したニュージーランドをW杯史上初の延長戦の末に15−12で破り、初の世界チャンピオンに輝いた。南アフリカは、アパルトヘイト(人種隔離)政策の撤廃後初のW杯出場だった。《共同通信》
【Jリーグ・サントリーシリーズ】第19節
Jリーグ・サントリーシリーズ第19節(24日・等々力陸上競技場ほか=7試合)上位チームが総崩れ。首位の横浜マリノスは名古屋グランパスに2−3で敗れ、13勝6敗(勝ち点40)となったが、2位の鹿島アントラーズもヴェルディ川崎に1−3で敗れ、勝ち点差は4のまま。
ベルマーレ平塚はジュビロ磐田に1−4で完敗して4位に転落。サンフレッチェ広島に3−0で快勝したジェフ市原が勝ち点35で3位に浮上した。浦和レッズはセレッソ大阪に2−0で勝ち、横浜フリューゲルズは6−1で清水エスパルスに圧勝、最下位の柏レイソルは3−1でガンバ大阪を破った。《共同通信》
【銚子電鉄】列車同士が正面衝突
24日午前6時10分ごろ、千葉県銚子市愛宕町の銚子電鉄線の本銚子ー笠上黒生間で外川発銚子行き上り電車と仲ノ町発外川行き下り電車が正面衝突した。上り電車には4人、下り電車には1人乗客がいたが、下りの運転士(30)と出勤途中の同電鉄臨時職員(65)が全身を打つなどして重体。上りは運転士と市内の短大生が頭の骨を折るなど重傷、他の乗客3人も軽傷を負った。《共同通信》
【社会党・久保亘書記長】目標下回れば首相退陣
社会党の久保書記長は24日午前、鹿児島市内で記者会見し、最大の政策課題である景気対策について、平成7年度予算の公共事業の前倒し実施に加え、第一次補正予算案を参院選後に開かれる夏の臨時国会での成立を検討したいとの考えを表明した。
参院選後に村山政権が存続するための条件について①3与党がトータルで改選議席の過半数を確保する②社会党も首相与党にふさわしい成果を上げる−の2点が満たされることが必要と強調した。
その上で、3年前に獲得した22議席が社会党にとっての勝敗の「一つの目安」と述べ、「成果を上げられなかった場合、党首の責任は避けることができない」と指摘。目標を大幅に下回れば首相退陣もやむを得ないとの見解を示した。
ただ同時に久保氏は「政権与党を継続していくことの重要性」を強調。仮に村山首相が退陣しても「新3党合意」を基礎に、自社さきがけ政権の枠組みを維持したいとの考えを表明。
社会党が惨敗した場合でも、首相続投を求める声が自民党内に強いことに対して「大変、無礼な発言。(進退は)自ら決するのであって、自民党の考えによって選挙結果の判断をするのではない」と述べた。《共同通信》
【坂本弁護士一家失踪事件】オウム幹部「殺害して埋めた」
平成元年に起きた横浜市の坂本弁護士一家殺害事件で、オウム真理教を脱会した元幹部信者が捜査当局の事情聴取に対し「教団幹部らが一家を薬物で殺害し、遺体は南アルプスや富山、新潟の3カ所に別々に埋めた」などと供述していることが24日までに分かった。
同事件では、地下鉄サリン事件で起訴された教団「建設省大臣」早川紀代秀(45)、事実上の「法皇内庁長官」中川智正(32)の両被告が「教祖の麻原彰晃被告(40)の指示で拉致した」との供述を始めている。
警視庁など捜査当局は、殺害方法や遺体を埋めたとされる場所など慎重に供述の裏付けを進め、現在捜査中のリンチ殺人事件、松本サリン事件などの捜査終了を待って神奈川県警と合同で本格捜査に乗り出す方針。
供述によると、早川、中川両被告らは元年11月3日、「自治省大臣」新実智光被告(31)、刺殺された「科学技術省大臣」村井秀夫元幹部(36)、「自治省」所属端本悟容疑者(28)=地下鉄サリン事件の殺人容疑などで特別手配=を含め計6人で横浜市磯子区の坂本堤弁護士=失跡当時(33)=宅に押し掛けた。
早川被告らは坂本弁護士や妻都子さん=同(29)、長男竜彦ちゃん=同(1つ)=の一家3人に薬物を注射してその場で殺害。遺体をいったん静岡県富士宮市の教団総本部に運んだ後、富山、南アルプス、新潟に一人ずつ別々に埋めたという。
元幹部信者も拉致に関与したことをほのめかしており、失踪事件から間もなく脱会した。教団から800万円の送金があったことが判明。捜査当局は事件関与への口止め料だった可能性があるとみて調べている。
また一家を拉致した後の状況などについても早川被告らを追及し、事件の全容解明を進める。《共同通信》
◇
横浜市の坂本弁護士一家失跡事件で、オウム真理教「建設省大臣」早川紀代秀被告(45)や脱会した元信者らが、警視庁など捜査当局の調べに対し「教祖の麻原彰晃被告(40)の指示で、帰宅途中の坂本弁護士だけを拉致する計画だったが、同弁護士が家族で外出先から帰宅したため、家に押し入り、一家全員に薬物を注射した」などと供述していることが、24日までに分かった。捜査当局は、当初の計画がうまくいかなかったため、一家全員が事件に巻き込まれたとみて、早川被告らを調べている。
供述などによると、早川被告は「自治省大臣」新実智光(31)、事実上の「法皇内庁長官」中川智正(32)の両被告、刺殺された「科学技術省大臣」村井秀夫元幹部(36)ら教団幹部6人で平成元年11月3日、2台の車に分乗、横浜市磯子区の坂本堤弁護士=失跡当時(33)のアパート近くに乗り付けた。
事務所から帰宅する坂本弁護士だけを拉致する目的で、アパート付近で待機、坂本弁護士が帰宅するのを待ち伏せた。しかしこの日は休日で、坂本弁護士は家族で午後から外出した。同日夕、家族3人そろって帰宅したため、坂本弁護士だけを拉致する機会を失った。
3日深夜になって早川被告らは坂本弁護士宅に押し入る形で計画を決行。中川被告が坂本弁護士だけでなく、一緒にいた妻都子さん=同(29)=、長男竜彦ちゃん=同(1つ)=にも薬物を注射して殺害。遺体を車に乗せて静岡県富士宮市の教団総本部にいったん運んだ後、南アルプスや富山、新潟両県内に別々に埋めたという。
これまでの調べでは、坂本弁護士一家は事件当日の正午ごろ、磯子区のJR洋光台駅で下車。午後2時ごろから同5時ごろまで同駅近くで食事や買い物をしているのが目撃されている。
同6時ごろ近所の人が坂本弁護士宅を訪れた際には、都子さんが「主人は横になっている」と応対したという。《共同通信》