平成2358日目

平成7年6月23日(金)

1995/06/23

【平和の礎】除幕

太平洋戦争末期、国内唯一の地上戦となった沖縄戦の終結から50年。最後の激戦地、沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園で「慰霊の日」の23日、村山首相、土井衆院議長、草場最高裁長官ら三権の長が初めてそろって出席した県主催の「沖縄全戦没者追悼式」が営まれた。これに先立ち戦没者23万人余の名を刻んだ記念碑「平和の礎」の除幕式典があった。

村山首相の「慰霊の日」式典出席は、平成2年の海部首相に次ぎ現職首相としては2人目。モンデール駐日米大使ら関係国・地域の代表を含む約6000人が参列した追悼式では、村山首相や土井衆院議長らがあいさつした。

追悼式に先立ち午前十時から除幕が行われた「平和の礎」は、県が約15億円をかけ、沖縄戦などで犠牲になった一般住民と日本、米国、朝鮮半島、台湾出身の軍人・軍属ら約23万4000人の氏名を刻んだモニュメント。1184枚の石板(縦1.5メートル、横1.8メートル)を三つか五つ折りのびょうぶ状に組み立てた石碑114基が、広がる波のように配列されている。

「平和の礎」を一望する公園内の会場で、沖縄、台湾、韓国、米国の4人の小中学生が、広島と長崎の火を合わせた「平和の火」に点火。その後、地元糸満市の小学生234人が手分けして石碑の白い幕を取り払った。

学徒隊員として戦場体験を持つ大田昌秀知事は除幕に際し「20万余の犠牲者の中に朝鮮から強制連行された人、台湾出身の兵士たちもいた事実を忘れることはできない。平和と共生を志向する沖縄の心を世界に広めたい」と式辞を述べた。

約200人の退役米軍人らも式典に参加、50年前に戦死した多くの戦友の名を刻んだ石碑を感慨深げに見つめていた。《共同通信》



【村山富市首相】防衛費を抑制

村山富市
https://www.kantei.go.jp/

村山首相は23日午後、沖縄全戦没者追悼式に出席のため訪れた那覇市のホテルで記者会見し、1996年度予算の概算要求基準(シーリング)での防衛費の取り扱いについて「国際情勢や防衛大綱の見直しを踏まえ、大いに検討を加えなければならない」と述べ、正面装備などについては抑制的に対応していく考えを表明した。

また自民党の一部から見直し論の出ている8月15日の「戦後50年を記念する集い」は「平和志向のものだ」と意義を強調、予定通り開催する考えを明らかにした。《共同通信》

【政界談話室】

○…五十嵐官房長官は23日昼、村山首相の留守を預かる首相官邸で連合の首脳陣から「新都建設」などの要請書を受け取った際、得本連合副会長から「ハイジャック事件ではご苦労さまでした」と声を掛けられた。連合は最近、村山政権の危機管理能力に厳しい注文を付けているだけに、官房長官はその一言で相好を崩し「株も300円ぐらい上がったようだ。ハイジャック(解決)効果ですかな」と、爆笑を誘った。得本氏も「首相の株も上がればいいですね」と応じたが、笑うばかりの五十嵐氏に連合側からは「はしゃぎすぎにならなければいいが…」の声も。

○…自民党の「低公害車普及推進小委員会」の小杉隆委員長はこの日、電気自動車などの普及を図る提言を発表した際、「私も選挙区を回る時、普通の乗用車を捨てて電気バイクを使っている」と強調した。ところが電気バイクの使い心地を説明するうち「坂道で電気切れを起こしてしまって、困った揚げ句に支持者宅へ飛び込んで充電してもらったことも風ある」と話の風向きが変わり、最後は「低公害なのはいいが燃料(電気)供給に問題があっていつも不安を感じている」と告白。ついでに小選挙区の選挙戦に備える不安も思い出したようだ。《共同通信》

【全日空857便ハイジャック事件】「騒ぎ起こしたかった」

全日空機乗っ取り事件で逮捕された銀行員K容疑者(53)は、北海道警捜査本部の調べに対し「騒ぎを起こしたかった」などと供述していることが明らかになった。またK容疑者は犯行前にディスカウントショップで全日空の株主優待券を3枚購入、犯行当日羽田空港で函館行きの航空券と換えていたことも分かった。

羽田−函館間の航空券購入に必要な優待券はちょうど3枚であることから、捜査本部はあらかじめ函館便を狙った可能性もあるとしているが、K容疑者が「東京に戻れ」と執ように要求するなど矛盾点も多く、犯行の動機や計画性について、さらに同容疑者を追及する。

調べでは、K容疑者は函館空港到着直後に窓のブラインドを下ろさせたり、乗客に頭を下げる姿勢を取るよう命じるなど手慣れた犯行をうかがわせた。しかし、機内から双眼鏡を要求するなど計画性が見受けられず、捜査当局も犯人像をつかみかねていた。

さらに最近は持病のぜんそくで体調が悪かったことも逮捕後判明した。 このため捜査本部は、K容疑者が心身ともに大きな負担を伴うハイジャックを実行した経緯には不自然な点が目立つとしており、犯行を決意するに至った背景などについて詳しく調べる。

捜査本部は同日午後、同容疑者をハイジャック防止法違反容疑で送検した。K容疑者は午後0時半、捜査員2人に挟まれ函館中央署の正面玄関に姿を現した。モスグリーンの上下のスウェットスーツに青いスリッパ姿。頭から白いジャンパーをすっぽりかぶり、ゆっくりとした足取りで白いワゴン車に乗り込んだ。車の窓にはカーテンが引かれ表情はうかがえなかった。車は約5分後、函館地検の裏口に到着した。《共同通信》

【オウム真理教・早川紀代秀被告、中川智正被告】弁護士一家拉致認める

横浜市の坂本堤弁護士一家失踪事件で、地下鉄サリン事件の殺人予備罪で起訴されたオウム真理教「建設省大臣」早川紀代秀被告(45)が、警視庁の調べに対し「坂本弁護士ら一家3人を拉致した」と犯行を認める供述をしていることが23日までに分かった。早川被告は教団幹部数人の名前を挙げて供述しており、警視庁などは既に逮捕、起訴している教団幹部らを追及、坂本弁護士らの行方の確認を急ぐとともに、事件の全容解明を進める。

調べに対し早川被告は「教団幹部数人で坂本弁護士のアパートに押し入った、薬物を注射して車で連れ出した」などと供述した。

同事件は、教団発足当時からの信者で現在は脱会している元幹部の供述で、教団の関与が既に明らかになっている。

元幹部の供述や捜査当局の調べによると、早川被告らは平成元年11月3日、幹部ら6人で車2台に分乗し坂本弁護士宅に乗り付け、坂本弁護士と妻都子さん、長男竜彦ちゃんの3人に薬物を使用、ぐったりしたところを拉致して静岡県富士宮市の教団総本部に運び込んだという。《共同通信》

平成元年に起きた横浜市の坂本堤弁護士一家失跡事件で、オウム真理教の事実上の「法皇内庁長官」中川智正被告(32)が「弁護士家を拉致した」と犯行を認めるとともに、現場に教団のバッジ「プルシャ」を落としたと供述していることが23日、明らかになった。逮捕、起訴された教団幹部で弁護士拉致を認めていることが分かったのは「建設省大臣」早川紀代秀被告(45)に続いて2人目。

また早川、中川両被告が、教祖の麻原彰晃被告(40)の指示で弁護士一家を拉致、実行グループ6人の中には特別手配中の信者(28)も加わっていた、と供述していることも新たに判明した。

2被告が関与を認めたことで警視庁は、教団の組織的な犯行が決定的になったとして麻原被告を追及、弁護士一家の所在確認を急ぐとともに、現在捜査中のリンチ殺人、松本サリンなどの事件捜査を終え次第、神奈川県警と合同で本格捜査に乗り出す方針。

早川、中川両被告の供述によると、麻原被告の指示を受け、教団幹部ら計6人で坂本弁護士のアパートに車2台で行き、部屋に侵入。一家3人に薬物を注射して意識を失わせて拉致し、静岡県富士宮市の教団総本部に運び込んだという。

拉致の実行に加わったのは、早川、中川両被告と「科学技術省大臣」を務めていた故村井秀夫元幹部=当時(36)、「自治省大臣」新実智光被告(31)、地下鉄サリン事件で特別手配され逃走中の「自治省」所属の信者ら計6人としている。

同事件では、現場に教団のバッジ「プルシャ」が落ちていたことなどから教団の関与が取りざたされていた。現在は脱会している元幹部が最近になって、教団幹部らが拉致したことを話述したことから、捜査当局は教団の犯行の疑いが強いとみて調べていた。《共同通信》

オウム真理教「建設省大臣」早川紀代秀被告(45)=地下鉄サリン事件の殺人予備罪で起訴=ら幹部が、坂本堤弁護士一家失跡事件で一家3人の拉致を認める供述をしていることが23日までに分かったが、失跡直前に、坂本弁護士が早川被告ら教団幹部と会い、信者の脱会問題などについて緊迫したやり取りをした様子が、同弁護士の直筆のメモに記録されていた。

メモはB4判の紙一枚にボールペンで書かれている。失跡する3日前の平成元年10月31日夜、坂本弁護士が、勤務先の横浜法律事務所(横浜市中区)で同教団の顧問弁護士だった青山吉伸被告(35)=名誉毀損罪などで起訴=、総務部長だった早川被告、外報部長だった上祐史浩・緊急対策本部長の3人と交渉した際、書き留められ、同弁護士が“オウムグッズ”と呼んでいた教団関係の資料の中に保管されていた。

当時居合わせた他の弁護士らによると、約1時間にわたった交渉は、教祖の血を信者に100万円近い高額で売る「血のイニシエーション」の科学的根拠についての論争から始まった。メモの内容もこの話題が大半で、坂本弁護士は「京大医学部の施設で研究」「DNA分離して培養」などと根拠を挙げる教団側の説明をメモしながら、「単なる統計的な話にすぎない」と反論したという。

その後、坂本弁護士が救済しようとしていた未成年の出家信者のことに話が移ると、議論が一段と激しくなったためか、メモは中断している。

「未成年の子は学校もあるし、在家で修行させればいいではないか」という坂本弁護士の言葉を、教団側は「話にならない」と一蹴。

終盤に交渉に加わった上祐氏が、話し終わって部屋を出ていく坂本弁護士に「信者には信仰の自由がある」と声を掛けると、坂本弁護士は顔をやや紅潮させて「人を不幸にする自由は許されない」と言い返したという。

坂本堤弁護士一家失跡事件で、オウム真理教は事件直後「教団は無関係」と会見で再三強調していた。しかし、早川被告ら教団幹部が犯行に加わったことを認める供述をしていることが23日までに判明、「全面否定」の弁明はもろくも崩れた形だ。

事件発生から約1カ月後の平成元年11月30日、教祖の麻原彰晃被告(40)は早川被告らとともに訪れた旧西ドイツのボンで記者会見。「坂本事件ではオウム真理教は全く関係ない」と全面否定した。さらに麻原被告は、事件が起きた同年11月3−4日、早川被告は静岡県富士宮市の教団総本部で集中参行中と説明、当時疑惑が持たれていた同被告のアリバイを主張していた。

ボンから帰国した同12月4日には、成田空港内でも麻原被告らが会見。「オウムがやったとすれば不思議だ」と再度事件とのかかわりを否定した。しかし、捜査への協力については「私は信徒の秘密を守る義務がある」と消極的な態度を示した。

一方、同11月18日に横浜市内で開かれた別の会見でも、上祐外報部長(当時)らが「出家信者400人全員が事件と関係ないことを確認した」と断言していた。《共同通信》



6月23日のできごと