平成10970日目
2019/01/20
この日のできごと(何の日)
【立憲民主党・枝野幸男代表】菅政権時代に「辺野古以外」模索
立憲民主党の枝野幸男代表は20日、那覇市での集会で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設について「私が官房長官のときも、実は水面下で何度か辺野古以外の解決策がないかということを若干やった」と述べ、旧民主党の菅直人政権時代に辺野古以外の普天間移設先を模索したことを示唆した。
枝野氏はこの後、視察先の辺野古で記者団から発言の趣旨を問われ「それは馬毛島の話だ」と述べ、米軍空母艦載機離着陸訓練の移転候補地である馬毛島=まげしま=(鹿児島県西之表市)に関するものだったと説明した。
枝野氏は集会で、菅政権時代に模索した「辺野古以外の解決策」について「表では一切言っていないし、今後も言わない。言ったらいろんなところに外交上の問題もあったりする」とも述べた。
枝野氏は、辺野古移設に反対する考えも重ねて強調した。立憲民主党が政権を獲得すれば米政府と交渉する意向も示したが「私が首相でも確実に短期間で米国の意見を変えさせるというつもりはない。ものすごく時間がかかるし、エネルギーがかかるかもしれない」と述べた。《産経新聞》
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【卓球・全日本選手権】
卓球の全日本選手権最終日は20日、大阪市の丸善インテックアリーナ大阪で行われ、シングルスの男子決勝で水谷隼(木下グループ)が初めて決勝に進出した大島祐哉(同)を4―2で下し、自らの最多記録を更新する2年ぶり10度目の優勝を飾った。前回王者の15歳張本智和(エリートアカデミー)は準決勝で大島に3―4で敗れた。
女子決勝では伊藤美誠(スターツ)が、14歳5カ月の史上最年少で決勝に進んだ木原美悠(エリートアカデミー)を4―1で下し、2連覇を果たした。同ダブルスと混合ダブルスを合わせた3種目連覇は女子で初めて。《共同通信》
【天皇皇后両陛下】大相撲ご観戦
天皇、皇后両陛下は20日、両国国技館(東京都墨田区)を訪れ、大相撲初場所中日の取組を観戦された。両陛下の大相撲観戦は平成29年初場所以来2年ぶりで、ご即位以来23回目。4月の天皇陛下の譲位を前に、天皇、皇后としては最後の機会となった。
両陛下は、幕内後半の計9番を貴賓席から身を乗り出したり、取組表に目を落としたりしながら見守り、勝敗がつくたびに盛んに拍手を送られた。
日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)によると、引退した元横綱稀勢の里について、両陛下は「今後どうするんですか」とお尋ねに。ひざの負傷で途中休場した小結御嶽海について、陛下が「ひざは大事ですからね」と気遣われる場面もあったという。《産経新聞》
【フランス政府】ルノー、日産の経営統合を要求
フランス政府が自国の自動車大手ルノーと日産自動車の経営統合を日本政府に要求したことが20日分かった。傘下に両社が入る持ち株会社をつくる案が浮上しているとみられる。自国経済の活性化に向け名門企業の経営を強化するのが狙いで、大株主として発言力を強める。会社法違反(特別背任)などの罪で起訴された日産の前会長カルロス・ゴーン被告の後任会長をルノーから出す意思も示したという。日産は経営の独自性を保つため、日本政府と協力し統合を阻む防衛策を急ぐ。
日産とルノー、フランス政府の3者は、日産に対し不当な経営干渉をしないことで2015年に合意している。《共同通信》
【米・トランプ大統領】就任3年目
トランプ米大統領は20日、就任3年目に入った。看板政策のメキシコ国境の壁建設は停滞し、政府機関の閉鎖も長期化、ロシア疑惑の捜査は大詰めを迎えたとされ、政権は逆風の真っただ中にある。中国との貿易協議や2回目の米朝首脳会談など外交で成果を演出し、局面転換を図りたい考えだ。
トランプ氏は19日、国境の壁を巡り「重大発表」と銘打って国民向けに演説した。打ち切り方針を表明した移民政策に3年間の猶予期間を設け、代わりに壁建設の予算を認めるよう訴える内容だったが、民主党は一蹴した。《共同通信》
【野中正造さん】死去
男性で世界最高齢だった北海道足寄町の野中正造さんが、20日未明、老衰のため自宅で死去した。113歳。北海道出身。葬儀・告別式は23日に自宅で。
1905(明治38)年7月25日生まれで、約100年続く旅館「野中温泉」の元経営者。親族によると、旅館兼自宅の温泉に入るのが好きだった。
普段は車いすで過ごし、介助が必要な場合もあったが、自分でできることはできる限りやっていたという。
食欲の衰えもなく、亡くなる前日も3食を取っていたという。20日午前1時半ごろ、就寝後の野中さんが息をしていないことに家族が気付いた。《共同通信》