平成3643日目

1998/12/29

この日のできごと(何の日)

【ボクシング・辰吉丈一郎選手】3度目の防衛ならず

世界ボクシング評議会(WBC)バンタム級タイトルマッチ12回戦は29日、大阪市中央体育館で行われ、チャンピオンの辰吉丈一郎(大阪帝拳)は挑戦者で同級4位のウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)に6回2分52秒、KOで敗れ3度目の防衛に失敗した。

辰吉の戦績は23戦17勝(12KO)5敗1分け。元世界ボクシング協会(WBA)同級王者のウィラポンは世界王座に返り咲き、戦績を22戦21勝(15KO)1敗とした。これで日本選手の現役世界王者はWBAス一パーフェザー級の畑山隆則(横浜光)だけとなった。

辰吉は、中間距離でのリードパンチの打ち合いで後手に回った。ウィラポンの左ジャブを顔面に無数に受け、ダメージが重なった。6回、左ストレートを顔面に受けてダウン。立ち上がったものの、連打で畳み掛けられて二度目のダウンを喫し、主審がノーカウントで試合を止めた。

信じられない光景だった。6回、最初のダウンから辛くも起き上がった辰吉が、相手の連打にさらされる。完全に無抵抗のままパンチを浴び続け、主審が割って入るのとほぼ同時にもらった右ストレートで後頭部からリング上に落ち、ノーカウントで試合が止められた。辰吉自身、生涯初の無残なKO負けでチャンピオンの座から滑り落ちた。試合後の控室で辰吉は「何も覚えていない。僕、倒れたんですか?何もらってダウンしたのか、どう終わったのかも分からない」と力なく話した。《共同通信》

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【小渕恵三首相】自由党・小沢一郎党首と会談

小渕恵三首相(自民党総裁)と自由党の小沢一郎党首は29日夜、首相官邸で会談し、連立政権樹立に向けた政策問題について協議、これまでの党首会談で合意した事項を誠実に実行することを確認した。

両党は年明けに再開されるプロジェクトチームでの政策調整の詰めを急ぐが、首相が1月6日に予定していた内閣改造は、首相が訪欧から帰国後の14日以降にずれ込む可能性が強まった。《共同通信》

【ポル・ポト派】初の謝罪

カンボジア政府に投降した反政府ゲリラ組織ポル・ポト派のキュー・サムファン幹部会議長(67)は29日、プノンペンで行った記者会見で、1975年から4年近く続いたポル・ポト政権時代に、200万人ともされる多くの国民が死亡したことについて「とてもすまなく思っている」と、ポト派最高幹部の一人として初めて謝罪の言葉を述べた。

同席したヌオン・チア元人民代表議会議長も「多くの命が失われたことは遺に思う」と続いて謝罪した。

しかしサムファン議長は「大量虐殺の責任を認めるのか」と質問されると、「だれに責任があるかは確認のしようがない。過去は過去として忘れ去ることが、カンボジアの国民和解につながる」と繰り返し、直接的な責任は認めなかった。

サムファン議長とヌオン・チア元議長は会見に先立ち同日、96年に投降したイエン・サリ元副首相に付き添われ、滞在先の北西部パイリンからプノンペン入りし、フン・セン首相やラナリット国会議長と会談した。

側近によると、フン・セン首相はサムファン議長らに「(今回の投降で)カンボジアの平和に貢献してくれ、感謝している」と述べ、大量虐殺の責任を問う意向のないことをあらためて伝えた。議長らは「普通の市民として余生を送りたい」として、パイリンでの生活を希望している。《共同通信》



12月29日 その日のできごと(何の日)