平成3160日目

平成9年9月2日(火)

1997/09/02

【ヤクルト・石井一久投手】ノーヒットノーラン達成

ヤクルトの石井一久投手(23)が2日、横浜スタジアムで行われた横浜23回戦でプロ野球65人目(76度目)、両リーグを通して今季初のノーヒットノーランを達成した。横浜スタジアムでの無安打無得点試合は開場して20年目で初めて。セ・リーグでは昨年8月11日の野口茂樹投手(中日)以来で27人目。

石井は一回、先頭打者に四球を与えるなど前半は制球が不安定だったが、速球を軸とした投球で横浜打線を五回以降は無走者に封じた。許した走者は四回までの四球の4人だけで、9三振を奪った。《共同通信》

スコアボードを振り返った。九回一死、“H”(安打)のところは0のままだった。「九回になれば抑えられると思った」。石井一の心は静かだった。難なく二死を取り、波留を迎える。カウントは2−2。腕を振った。球は残っていたすべての力を乗せたように走り、バットに空を切らせた。121球目。151キロだった。

「意識したのは三回です。もしかしたらと思った」。2四球で二死一、二塁とした三回にこんなことを考えていた。重圧とは戦わない。その場に立つことを素直に感謝できるという。

新人だった1992年10月21日。1勝1敗で迎えた西武との日本シリーズ第3戦、先発のマウンドに立った。シーズン成績0勝0敗0セーブ。19歳になったばかりの左腕の資質を野村監督は見抜いていたのか。「0−0の展開でよかったんじゃないか。楽な展開だと緊張感が途切れるからな」。快挙を成し遂げた石井一の投球を野村監督は簡単に、得意の技術論抜きで語った。

昨年12月に米国で左肩関節を手術した。米国で約5カ月間生活したが、苦労話はしようとしない。「ウイニングボール?明日キャッチボールで使っちゃうかな」。マイペースな剛腕を中心に、最後は笑いの渦が起こった。《共同通信》



【ダイアナ元妃死亡事故】カメラマン7人送致

ダイアナ元英皇太子妃の死亡交通事故で、パリ警視庁などの捜査当局は2日、元妃らが乗った車を事故直前まで追跡した追い掛けカメラマン7人の身柄を、事故の被害者に対する救護義務違反や過失致死傷の容疑でパリの予審判事に送致した。

これを受け、予審判事は同日、7人のうちフランスの写真専門通信社シパなどのカメラマン2人に対し、両容疑で取り調べを始めた。これにより検察当局の捜査が正式に開始され、取り調べ後に予審判事は被疑者を起訴するかどうかを最終決定する。

有名人を追跡取材する「パパラッチ」と呼ばれるカメラマンの強引な取材活動で刑事責任が問われるケースは極めて異例で、パパラッチの取材の在り方に強い警告を与えそうだ。

送致されたのはフランス人6人、マケドニア人1人で、「シパ」「シグマ」「アンジェリ」などの写真専門通信社に所属または契約していた。

事件を担当するエルベ・ステファン予審判事は今後、他のカメラマンに対しても詳しく調べるとみられる。

フランス刑法は救護義務違反罪については「自分の身が危ないなどの事情がないいのに、危機にひんした人を助けなかった者は最高禁固5年と罰金50万フラン(約1000万円)の刑に処する」と規定している。また遺失致死罪の最高刑は禁固5年と罰金50万フラン。

事故で死亡したドディ・アルファイド氏側の弁護士は「一台のオートバイが車の前でジグザグ走行していたとの証言がある」と述べ、過失致死罪の適用を主張していた。また2日付フィガロ紙は、カメラマンが撮った現場写真には「被害者を救出している写真は一枚もなかった」と報じた。《共同通信》

事故死したダイアナ元英皇太子妃の遺体が安置されているセントジェームズ宮殿や元妃の住居ゲンジントン宮段では2日、弔意を表すロンドン市民や観光客の波が絶えず、未明には大勢が徹夜で記帳の列に並んだ。運転手の飲酒運転発覚は、市民を一層やりきれない気持ちにさせているようだ。

バッキンガム宮殿や、ケンジントン宮殿前の「花束のじゅうたん」は広がり、「花でできた海のよう」(英民放テレビ)になっている。セントジェームズ宮殿では1日に記帳の待ち時間が最高8時間に達したため、バッキンガム宮殿は2日未明に記帳簿を5冊から15冊に増やした。それでも集まり続ける市民に対処できず、5−6時間待ちの列ができている。

葬儀が行われる6日には、大手小売店は午後2時まで営業を控える方針を決め、英銀行協会も、各銀行に同日は支店を閉めるよう呼び掛けている。《共同通信》

【新進党】党内に保保路線批判

新進党は2日、神奈川県箱根町で開いた両院議員研修会で、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)見直しで国会承認手続きを求める党見解などを了承し、二日間の日程を終えた。

小沢一郎党首が目指す保保連合路線をめぐる論議は一切なかったが、自民党役員人事で自社さ派の加藤紘一幹事長の続投が固まり保保路線が行き詰まっていることから、党内では超党派勉強会「改革会議」の参加メンバーを中心に小沢氏への批判が強まっている。

改革会議の新進党メンバーは「小沢氏の個人的戦略にこれ以上ほんろうされるのは勘弁してほしい、との声は確実に強まっている」と説明。最大勢力の旧公明党グループのほか、様子見が多い旧民社党グループからも一層の参加が期待できるとしている。

公明党グループは保保と野党結集の「両にらみ」戦術だが、来年夏の参院選で自民党に勝つには「野党結束が不可欠」との判断から、今後は「野党結集の機運が高まる」と見通す幹部もいる。ただ改革会議の今後の具体的段取りや方向性は依然として不透明。

3日の世話人会の議題も会費の徴収方法など事務的事項にとどまっており、新進党の若手は「党首としての小沢戦略に批判が強まっても、批判の受け皿となる改革会議には相変わらず不気味さがない」と指摘している。新進党メンバーの間でも年末の党首選などを見据えた基本的戦略はほとんど描けていないのが実情だ。《共同通信》

【民主党】「駐留なき安保」復活

民主党は2日、鳩山由紀夫、菅直人両代表も出席した安全保障政策プロジェクトチームの会合で、米国に誤解を与えかねないとして使用しない方向で検討していた「常時駐留なき安保」との表現を今月中にまとめる「外交安全保障政策の基本方針」に一転、盛り込む方針を確認した。

民主党は結党以来、「常時駐留なき安保」という基本路線を掲げてきた。しかし①概念があいまい②沖縄に駐留する米海兵隊の撤退は求めるが、他の在日米軍の駐留は当面認める−という基本方針と合致しないとして、同基本方針からこの表記を削除すべきだとの意見が強まっていた。

これに対し、横路孝弘副代表らは「民主党の外交安保政策の象徴だ」として、同表現に固執。菅氏も「基地問題を現状固定的にとらえるのではなく、状況に応じて日米両政府が最もふさわしい在日米軍の駐留形態や規模を協議していくべきだ」と主張した結果、将来的な選択肢の一つとして引き続き掲げていくことになった。

菅氏は「常時駐留なき安保」の英訳を日本語に直訳すれば「米軍の条件付き駐留を伴う日米同盟」となる苦肉の策のアイデアも提案した。《共同通信》

【小泉純一郎厚相】「橋本行革」を支持

小泉純一郎厚相は2日午後、日本記者クラブで会見し「橋本龍太郎首相はほかの党首に比べれば、一番先鋭的な行革案を出している。それをやらせたい」と述べ、首相の党総裁再選支持をあらためて強調した。

また党内の保保派の動きに対して「政策が違うなら、あえて反主流を覚悟して党内野党に徹する気概を持つべきだ」と指摘。さらに「今の三役は強力。政策別に野党とも協力するのはいいが、今の枠組みを壊してまでやる必要はない」として、加藤幹事長はじめ党三役は続投するのが望ましいとの考えを表明した。

2年前の党総裁選で橋本氏と争った小泉氏だが、首相が行政改革会議会長として省庁再編などの方針を打ち出したことに関連し「この方針に対し党内には不満がうっ積しているにもかかわらず、橋本氏に代わる総裁候補を立てる動きはない」と党内の現状を説明した。《共同通信》

【政界談話室】

○・・・橋本龍太郎首相は2日午前、外務省の招待で来日した中国の記者団と首相官邸で会見し、冒頭で「正和博碁」と墨書された掛け軸を贈られた。書は「碁をする場合に、双方が勝つ」との意味で、記者団が「中日関係を表す良い言葉なので、中国の書家に書いてもらいました」と説明すると、首相は「公邸に掛けておきます」と応じ、予定時間をオーバーして会見を続ける厚遇ぶり。4日からの訪中では、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)見直しへの中国側の懸念解消が課題だけに、友好ムードの盛り上げに躍起だった。

○・・・新進党の中井洽組織委員長はこの日、神奈川県箱根町での両院議員研修会で、公明から新たに入党した山下栄一、浜四津敏子両参院議員を紹介し「今の新進党に加入していただく方は、正直言って勇者だ」とたたえ、参加者の笑いを誘った。山下氏は「(選出区の)大阪選挙区は全国最強の新進党王国。大阪から新しい風を起こしたい」と決意を表明。浜四津氏も「希望ある未来を切り開けるのは新進党しかないという思いで入党しました」とあいさつすると、会場からは万雷の拍手が。離党者が相次ぐ新進党にとって、『転入生』は何よりの朗報だったようだ。《共同通信》

【政府】「普天間飛行場移設対策本部」設置

政府は2日、沖縄の米軍普天間飛行場返還に伴う海上ヘリポート建設を促進するため、防衛庁に「普天間飛行場移設対策本部」(本部長・久間章生防衛庁長官)を設置した。

橋本龍太郎首相は閣議後、久間長官や池田行彦外相、三塚博蔵相に「作業がなかなか進んでいないが、この問題は強力に進めなければならない。責任を持って取り組んでほしい」と指示した。《共同通信》

【福田一さん】死去

衆院議長、法相、自治相などを務めた福田一氏が、2日午後9時16分、肺炎一のため、東京都板橋区の病院で死去した。95歳。福井県出身。

福田氏は共同通信社と時事通信社の前身である戦前の同盟通信社で政治部長、シンガポール支局長などを務めた後、親交のあった故鳩山一郎元首相の勧めにより政界入り。昭和24年、衆院旧福井全県区で立候補し初当選、平成2年に引退するまで当選14回。池田勇人内閣で通産相を連続2期、自治相を田中角栄内閣で2期と三木武夫内閣で1期、さらに法相を福田赳夫内閣で務めた。

法相だった昭和52年9月、日本赤軍によるダッカの日航機ハイジャック事件が発生。犯人が要求した仲間の服役囚らの釈放に難色を示したが、政府の対策本部が超法規的措置により釈放に応じた責任をとり、10月、当時の福田首相の慰留を振り切って辞任した。《共同通信》



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