平成3015日目

平成9年4月10日(木)

1997/04/10

【衆院特別委】米軍用地特措法改正案を可決

沖縄米軍用地の継続使用を可能にする米軍用地特別措置法(特措法)改正案は10日夜、衆院安保土地特別委員会で、自民、新進、民主、太陽、21世紀の各党派の賛成多数で可決された。共産党と与党の社会党は反対した。

橋本龍太郎首相と小沢一郎新進党党首との党首会談での合意で改正案成立は早々に確定。民主党も賛成方針を決めたため、24日からの首相訪米前の来週後半には参院で可決、成立する運びとなっている。

同特別委は、米軍基地の整理・統合・縮小への真剣な取り組みや米軍兵力構成に関する米国との継続協議、沖縄振興策の推進などを政府に求める6項目の付帯決議も行った。

改正案の内容を5年間の時限立法とする民主党提出の修正案も採決したが、修正案は同党が賛成しただけで否決され、民主党は政府提出改正案の賛成に回った。

改正案は、米軍基地用地の使用期限が切れた後も、都道府県収用委員会が審理中は暫定使用の権原(根拠)を国に認めるのが主な内容。県収用委員会が裁決申請を却下した場合でも、建設相に対する不服審査請求中は暫定使用が可能としている。

嘉手納基地など沖縄の米軍12施設で賃貸契約を指んでいる地主約3000人の用地について、5月14日で使用期限が切れるため政府は改正に踏み切った。

一方、参院は10日午後、議院運営委理事会と安保土地特別委理事懇談会をそれぞれ開き、同改正案送付を受けて11日午後の本会議で趣旨説明と質疑をし、その後の同特別委でも趣旨説明を行うことで合意した。《共同通信》



【海上ヘリポート建設問題】沖縄県・大田知事、政府調査を事実上容認

米軍普天間飛行場返還に伴う海上ヘリポート建設問題で、大田昌秀沖縄県知事は10日、建設候補地の事前調査を受け入れる方針を打ち出した比嘉鉄也名護市長と同問題で初めて会談し、「市が判断した結果は、県としても尊重したい」と述べ、政府の調査を間接的ながらも容認する考えを示した。

比嘉市長は「会談は最高に有意義だった」と述べ、漁業団体などの意向を確認する作業を進め、近く受け入れを正式表明する姿勢を示した。日米両政府が昨年12月に合意して以来、国、県、市の「三すくみ」の状態が続いていたヘリポート問題は、政府による調査着手に向け動き出した。

会談で市長は、海上ヘリポートの調査に対する知事の考えと、名護市など沖縄本島北部地域の振興策についての取り組みをただした。これに対し知事は「基地の県内移設は基本的に当該市町村長と国が話し合う問題で、県が手伝うことがあれば相談に乗ると申し上げてきた」と従来の立場を強調した上で、市長の方針に理解を示した。

振興策については、北部地域での高規格道路網整備や研究機関誘致、人材育成事業などを、政府とともに進める考えを明らかにした。市長は県の姿勢を評価した上で「今回は調査だけで、建設に賛成ということではない。基地と振興は別だと思っている」と述べた。《共同通信》

【政界談話室】

○・・・橋本龍太郎首相は10日、衆院安保土地特別委員会で、新進党の東祥三氏から「いつごろから首相になりたいと思ったか」と変化球を投げられたが「私自身、首相になろう、なろうと目をギラギラ輝かせたことはあまりない」ときっばり。その上で「先輩、後輩から『その責任を負うようになっても逃げるな』と言われ、『逃げまい』と考えたのはそう遠い昔ではない」と述べ、あくまで推されてなったと強調した。日ごろからスマートな政治姿勢に人一倍こだわる首相だけに、「野心家」と見られるのは心外といった様子。

○…新進党の野田毅政審会長は代議士会で、小沢一郎党首と橋本龍太郎首相が米軍用地特別措置法改正で合意した経緯を説明。沖縄米軍用地の強制使用問題に国が最終責任を持つ仕組みを誠意を持って整備する、との合意を挙げながら「正しい方向なら野党であっても是々非々で対応するのは当然だ」と指摘、今回の「保・保」部分連合の正当性を強調した。同時に「もし間違った方向だったら、駄目なものは何と言っても駄目だ」と付け加えることも忘れず、初めに保・保連合ありきとの観測をぬぐうのに躍起となっている。《共同通信》

【在ペルー日本大使公邸占拠事件】政府譲歩を容認

ペルーの日本大使人質事件でトゥパク・アマル革命運動(MRTA)武装グループが要求する仲間の服役囚釈放に関し、ペルー内務省の情報機関が「服役囚再審」の形でペルー政府が譲歩することもやむを得ず、武力行使は既に「選択肢にない」と分析していることが10日、分かった。

釈放に強く抵抗してきた警察を管轄する内務省側が政府の譲歩に理解を示し、武力行使を「排除」したことは、軍・警察側に配慮せざるを得ないフジモリ大統領の決断を容易にし平和解決に大きなプラス材料となる。《共同通信》

【黛敏郎さん】死去

現代日本を代表する作曲家で、テレビ番組「題名のない音楽会」の司会役でも知られた黛敏郎氏が10日午前8時45分、肝不全のため川崎市の病院で死去した。68歳。横浜市出身。

昭和26年、東京音楽学校(現東京芸大)研究科を卒業し、パリ音楽院に留学。帰国後、電子音楽による前衛的な「ミュージック・コンクレートのための作品X・Y・Z」を発表して独自の世界を築いた。昭和28年、現代音楽の普及を目的に団伊玖磨、芥川也寸志さんと「三人の会」を結成した。

テレビ朝日系「題名のない音楽会」の企画、司会を30年以上務め、3月末の収録が最後になった。改憲論の立場から発言し議論を呼び、「建国記念の日奉祝運営委員会」委員長なども務めた。《共同通信》



4月10日のできごと