平成2572日目

平成8年1月23日(火)

1996/01/23

【松本サリン事件】中川被告、実行行為認める

オウム真理教の元幹部中川智正被告(33)の公判が23日、東京地裁(池田修裁判長)で開かれ、同被告が殺人、殺人未遂罪に問われた松本サリン事件が初めて審理入りした。

検察側は教祖麻原彰晃被告(40)が山梨県上九一色村に建設していた「第7サティアン」内のサリン量産プラントが完成間近い情勢になったことから、都市部の住宅密集地での実験を企て、教団支部建設反対の民事訴訟が起きていた長野地裁松本支部を目標に選び裁判官や付近住民を殺害することを決意した、と指摘した。

中川被告は罪状認否で実行行為を認めた上で「指示、命令はあったが謀議ではないと共謀関係を否認した。

検察側の冒頭陳述などによると、麻原被告は平成6年6月20日ごろ、上九一色村の教団施設内の自室に故村井秀夫元幹部=死亡当時(36)、幹部新実智光(31)、元幹部遠藤誠一(35)、中川の各被告を呼び「オウムの裁判をやっている松本の裁判所にサリンをまいて、実際に効くかどうかやってみろ」と指示。見張りや運転役も自ら指名した。

中川被告はすぐに防毒マスクをつくる作業に着手したほか、6月27日午前には、同年2月ごろに「第7」内で土谷正実被告(31)らと一緒に生成、保管していたサリン約30キログラムの一部を家庭用ポンプで噴霧車に詰める作業を一人で行った。

同日午後4時ごろ村井元幹部ら6人とともに改造したサリン噴霧車とレンタカーのワゴン車の2台に分乗。予定時刻より遅れたため途中で目標を裁判官宿舎に変更し、午後10時40分ごろ、長野県松本市北深志一丁目の駐車場でサリンを発散させ、7人を殺害、144人に重軽症を負わせた。



【新幹線・E2系】報道陣乗せテスト走行

JR東日本は23日、1998年(平成10年)2月の長野冬季五輪までに開業予定の北陸新幹線(高崎−長野)に投入する新型列車に、初めて報道陣を乗せ、東北新幹線の仙台−盛岡間でテスト走行を行った。

北陸新幹線を走るのは同社が新たに開発した新型車両。時速275キロで走れる動力性能を持ち、高崎−軽井沢間の急なこう配でもスピードを保てるように車体の軽量化などが図られた。8両編成で、内外装とも営業運転用車両とほぼ同じ。

午後0時半すぎ、仙台駅の新幹線ホームを静かに滑り出した列車は、モーターのかすかなうなり音を響かせながら加速。数分で時速260キロに達した。列車は北上駅でいったん停車した後、スタートからわずか4分で二275キロまでスピードを上げ、加速力をアピール。仙台−盛岡間の往復をほぼ270キロ前後で走り切った。《共同通信》

【福岡県城島町】中3男子がいじめを苦に自殺

23日午前7時半ごろ、福岡県城島町の国営水路の近くで、同町、自営業Aさん(51)の四男のB君(五)=同町立城島中3年=が水門のはしご式の階段にロープを掛け、首をつって死んでいるのを近所の人が見つけ城島署に届けた。

現場に落ちていたB君のかばんの中から、便せん2枚にメモ書きされた両親あての遺書が見つかった。父親のAさんによると、遺書には同校の生徒3人の名前を挙げ「中学1年から跳びげりされたり、殴られたりのいじめがあった。これまでに計30万円以上取られ、これ以上お金をつくることができないので死にます」などと書いてあった、という。

同署は、いじめを苦に自殺したとみて学校や家族から事情を聴いている。遺書で名前を挙げた3人は名字しか書かれていないため、現時点では生徒を特定できていない。また、他にも生徒数名がいじめに加わっていた可能性もあることから、慎重に調べを進める方針。

調べによると、B君は22日午後7時ごろ、「塾に行く」と自転車で自宅を出たまま行方が分からなくなっており、検視の結果、同日午後7時から同9時の間に自殺したらしい。

遺書にはさらに「2年生の時、クラス替えがあり、いじめは中断したが、3年の時のクラス替えで再びいじめが始まった」とした上で、1年の時、先生にいじめについて相談したが「言葉遣いが悪いからだ」と取り合ってもらえなかったとも書かれていたという。《共同通信》

【光州事件】元、前大統領ら起訴

韓国の検察当局は23日、全斗煥元大統領、盧泰愚前大統領など8人を、光州事件で中心的役割を果たしたとして内乱罪などで起訴したが、全元、盧前大統領側は違憲訴訟を起こすなど裁判を通じて全面的に争う姿勢を示している。

金泳三政権は「(過去の)歴史の正しい立て直し」を掲げ事件関係者を処罰したが、事件発生以来15年以上の歳月が流れており、法的にはさまざまな論戦が予想される。

争点の第一は公訴時効の問題。光州事件に関しては、ソウル地検が昨年7月に事件関係者を不起訴とした際には、時効の起算点は80年8月16日の崔圭夏大統領辞任で、95年8月に時効は成立するという見解が有力だった。

だが検察当局は再捜査に着手すると、起算点は81年1月25日午前0時の非常戒厳令解除とし、時効はまだ成立していないとした。また大統領は在任中は刑事訴追を受けないため、大統領在任中は公訴時効が中断されるとしている。しかし、被告側は既に時効が完成していると主張するのは確実とみられる。

第二は粛軍クーデターや光州事件の関連者の処罰のための特別法の違憲性の問題だ。特別法は両事件の公訴時効は停止されると規定している。しかし、この特別法は事件の後にできたため、政界や法曹界の一部では遡及立法で憲法違反だとの意見があり、憲法裁判所の判断が注目される。

第三は、検察当局が過去に粛軍クーデターは起訴猶予、光州事件は不起訴としたのに、政治情勢の変化で起訴するのは、同じ事件について再び公訴の提起を許さないという一事不再理の原則に反すると被告側が主張している点で、裁判所の判断にゆだねられる。《共同通信》

【新進党】新人発掘に全力

新進党の米沢隆幹事長は23日の役員会で、次期総選挙で候補が未決定になっている小選挙区について「この国会は衆院解散・総選挙に追い込む国会だ。穴埋めができるよう協力してほしい」と、空白区での新人候補発掘に協力するよう要請した。

同党は、住宅金融専門会社(住専)処理策などをめぐって橋本内閣を早期解散・総選挙に追い込む構えだが、半面、公認決定は小選挙区219人、比例代表42人にとどまり、自民党(小選挙区246人、比例代表24人)に後れを取っており、早期解散要求が「看板倒れ」になりかねないのが実情だ。

このため「自民党に遅れないだけの布陣」(小沢一郎党首)を当面の目標に候補決定を急いでいるが、もともと候補者難の側面も強く、前途は険しそうだ。《共同通信》

【橋本龍太郎首相】沖縄県・大田昌秀知事と会談

橋本龍太郎首相は23日午後、首相官邸で沖縄県の大田昌秀知事と初めて会談し、沖縄の米軍基地問題について初めて意見交換した。

大田知事は米軍基地の整理・統合・縮小の促進、日米地位協定見直しなど従来の5項目の要望に加え、新たに①沖縄県民意識にある本土への不公平感解消に務める②県内若年層の高失業率の解消と産業振興ーの2項目を要請。

4月に予定される日米首脳会談を受けて発表する発表する共同宣言では在日米軍「4万7000人体制」などの具体的数字を明記しないよう重ねて求めた。

首相は「沖縄県民には申し訳ないと思っている。さらに大きな部分で沖縄問題を考えたい。要望は重く受け止める」と述べ、村山前政権の基本方針を踏襲した上で、基地問題だけでなく、産業基盤整備などを含め、積極的に取り組む意向を表明した。今後、首相と知事は必要一に応じて随時会談することで一致した。

大田知事は、首相とクリントン米大統領との首脳会談に強い関心を示し、共同宣言に具体的な数字の記述を避けることのほか①「基地縮小」の明記②日米安保条約の極東の範囲を拡大解釈するような表記を避ける−の2項目をあらためて要望した。

首相は基地縮小問題について「誠意をもって取り組む」と答えたが、具体的な兵員数などの表記に関しては「よく勉強させてもらう」と述べるにとどまった。大田知事は「社会党首相から自民党首相になったことを懸念したが、政府の姿勢が変わっていないことが分かった」と評価した。《共同通信》

【橋本龍太郎首相】公邸に引っ越し

橋本龍太郎首相は23日午後、首相官邸に隣接した公邸に引っ越した。公務で留守の首相に代わり、久美子夫人が立ち会ってトラックなど4台分の家財道具の運び込みを見守った。

築67年の公邸は老朽化が激しいが、東京・六本木の首相の自宅マンションは警備上、難点があるため引っ越しを決断した。家族は夫人、中学生の三女とペットのハムスター。首相は「24時間ふろに入れるようにしてほしい」と要望していたが、これは、新しい装置を取り付け何とか間に合った。

久美子夫人は「いつまでいられるか分からないけれど…。(公邸は)由緒があり、歴史が感じられる建物。住み慣れた所の方がいいけど、これも経験だから」とさばさばした表情だった。

首相は就任後、都内でホテル住まいを続けていた。同日午後7時前、公邸に初めて帰宅した首相は「一体どこにおれの寝場所がつくってあるのか知らないんだよ。心配だなあ」と記者団に漏らしていた。《共同通信》

【米・クリントン大統領】一般教書演説

クリントン米大統領は23日夜、政権担当意欲をみなぎらせた一般教書演説を行い、11月の大統領選に向けて事実上、再選キャンペーンの火ぶたを切った。

演説の特徴を一言でいえば「保守寄り」。もともと民主党内で、リベラルでも右派でもない「ニュー・デモクラッツ」を掲げながら、一時リベラル寄りに傾いた大統領は、その軸足を確実に「右」に移した。

ホワイトハウス奪還を狙う共和党の攻勢をしのいで再選を果たすには、幅広い支持層の結集が必要だ、との戦略判断がにじむ。大統領は、予備選がヤマを越え、共和党の対立候補が絞られる4月、正式に出馬を表明する考えだ。

ホワイトハウスによると、演説作成に当たり、大統領は閣僚、政権スタッフ以外に、二十数人に及ぶ政治学者、歴史学者らの助言を求め、メモを提出してもらった。さらに学者を招いてのワーキング・ディナーも2度開催するなど、草稿をぎりぎりまで練り、万全を期したという。

その結果、内容的には家族の価値の重視や「小さな政府」論など、共和党顔負けの主張がちりばめられ「米国は今も強いが、もっと強くなれる」「われわれが協力すれば、失敗はない」など、前途に明るさを感じさせるトーンを意識的に強調。1984年、当時のレーガン大統領が一般教書演説で「米国はよみがえった」と高らかに宣言して、秋に再選されたのにあやかる作戦を取った。《共同通信》



1月23日のできごと