平成2571日目

平成8年1月22日(月)

1996/01/22

【オウム裁判】遠藤誠一被告、サリンの製造を認める

オウム真理教の元幹部遠藤誠一被告(35)の第3回公判が22日、東京地裁(山田利夫裁判長)で開か」れ、元幹部中川智正被告(33)、幹部土谷正実被告(31)とともにサリン製造を担当したとして殺人、殺人未遂罪に問われた地下鉄サリン事件の罪状認否で、遠藤被告は「私、中川(被告)、土谷(被告)の3人でサリンを製造したことは間違いありません。このサリンが地下鉄で散布されたと思います」などと起訴事実を全面的に認めた。

検察側は冒頭陳述で、昨年3月15日に地下鉄霞ケ関駅構内でボツリヌス菌噴霧を試みた体験から遠藤被告が「今回のサリン散布は都内だ」と判断した上でサリン生成を承諾。生成後、逃走しようとした土谷被告に「東京の方には行かないほうがいい」と注意したことを明らかにした。

遠藤被告は意見陳述で「被害者、遺族の方々、社会の人たちの私やオウムへの怒り、憎しみ、疑問は当然で、どのような言葉でも弁解できませんが『申し訳ありません』とおわびしたい」と謝罪、共犯者との共謀について「共謀は相互の間で大なり小なりあったと思います」と述べたが、教祖麻原彰晃被告(40)の名前には触れなかった。

弁護人は「宗教に対する寛容さにつけ込んだ前例のない卑劣な無差別テロだが、動機については首謀者の弁明が不可欠だ」と意見を述べた。

冒頭陳述によると、麻原被告は警察組織に打撃を与え、首都を混乱させようとサリン散布を決意。昨年3月18日、東京から山梨県一上九一色村に帰る車中で遠藤被告に新たなサリン生成が可能かどうかを確かめた上で製造を命じた。

遠藤被告は中川被告が隠していたサリン直前物質を使い、土谷被告の助言を受けながら中川被告らとともに同月19日深夜、自分の実験棟で6、7リットルのサリン混合液を生成した。直後に遠藤被告から「できました。ただし混合物です」などと報告された麻原被告は「いいよ。それで」と了承した。《共同通信》



【マツダ】ユーノス店を順次廃止

マツダは22日、4月1日から高級車などを扱う販売店網「ユーノス店」を順次廃止、別の販売店網に統合する方針を発表した。国内販売の低迷に対応した措置で、バブル期に最大手のトヨタ自動車と同じ5系列に拡張した販売店網は縮小。大株主の米フォードと協力して販売店網の一段の効率化を図る。

ユーノス系列店は、平成元年に営業を開始。現在、全国で139社、231拠点あるが、高級車やスポーツカーが主力のため、バブル崩壊の直撃を受けた。このため、昨年秋から取り扱い車種を別の販売店網「アンフィニ店」でも売るなど、販売体制の見直しを進めていた。

今回の計画は、ユーノス店を4月1日から約1年かけて順次廃止。231拠点のうち約70%をファミリアやRV(多目的レジャー車)などを扱う「アンフィニ店」(約600拠点)に統合、4月から「マツダアンフィニ店」に改称する。

さらに、残り約20%は「マツダ店」(約660店)、約10%は「フォード店」(約310拠点)に統合する予定。《共同通信》

【橋本龍太郎首相】施政方針演説

第136通常国会が22日召集され、橋本龍太郎首相は同日午後の衆院本会議で就任後初の施政方針演説を行った。

首相は「変革」と「創造」を内閣の使命として打ち出すとともに、今国会最大の焦点である住宅金融専門会社(住専)問題に関連し、不良債権の問題解決が「経済再建と構造改革に不可欠」と指摘、厳正に対処する考えを強調しつつ、公的資金投入に国民の理解を求めた。《共同通信》

【新進党】「羽田派」旗揚げ

新進党の船田元総務会長代理ら羽田孜氏支持グループは22日夜、羽田氏と細川護熙氏を中心とする新たな政策勉強会の世話人会を都内で開いた。羽田氏らは、小沢一郎党首ら党執行部に対し、党運営、政策の画面で「監視機関」的役割を果たすと同時に「選挙互助会」(船田氏)機能も目指しており、事実上の「羽田派」の旗揚げ。来週中に政策勉強会の初会合を開き、活動を本格化させる構えで、党執行部は苦しい対応を迫られそうだ。

会合には旧新生、旧日本新党を中心に国会議員47人、代理10人の計57人が出席、羽田、細川両氏が代表世話人に就任。羽田氏はあいさつで「志を高くし、新しい政治を興すために集まった。執行部に党の在り方で批判するのは当然のことだ。未来を開くグループとして活動し、自民党のほかにもう一つの勢力をつくりたい」と決意表明した。

細川氏も「党中党をつくって乱暴なことをしようというのではない。党の在り方、政策については、注文すべきは注文する」と強調した。名称は両氏に一任されたが「興志会」などが浮上している。

勉強会は当面、住宅金融専門会社(住専)や沖縄米軍基地などの緊急課題を中心に意見交換するが、小沢党首が提唱した「10年後の消費税率10%」や「国連警察部隊創設」も批判的な立場から検討課題としていく。

一方、船田氏はあいさつで「『選挙互助会』の役割を持ちたい」と述べ、細川、羽田両氏の人気や閣僚経験者が多く参加している利点を生かして、若手や新人候補への選挙支援にも全力を挙げる考えを示した。

羽田グループの動きについて、米沢隆幹事長ら小沢氏周辺は「分派活動だ」と批判、勉強会結成を見送るよう議員に個別に働き掛けるなど警戒感を強めていただけに、今後の展開次第では党内亀裂がさらに深刻化する可能性もある。《共同通信》

【新党さきがけ・堂本暁子参院議員】北朝鮮の要請を報告

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問した新党さきがけの堂本暁子参院議員は22日の党責任者会議で、朝鮮労働党の金容淳書紀が日朝国交正常化交の再開とコメの第三次追加支援を要請したことを報告した。

堂本氏は今月13日から20日まで北朝鮮を訪問。金書記のほか、アジア太平洋平和委員会の李種革副本員長らと会談。李副委員長は、中断している韓国との南北対話について「具体的内容があるなら、ぜひ再開したい」と早期再開の意向を表明した。

与党は23日の政策調整会議で堂本氏からあらためて詳細な報告を受け、今後の対応を協議する。

記者会見した堂本氏によると、金書記は日朝国交正常化交渉について「日本との関係改善に向け、対話を再開したい」と述べた。日本からの計50万トンのコメ支援について謝意を表明し、水害によるコメ不足がまだ続いていることから「第三回の授助交渉に入ってほしい」と要請した。

一方、李副委員長は24日からの日米韓高級事務レベル会合や、米国との関係改善の動きをにらみながら、南北対話の早期再開に意欲を示したが、具体的な対話のレベルについては明確にはしなかった。《共同通信》

【政界談話室】

○・・・橋本龍太郎首相は22日、中曽根康弘元首相に就任あいさつ。中曽根氏に「これは佐藤(栄作)元首相の形見に頂きました」とカフスボタンを披露。記者団にも「今日は国会初日だし、記念だから着けてきた」と解説した。この後タイからの帰国報告で、首相官邸を訪れた中曽根氏は「7党連立のタイの首相によると、連立の秘けつは『忍耐と妥協』だそうだ」とアドバイス。橋本首相は「なるほどなあと思ったよ」と感心してみせたが、アドバイスと故佐藤首相のお守りで波乱の予想される通常国会を無事乗り切れるか。

○・・・社会民主党の佐藤観樹幹事長はこの日昼の記者会見で「社会民主連合の幹事長になった佐藤です」と自己紹介。記者団から党名を間違えたことを指摘されると慌てて言い直す始末。しかし持ち前の明るさで笑い飛ばし「党本部の看板も替えるよう手配している。電話交換も大会後直ちに『社会民主党です』と言うようになった」と説明。さらに「皆さんとはなるべく長くお付き合いできれば幸いだ」と幹事長職に長くとどまりたいとの意向も強調した。佐藤氏は「党名変更だけでは不十分」と主張する新党推進派の代表格だが、書記長から職名変更された幹事長のイスは座り心地満点?《共同通信》

【ドジャース・野茂英雄投手】2年目も万全

「コンディションづくりは順調。2年目のジンクスは全く気にしていない。昨年以上にいい投球をしたい」。昨シーズン、米大リーグに「NOMO」旋風を巻き起こし、ナ・リーグ新人王となったドジャースの野茂英雄投手が22日、ドジャースタジアムで記者会見、今季への抱負を語った。

ニューヨークで行われた新人王表彰式の帰路、ロサンゼルスに立ち寄った野茂は紺のブルゾンにベージュのスラックスというラフなスタイル。「ともかく一年前は、メジャー入りが目標だった。ことしは最初から自分が大リーガーなんだと自覚してやらなければ…。周囲の見方も全く違う。ファンをがっかりさせる試合はできない」と、一言ずつ考えながら話した。

会見場には地元や日本の報道陣ら100人近くが集まった。「英語も勉強しているけど、進歩はなかなか」と苦笑。通訳を通して、いささかぶっきらぼうないつもの口調で質問をさばいた。

オリックスの長谷川ら野茂に続こうとする日本選手の大リーグ挑戦が、日本の野球協約で制約を受け、進まないことには表情を曇らせ「話し合って決着をつけて欲しい」。注目の契約更改については「話を進めているが、これから」とかわした。

約30分の会見を終えるとそそくさと姿を消したが、これには立ち会ったラソーダ監督が「話があったのに。ただ来て帰るなんて。信じられない」と不満をもらす一幕も。野茂はいったん日本へ戻り、来月のキャンプ入りに合わせ再渡米する。《共同通信》

【故・横山やすしさん】西川議員ら弔問

21日死去した漫才師、横山やすしさん(51)の大阪府摂津市の自宅には22日、長男でタレントの木村一八さんが東京から帰宅したほか、元コンビの西川きよし参院議員や師匠の横山ノック大阪府知事ら多くの関係者が次々と弔問に訪れ、帰らぬ“天才漫才師”を悼んだ。

やすしさんの遺体は22日午後から大阪府高槻市の大阪医大病院で解剖されるが、家族や関係者によると、その晩年は、天職だった漫才の舞台に立てないうっぷんを酒にぶつけるかのような日々だった、という。

横山さんが、不祥事などで所属の吉本興業を解雇されたのが平成元年。4年夏には外出先で何者かに殴られて脳挫傷の大けがを負い3カ月の入院、頭のけがは治ったが言語障害が残った。その後も、「酒をやめろ」という周囲の声にも「死んでもかまへん」と飲み続けた。

西川きよし氏は「体を治して漫才をやろう」と励まし続け、横山ノック氏の進言で啓子夫人とともに三重県の民宿にこもったこともあったが、「やはり酒は断てなかった」(ノック氏)。

近年も、腹水がたまる症状で入退院を繰り返したが、ビールだけは離さなかったという。夫人は「以前から肝硬変と言われていたが、ここ10カ月ほどは腹水もたまらず落ち着いていた。21日に具合が悪いと言うので、休日明けに病院へ行こうとした矢先でした」と肩を落とした。《共同通信》



1月22日のできごと