平成1958日目

1994/05/19

この日のできごと(何の日)

【自民党・森喜朗幹事長】羽田内閣、予算成立まで

自民党の森幹事長は19日夕、東京都中野区で開かれた「政権奪還アクションプログラム」の街頭演説で平成6年度予算の成立について「6月末では難しく。7月末ごろになるだろう」との見通しを示した。その上で「羽田首相の役割は予算を上げることだけで終えてもらいたい」と述べ、予算成立後に倒閣に追い込む考えを重ねて強調した。

森氏は「自民党は反省しており、やはり自民党でなければだめだと言われるよう精進しているところだ」と謙虚な姿勢を打ち出しながらも、連立内閣について「衆院の3分の1、参院の4分の1しかない勢力が羽田内閣を作っている」と語り、6年度予算が成立した後、退陣を求める姿勢を鮮明にした。

自民党幹事長が選挙応援以外で街頭に立つのは珍しく、内閣不信任案提出の構えをみせるなど国会で攻勢に転じようとするのを機会に、世論を見方につけたい党首脳の意気込みを示すものとなった。《共同通信》

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【大相撲夏場所】12日目

大相撲夏場所12日目(19日・両国国技館)横綱曙がこの日から休場。大関貴ノ花が平幕の大善を力強く寄り切って1敗を堅持、単独トップに立った。大関貴ノ浪は先場所に続いて小結寺尾の下手投げに不覚を取り、3敗となって優勝争いから後退。大関武蔵丸は安芸ノ島を突き出して10勝2敗とし、首位の貴ノ花を1差で追う。関脇は武双山が小城錦を破り、曙の休場で不戦勝となった琴錦とともに7勝5敗。十両は小城ノ花が敗を守り依然トップ。《共同通信》

【羽田孜首相】週刊誌報道を否定

羽田首相は19日昼、先の欧州歴訪の際、池田創価学会名誉会長からローマ法王ヨハネ・パウロ二世にあてた親書を伝達した、と報じた「週刊文春」の記事について「一国の首相が宗教団体の親書を持っていくなんてあり得ないことだ」と全面的に否定した。また首相は「いくら報道の自由といってもこんなこと書いていいのか」と厳しく批判した。《共同通信》

【政界談話室】

○…自民党小渕派の総会が19日開かれ、大蔵省の斎藤事務次官が講師として招かれた。しかし財政計画などの講演部分はわずか10分程度。その後は「国民福祉税のいきさつは」「公共科金値上げ見送りの舞台裏は」などの質問攻めに遭い、さすがの“強腕次官”も「福祉税に深く関与したことはない。私が関与していれば7%の税率の根拠を(前首相も)説明できたはず」「値上げ見送りの話は、昨夕初めて知った」と防戦一方。最後には「私は小沢氏(新生党代表幹事)と親しいと言われているが、小渕さんとのほうがもっと親しい」と堂々と発言し、官僚のしたたかさを見せつけていた。

○…野末陳平参院議員はこの日、国会内で新生党入党の記者会見。「これからは増税や年金の支給年齢引き上げという国民にとって嫌なことをやらなければ政治が前に進まない」と決意を語り、自分で作った税制改革私案を記者団に配ってPRに努めた。野末氏は今年2月には自民党を離党。「日の出の勢いのようなところより、苦しいところでやるほうが合っている」と少数与党に加わった理由を述べたが、「自民党へ行ったのは選択を間違えたかなという感じもある」。与党から与党へ渡り歩く後ろめたさも?《共同通信》

【ジャクリーン・ケネディ・オナシスさん】死去

1963年に暗殺されたケネディ米大統領の夫人だったジャクリーン・ケネディ・オナシスさんが19日、リンパ腺がん」のためニューヨーク市内の自宅で死去した。64歳だった。

1929年7月28日、米ニューヨーク州サウスハンプトン生まれ。父親はフランス系米国人で、ウォール街で財を築いた富豪。バッサー女子大に学び、49年ソルボンヌ大留学後、51年ジョージワシントン大卒。ワシントン・タイムズ・ヘラルド紙(現在のワシントン・ポスト紙)で記者を勤めた後、53年9月、当時のケネディ上院議員と結婚した。

61年、43歳でケネディ氏が大統領に就任した時は31歳。美ぼうのファーストレディーとしてマスコミの注目を浴び、「ジャッキー」の愛称で国民に親しまれた。

63年11月、遊説先の米テキサス州ダラスで、オープンカーに乗ってパレード中、隣に座っていた夫が凶弾に倒れ、悲劇の主に。その後は社交界の花形として常にマスコミに話題を提供。68年10月、ギリシャの海運王で大富豪オナシス氏と再婚し、世間を驚かせた。75年にオナシス氏と死別し、ばく大な遺産を相続した。

その後はニューヨークを拠点に、出版社バイキング・プレス、ダブルデーなどの編集者として活動、派手な社交生活を避け、静かな生活を送っていた。ことし初めに入院、何度か入退院を繰り返し、18日に本人の希望で、自宅に戻っていた。《共同通信》



5月19日 その日のできごと(何の日)