平成1791日目
1993/12/03
この日のできごと(何の日)
【巨人・松井秀喜選手】初の契約更改
840万円から一気に1900万円にアップ–。巨人の松井秀喜選手(19)=星稜高出身=が3日、東京・内神田の球団事務所で保科球団代表と契約更改交渉し、今季の840万円の約2.3倍の年俸1900万円で契約を終えた。松井選手は高校出の新人としてはセ・リーグ最多の11本塁打を記録、ペナントレース後半は三番を打ち、巨人の中軸バッターにふさわしい活躍を続けた。
優勝争いから早々と脱落した巨人にあって一人気を吐き観客動員に貢献、地元ファンからは「もっともらっても」の声が上がるほど。本人も希望額の2000万円に届かず渋い表情だ。それでも「来年は30本前後打ちたい」ときっぱり飛躍を誓い、ファンから「精進を重ねて早く1億円の大台に」のエールが飛んだ。(金額は推定)《北國新聞》
昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。
情報量が少ない日は随時加筆中です。
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外国の方のお名前、地名などは現時点で一般的に通じるものに書き換えています。(例・ロシアのプーチン氏はかつてプチン氏と表記されていました)
古い記事の多くは「書き写し」のため、誤字脱字が多数あります。見つけ次第修正しています。
【プロ野球・巨人】屋鋪要外野手の入団を発表
巨人は3日、東京・内神田の球団事務所で横浜を自由契約になった屋鋪要外野手(34)の入団を発表した。
屋鋪は現状維持の年俸4800万円で契約し「またユニホームを着ることができてよかった。持ち味である守りと足をフルに生かして、一番バッターで130試合出場が目標」と抱負を語った。背番号は「00」を希望している。《共同通信》
【プロ野球・西武】移籍3選手の入団発表
西武は3日、所沢市内の球団事長所で、交換トレードでダイエーから獲得した佐々木誠外野手(28)=180センチ、83キロ、左投げ左打ち、村田勝喜投手(24)=180センチ、72キロ、右投げ右打ち、橋本武広投手(29)=167センチ、73キロ、左投げ左打ち=の入団を発表した。3選手はこの日、佐々木が2200万円増の年俸1億2000万円、村田が2000万円増の7200万円、橋本が370万円増の1200万円で来季の契約を済ませた。背番号は3人とも未定。
11月16日に電撃的に発表された西武の秋山、渡辺智、内山との大型交換トレード。緊張した面持ちで会見に臨んだ3人だが、佐々木は「森監督から“何をしにきたんだ”と言われないように頑張りたい。日本シリーズでMVPを取りたい」と力強い抱負を口にした。ダイエーのエースとして3年連続2けた勝利を挙げている村田も思いは日本シリーズ。「先発ローテーションに入って、シリーズではヤクルトを相手に投げたい」と、日本一へのあこがれを話した。《共同通信》
【細川護熙首相】中西発言を陳謝
衆院予算委員会は3日午前10時半から開会、中西前防衛庁長官の憲法見直し発言による審議空転から丸一日ぶりに正常化し、審議を再開した。
細川首相は冒頭、中西発言に関連し「課題山積の折、委員会が混乱した事態を改めておわびする」と陳謝した。さらに(1)細川内閣としては憲法改正を政治日程に乗せることは考えていない(2)国務大臣は内閣の方針に従うのは当然で、誤解を生じないよう慎重に対処すべきだ(3)委員会審議に迷惑をかけたのは遺憾であり、今後こうした事態が生じないよう内閣として徹底したい–と発言した。
午前中の質疑では、前日に引き続き自民党の白川勝彦氏が質問に立ち、中西氏辞任の経緯などについて政府側の見解をただした。首相は中西氏辞任の理由について「内閣の方針に誤解を与えるような発言があった」と、中西発言が閣内不一致と受け取られかねない内容だったことを認め「不穏当、不適切だった」として国会軽視にもつながる恐れがあった点にも触れた。
武村官房長官は中西発言に関し「政治家個人の発言」と答弁したことを説明し「閣僚としての発言ではなく、政府としては問題は収まった」との認識を示した。《共同通信》
【石川県・中西陽一知事】12月議会を欠席
中西知事は3日、病気療養に専念するため6日開会の県議会12月定例会を欠席し、議会会期中に限り谷本副知事を職務代理者に据えることを杉本出納長に伝えた。職務代理者はこれまで、中西知事の海外出張中に置かれたケースはあったが、知事の健康問題を理由に、しかも議会中に設置するのは初めてとなる。
中西知事が入院する県立中央病院に杉本出納長が出向き、知事の意向を確認した。記者会見した杉本出納長によると、中西知事は12月定例会の対応について「大変残念で申しわけないが、欠席させていただきたい」と述べた。そのうえで、17日の同定例会閉会までに限り谷本副知事を職務代理に充て「議会審議に適切に対応してもらいたい」と伝えた。職務代理の設置を議会中に限ったことについて杉本出納長は「知事は判断はできるが、言葉がまだ議会答弁に耐えられる状態でなく、体力的にも難しいという物理的な理由だ」と述べた。
ただ、中西知事の職場復帰に関しては、「一日ごとに回復に向かっているが長い病床生活で体力が低下している。リハビリを重ね、心身ともに回復してからになる」と答えるにとどまり、復帰のめどは明らかにしなかった。
県は6日の議会本会議前に開く議会運営委員会に知事の意向を諮り、議会側の了解を得る。県によると職務代理の設置は手続き上、7日からとなり、6日の本会議で行われる知事提案理由説明は、谷本副知事が代読する形となる。中西知事は10月2日に硬膜下血腫のため頭部を手術し、同4日の県議会予算特別委員会の質疑中に言葉を詰まらせ、そのまま県立中央病院に入院した。
大家他喜雄同病院長によると、入院中に併発した気管支ぜんそくは小康状態に入り、現在は集中治療室で治療を受けながらリハビリを始めている。《北國新聞》
【磯田一郎さん】死去
住友銀行の元頭取で経団連副会長も務めた磯田一郎氏が3日午前11時39分、心不全のため大阪府茨木市の藍野病院で死去した。80歳。熊本市出身。
昭和52年に頭取就任以来、「向こう傷は問わない」との積極経営で、同行をトップバンクの座に押し上げた。58年に会長となった後も影響力は衰えず、後任の小松康頭取を任期途中で“解任”するなど“住銀の天皇”として君臨。伊藤忠商事などに吸収合併された大手商社、安宅産業の処理、旧平和相互銀行合併などに手腕を発揮した。
しかし行き過ぎた収益至上主義が住銀・イトマン事件や、仕手集団「光進」に対する不正仲介事件などを引き起こし、平成2年に会長を引責辞任した。この間、経団連副会長や日本ラグビーフットボール協会会長などの公職も務め、昭和59年には勲一等瑞宝章を受けた。
平岩外四経団連会長 磯田さんは、経団連副会長時代、財政金融委員長として活躍、増税なき財政再建のため多大な尽力をした。私も同じ副会長としていろいろご指導をいただいた。今は、心からごめい福を祈るばかりです。《共同通信》