平成1250日目

1992/06/10

この日のできごと(何の日)

【日本新党】6人の公認発表

日本新党の細川護熙代表は10日午後、都内に開設した党本部で記者会見し、夏の参院選比例代表の第2次公認候補として、現代政治分析センター代表の松崎哲久氏(42)、プロテニスプレーヤー佐藤直子さん(37)ら6人を発表した。これで候補者は第1次分と合わせて計10人となった。細川氏は「最終的には16〜20人になる」と述べ、来週中に第3次候補者を発表する意向を表明した。

細川氏自身の出馬の可能性については「衆院、参院選挙区、比例代表のあらゆる可能性を否定しない」と明言を避けた。《共同通信》

昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。

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【加藤紘一官房長官】外相交代せず

加藤官房長官は10日の記者会見で、堪能胆管結石の手術を受け入院中の渡辺外相の先進国首脳会議(ミュンヘン・サミット)出席問題について「国会が終わった段階で首相もいろいろ考えると思う」と述べ、宮澤首相が今国会終了後にサミット出席のための外相臨時代理を指名するとの見通しを示した。

また加藤長官は、入院が長引いた場合の渡辺外相の進退について「渡辺副総理兼外相という骨格は崩さない。回復を待ってカムバックしてもらうというところは変わらないと思う」と述べ、当面外相の交代は考えないことを重ねて強調した。《共同通信》

【PKO法案】衆院委質疑入り

衆院国際平和協力特別委員会(林義郎委員長)は10日午前、国連平和維持活動(PKO)協力法案の自民、公明、民社3党による再修正案と、国際緊急援助隊派遣法改正案に対する実質審議を開始、午前中は自民党の船田元氏が質問に立った。 答弁の中で宮澤首相は、参院で行われた再修正について、「政府原案の基本的な考え方と枠組みを維持しつつ、一層、広範な国民の理解と支持を得るために再修正案を提出した、という発議者の意見の通りだ」と述べ、再修正の内容が、政府原案の枠組みを変えるものではないとの考えを強調した。

自公民3党は、12日の衆院本会議で、両法案の可決、成立を図るためには、遅くとも11日までに同委員会での採決を終える必要があることから、採決のタイミングを計っている。 これに対し、社会、共産両党は、10日夜の採決もあり得るとして警戒感を強めている。このため、午後の質疑で再修正案の問題点について徹底審議を要求。併せて、加藤紘一官房長官の鉄骨加工メーカー「共和」からの「資金提供問題についての真相解明を求めて自公民3党を揺さぶり、採決阻止の構えを見せている。

社会党の田辺委員長は10日午前、国会内で開かれた同党代議士会で、国連平和維持活動(PKO)協力法案をあくまでも廃案に追い込む考えを強調したうえで、「宮澤内閣は国民の信託にこたえる内閣ではなくなった。最優先で扱うべき決議案の提出時期が迫っている」と述べ、内閣不信任案を提出して、衆院解散に追い込む方針を公式に明らかにした。 田辺氏はさらに、自公民3党が社共両党の反対を押し切ってPKO法案の委員会審議入りに踏み切ったことについて、「国会のルールを無視した暴挙」と強く非難し、「こうした事態の中で宮澤首相がどう考えるか真意をただすため、早急に党首会談を開くよう申し入れる」と語った。《読売新聞》

【タイ】暫定首相にアナン氏

タイのアーチット・ウライラット下院議長(国会議長代行)は10日夕(日本時間同日夜)、アナン・パンヤラチュン元首相を次期首相候補としてプミポン国王に奏上、国王もこれを了承し、アナン氏が第20代首相に決まった。一方、タイ国会は同日午後、上下両院合同で憲法改正最終読会を開き、民主勢力などから要求の出ていた「首相は民選議員とする」など4項目の改正案を最終的に可決した。数日中にも官報に掲載される。アナン氏は民選議員ではないが、改正憲法が官報に掲載される前の指名で、改正前の憲法が適用されるため、憲法に抵触しない。

アナン氏の登場は、親軍部6政党の統一候補ソンブン・ラホン・タイ国民党党首が指名されるとの大方の予想をくつがえすもので、国民融和を願うプミポン国王の強い意志が働いたとの見方が有力だ。

首相指名の知らせを受けたアナン氏は同夜記者会見し、「指名は受諾した。私の役割は近い将来、自由かつ公正な選挙を組織することになる。国会を2、3週間以内に解散し、総選挙は約4か月後になるだろう。新内閣は5、6日かけて作るが、政治家は入閣させない」と語り、選挙管理の暫定首相として受け入れたことを明らかにした。《読売新聞》

【作曲家・中村八大さん】死去

「黒い花びら」「上を向いて歩こう」など、数々のヒット作で知られる作曲家の中村八大さんが10日午後7時5分、心不全のため、東京都新宿区の東京女子医大病院で亡くなった。61歳。

中村さんは中国・青島生まれ。9歳からピアノを始め、早大在学中にジャズ・ピアニストとしてデビューした。中退してプロ活動に専念、昭和33年には中村八大モダントリオを結成し、ジャズ黄金時代を築いた。昭和34年、永六輔さんとのコンビで生まれた「黒い花びら」が、第一回日本レコード大賞を受賞、その後も次々とヒットを生み、「六・八コンビ」と呼ばれた。36年からは、NHKテレビのバラエティー番組「夢であいましょう」の「今月の歌」を担当。この番組の中で、60年8月の日航ジャンボ機墜落事故で亡くなった坂本九さんが歌った「上を向いて歩こう」は、国内はもちろん、海外でも「スキヤキ・ソング」として親しまれ、日本を代表する歌の一つとなった。以来、3人は、「六・八・九トリオ」として、テレビのバラエティーショーなどで活躍した。

42年には、大阪・万国博覧会(45年開催)のテーマソング「世界の国からこんにちは」を作曲、三波春夫さんの歌声で明るいメロディーが全国に流れ、国民的作曲家の地位を不動のものにした。

音楽の領域は幅広く、四十五年には初のクラシック作品「交響曲」も発表、才能の豊かさを印象づけた。

「ウイスキーを2日で1本あける」ほどの酒豪だっ一たが、十数年前、失明を宣告されるほどの糖尿病にかかり、音楽活動から遠のいた。その後、節制した生活で健康を取り戻し、60年3月には、東京・渋谷のジァン・ジァンで「六・八コンビ」復活のライブレコーディングコンサートを開き、ファンを喜ばせた。

昨秋、第一回古関裕而記念音楽祭で第一席の金賞を獲得、「昨年、肝臓の手術後に突然やる気が出た。昔のような創作活動を再開する」と張り切っていた。

今年1月、東京・渋谷で、自身の音楽生活50周年と、永六輔さんの放送生活40周年を記念するバラエティー形式のコンサート「あの歌この頃・夢であいましょう」を開催、「夢であいましょう」の復活として話題を呼んだ。中村さんは持病の糖尿病が悪化し、この2年間に2回にわたって肝臓の一部を摘出する手術を受けたが、その後もコンサートや作曲の仕事を続けていた。しかし、容体が悪くなり、今年2月上旬に再び入院。病床でも仕事への意欲は衰えず、この夏に開く予定だった野外コンサートを楽しみにしていたという。

悲報を聞いて同夜、中村さんの自宅に弔問に駆けつけた永六輔さんは「つらいです。しかし、奥さまは気丈にしていらっしゃいました。きょうの昼過ぎに病院で『八大さん』と声をかけたのが最後になりました」と気落ちした様子だった。《読売新聞》



6月10日 その日のできごと(何の日)