平成1041日目

平成3年11月14日(木)

1991/11/14

【宮沢喜一首相】リクルート事件「3点セット」提出へ

宮沢首相は14日の衆院予算委員会で、3年前に自ら副総理兼蔵相を辞任する原因となったリクルート事件との関係を明確にするため、株式売買約定書など「3点セット」を国会に提出する考えを明らかにした。

これは社会党の山花貞夫氏の質問に答えた。予算委理事会ではこれら資料の提出について自民党側が関係する第三者の了承を得る手続きが必要、として12月に予定されている補正予算案審議の予算委までの提出を回答したが、一時紛糾。結局、山村予算委員長が「次回の予算委までに資料を委員長に提出し、委員長がこれを預かる」と提案、山花氏が納得したため審議は再開した。《共同通信》



【APEC】閉幕

ソウルで開かれていたアジア・太平洋経済協力閣僚会議(APEC)の第3回閣僚会議は14日、三日間にわたる討議を終え、共同声明を採択して閉幕した。

共同声明は、「アジア・太平洋域内で関税・貿易一般協定(ガット)に合わせ、貿易自由化を追求することは多角的な貿易体制を強力に補完する」とうたい、APECが開鍵的な地域ブロック化を避け「開かれた多角的自由貿易制度」を目指すものであることを強調。そのためにも新多角的電易交渉(ウルグアイ・ラウンド)の成功を「死活的に重現」と指摘、同ラウンドの終結後に、「その成果を評価する易政策にかかわるAPECの開催が望ましいと明記している。

また、日本が提案したアジア・太平洋地域の相互依存関係や経済構造に関する分析調査の実施については、「歓迎する」と盛り込まれた。

主要テーマだったAPECの常設事務局設置や加盟国の分担金拠出方法の取り決めについては、結論を持ち越し、来年9月ごろ、バンコクで予定される次回会合での決定を目指し、高級事務レベル協議に検討をゆだねることになった。

ソ連、メキシコ、ペルー、インドなど8か国の新規参加問題も、「まず現在の15か国・地域で組織の基礎固めをすべきだ」との意見が日本などから出され、結論を見送った。《読売新聞》

【大洋デパート火災】最高裁、元役員らに逆転無罪判決

昭和48年11月、死者104人、負傷者67人を出し、デパート火災史上最悪規模の惨事となった熊本市の大洋デパート火災で、業務上過失致死傷罪に問われたデパート経営会社の元役員ら3被告の上告審判決で、最高裁第一小法廷の大堀誠一裁判長は14日「業務上の過失はなかった」として2審の有罪判決を破棄、3被告を無罪とした。

判決は多人数を収容する建物の防火管理責任は代表取締役にあり、取締役会は代表取締役が業務を遂行できないような場合に限り過失責任を負う」などの初判断を示し「惨事を招いた防火管理体制の不備は死亡した社長の責任」と経営トップの過失責任を明確に打ち出した。《共同通信》

【シアヌーク殿下】13年ぶりに祖国へ

カンボジア最高評議会(SNC)議長のノロドム・シアヌーク殿下は14日午前10時50分すぎ、北京から中国政府の特別機でプノンペン郊外のポチェントン空港に到着、祖国への歴史的な帰国を果たした。1979年1月、ベトナム軍侵攻によるプノンペン陥落で北京に脱出してから約13年ぶり。

殿下はにこやかな表情で、顔の前で合掌しながらタラップを降り、空港で待ち受けたチア・シム人民党議長らプノンペン政府、党要人、各国外交関係者ら約2200人の盛大な歓声に答えた。

殿下は報道陣に「とても幸福だ。素晴らしい」と第一声。ともに帰国したフン・セン首相と並んでオープンカーに立ち、十数万人の人波で埋まった沿道の市民に手を振りながら旧王宮まで市内をパレードした。《共同通信》

【グリコ・森永事件】「ハウス恐喝」時効に

グリコ・森永事件(警察庁広域指定114号)で、犯人グループが昭和59年11月14日、京都府から滋賀県にかけての名神高速道路を舞台にしたハウス食品工業1億円恐喝未遂事件が、14日午前0時、公訴時効になった。

同事件は同年3月の江崎グリコ社長誘拐に始まり、多くの食品企業を不安に巻き込んだ一連のグリコ・森永事件の中で捜査側にとって犯人逮捕の最大のヤマ場となったが、滋賀県警のパトカーが犯人を取り逃がした。

来年3月には不二家、駿河屋など一連の企業恐喝未遂事件が時効になる。あとは社長の身代金目的誘拐(公訴時効10年)、青酸混入菓子ばらまきによる殺人未遂事件(同15年)など8件だけになる。《読売新聞》

【大相撲九州場所5日目】小錦1敗死守

大相撲九州場所5日目(14日・福岡国際センター)勝ちっ放しの新入幕2力士のうち、大善は敗れたが、貴ノ浪は大翔山の寄りを残して勝ち、ただ一人初日から5連勝。

上位陣は安泰で、北勝海は貴花田を一気に押し出し、小錦もがっぷり四つの力相撲から、曙を寄り切った。若花田は水戸泉に体力負けして2敗。《読売新聞》



11月14日のできごと