平成997日目

1991/10/01

この日のできごと(何の日)

【日本ハム・近藤貞雄監督】勇退表明

日本ハムの近藤貞雄監督は1日、東京ドームで行われた近鉄との本拠地最終戦終了後、今季限りで勇退することを表明した。

2日が66歳の誕生日という球界最長老監督は「ファンを非常に失望させ申し訳ない。Bクラスになった時点で辞めるべきだと考えた」と成績不振による決意を明らかにした。さらに「もうユニホームは着ないだろう」と語り、今後はネット裏での評論活動を行う。この日までの監督(代行を含む)としての通算成績は470勝516敗58分け。

同監督は中日、ロッテなどの投手コーチを経て、1982年、監督就任2年目で中日をリーグ優勝に導き、85、86年に大洋監督を努めた。89年に日本ハム監督に就任し、2年目は勝率5割を超えながら4位。今季は持ち前の「ダンディー野球」を捨てると宣言して上位を目指したが、1日現在53勝67敗4分けで既に3年連続の4位以下が決まっている。《共同通信》

昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。

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【庄内空港】開港


https://ameblo.jp/shonai-airport/

【サンクトペテルブルク】ソ連・レニングラードが改称

ソ連の革命発祥の地、レニングラードは1日から、帝政時代の呼び名である「サンクトペテルブルク」に改称される。

今春の住民投票で改称支持が多数を占め、8月のクーデター事件後に正式決定、市名からレーニンの名が消えることになった。《共同通信》

【衆院】永年在職16人を表彰

衆院は、1日午後の本会議で、在職25年に達した永年在職議員として坂本三十次官房長官、加藤六月・自民党政調会長、リクルート事件で公判中の藤波孝生・元官房長官ら計16人を表彰することを決定、このあと桜内議長が議長サロンで表彰状を各議員に手渡した。

藤波議員の表彰については同日午前の議院運営委員会理事会で、社会党が「公判中なので藤波氏からの辞退を希望する」と求め、その後の同委員会では共産党が「判決が明らかになるまで先送りすべきではないか」と異論を唱えたが、最終的に全会一致で了承された。《読売新聞》

【海部俊樹首相】政治改革「灯消さぬ」

海部首相は、1日午前の閣議後の閣僚懇談会と衆院国際平和協力特別委員会での答弁で、前日の衆院政治改革特別委理事会で政治改革関連3法案の廃案が決定したことについて、政治改革の灯を消さないため、与野党協議機関の設置などに全力を挙げる考えを強調した。廃案決定を受けて、首相が前日「重大な決意」を表明したことに対しては、さまざまに取りざたされているが、自民党の小渕幹事長は1日午前の宮澤喜一・元副総理との会談で、「与野党協議機関が野党の反対で出来なければ、国民の信を問うことだ」と説明した。

閣僚懇談会で首相は、「自民党の四役、政治改革本部幹部と協議し、与野党協議機関の設置など、政治改革の灯を消さないよう、当面全力を挙げることを申し合わせた」と報告。そのうえで、「政治改革は、海部内閣が不退転の決意で臨んできた最大の課題であり、自民党も政治改革大綱を策定した原点に返り、実現に向けて強い決意をしている」と述べ、改めて各閣僚に協力を要請した。

これに対し、中山太郎外相が「政治改革の実現は国民が期待していると強調、橋本龍太郎蔵相も「首相の決意には全く異存はない」などと呼応し、内閣が一致結束して与野党協議機関の設置などによる政治改革実現に向けた努力を継続していくことを確認した。

さらに、首相はこのあと開かれた衆院国際平和協力特別委員会での答弁で、「重大な決意」について、「海部内閣は政治改革を進めることを最も重大な政治課題として出発した内閣で、不退転の決意で(政治改革を)進めてきた」と強調、「法案の取り扱いについて、(廃案という)あのような姿をみて、政治改革をさらに前進させて行くために、重大な決意を持って取り組んでいくと言った。今後とも政治改革の灯を消さないで、政治改革を進めて行くという強い決意の表れだ」と述べた。町村信孝氏(自民)の質問に答えた。《読売新聞》

【海部俊樹首相】「重大な決意」を封印

海部首相は1日、前夜の政治改革関連法案の廃案決定を受けて思わず表明した衆院解散・総選挙も辞さないとの「重大な決意」発言の波紋が党内外に広がらないよう極力務めた。

決着の「落とし所」と言われてきた与野党協議機関の設置問題を公式の場で初めて言及、「あの発言は反対派に対するブラフ(脅し)だった」(政府筋)との見方を裏付けるような形となった。《共同通信》



10月1日 その日のできごと(何の日)