令和223日目
2019/12/09
この日のできごと(何の日)
【安倍晋三首相】改憲「私の手で」
安倍晋三首相は9日、第200臨時国会の閉会に合わせ官邸で記者会見を行い、憲法改正について「たやすい道ではないが、私の手で成し遂げたい」と述べ、令和3年9月末の自民党総裁任期満了までの実現を目指す考えを重ねて示した。「国民的意識の高まりを無視することはできない」とも語り、来年1月召集の通常国会での憲法改正原案策定に意欲を示した。
衆院解散・総選挙の時期については、来年4月19日の立皇嗣の礼を含め「(天皇陛下の)即位に関わる一連の儀式をつつがなく行うために万全を期す」とした一方、「国民の信を問うべき時が来たと考えれば、断行することに躊躇はない」と語った。
来春に予定している中国の習近平国家主席の国賓来日をめぐり、中国公船による尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺への領海侵入や相次ぐ日本人拘束などを受け自民党内に反対論があることに関し「さまざまな声があることは承知している」と述べた。その上で「アジアの平和に果たすべき責任を習氏と共有し、その意思を明確にすることが求められている」と理解を求めた。懸案について「中国の前向きな対応を強く求めていく」とも強調した。
立憲民主党などの野党は9日、「桜を見る会」の問題などを追及する必要があるとして大島理森衆院議長に会期の40日間の延長を申し入れたが、衆院議院運営委員会は否決した。野党は内閣不信任決議案の提出も検討したが、国会閉会中に内閣委員会理事会で桜を見る会の問題を扱うことを条件に、提出を見送った。
67日間に及んだ臨時国会では、政府・与党が最優先した日米貿易協定を含め政府提出の14法案・2条約が成立したが、憲法改正の手続きを定めた国民投票法改正案は成立が見送られた。《産経新聞》
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【東海道新幹線男女3人殺傷事件】無期懲役を求刑
東海道新幹線で昨年6月、乗客の男女3人が殺傷された事件で、殺人や殺人未遂の罪に問われた小島一朗被告(23)の裁判員裁判の論告求刑公判が9日、横浜地裁小田原支部(佐脇有紀裁判長)であり、検察側は「一生刑務所に入りたいという身勝手な動機による凶悪な無差別殺人だ」として無期懲役を求刑した。判決は18日に言い渡される。
検察側は論告で「走行中の新幹線内での事件で、誰もが被害者になり得た悪質な犯行態様だ」と指摘。凶行を止めに入った男性に馬乗りになり78カ所の傷を負わせ殺害しており、「極めて強固な殺意に基づく残虐な犯行で、反省の態度はみじんもない」と非難した。《共同通信》
【東京株式市場】
週明け9日の東京株式市場は、米国経済の堅調さを好感した買い注文が優勢となり、日経平均株価(225種)は3営業日続伸した。
終値は前週末比76円30銭高の2万3430円70銭。東証株価指数(TOPIX)は8.71ポイント高の1722.07。出来高は約10億8518万株だった。《共同通信》
【バドミントン・桃田賢斗選手】年間最優秀選手に
世界バドミントン連盟(BWF)は9日、中国の広州で今季の表彰選手を発表し、男子シングルス世界ランキング1位の桃田賢斗(NTT東日本)が男子の年間最優秀選手に選ばれた。桃田は「すごくうれしいし自信になる。たくさんの方のサポートのおかげ。これからも感謝の気持ちを忘れずに頑張りたい」と喜びを語った。
今季は世界選手権2連覇達成を含め、国際大会で10度優勝した。圧巻の成績を残し「まぐれでは10回優勝はできないけど、これに満足することなく、もっともっと上を目指していく」とさらなる成長を期した。
桃田は11日からワールドツアー・ファイナルに臨む。《共同通信》
【プロ野球・広島】新入団選手を発表
広島は9日、広島市内のホテルで育成を含む新人選手の入団記者会見を行った。エースナンバーの背番号18のユニホームに袖を通したドラフト1位の森下暢仁投手(22)=明大=は「いち早くチームにとけ込んで活躍したい」と高揚感をにじませた。
18番は前田健太投手が米大リーグのドジャースに移籍した2016年から空き番号となっていた。球団の期待の表れに、森下は「本当に重みのある番号」と表情を引き締めた。自身もかつて18番を背負った佐々岡真司新監督は「即戦力ピッチャーが欲しい、というところから(ドラフトが)始まった」と話し、1年目からの貢献を望んだ。《共同通信》
【プロ野球・ロッテ】新入団選手を発表
ロッテは9日、東京都内のロッテ本社で育成2人を含む新入団7選手の入団記者会見を行い、ドラフト1位の佐々木朗希投手は「(米大リーグ、ヤンキースの)田中将大投手が目標。日本一の投手になるために練習を頑張り、必ず沢村賞を取りたい」と抱負を語った。新入団選手は次の通り。
[ドラフト]1位 佐々木朗希投手(18)、背番号17▽2位 佐藤都志也捕手(21)、32▽3位 高部瑛斗外野手(21)、38▽4位 横山陸人投手(18)、60▽5位 福田光輝内野手(22)、40
[育成]1位 本前郁也投手(22)、120▽2位 植田将太捕手(21)、125《共同通信》
【ボクシング・協栄ジム】休会届提出
プロボクシングで具志堅用高ら13人の世界王者を生んだ協栄ジム(東京都新宿区)の金平桂一郎会長が9日、東京都内の東日本ボクシング協会にジムの休会届を提出し、受理された。ジムの実質的なオーナーと会長との金銭、地位を巡るトラブルが理由。プロ活動休止で所属選手はフリーとなり、移籍先が決まるまで試合に出場できなくなった。
両者の協議は進展せず、会長の代理人によると訴訟に発展する可能性が高いという。金平会長は「私の責任。断腸の思い」と渋い表情で語った。活動再開については「運営資金が必要。退会ではないので再開は視野に入っている」と強調した。《共同通信》
【ハビエル・アギーレさん】無罪
サッカーのスペイン1部リーグ、サラゴサの監督だった時代の八百長疑惑が原因で2015年2月に日本代表監督を解任されたハビエル・アギーレ氏に対して、スペインの裁判所は9日、「証拠不十分」で無罪とする決定を下した。AP通信が報じた。
疑惑は、11年5月のシーズン最終節で、サラゴサがレバンテを2―1で下して1部残留を決めた試合で、サラゴサ側から合計96万5千ユーロ(約1億1580万円)がレバンテ側に渡ったとされる。当時サラゴサを率いていたアギーレ氏を含む選手ら約40人が起訴された。アギーレ氏は裁判で、関与を否定する証言をしていた。《共同通信》
【ニュージーランド・ホワイト島】噴火
ニュージーランド(NZ)北部ホワイト島の火山が9日午後、噴火した。少なくとも5人が死亡し、18人が負傷した。行方不明者も多数いる模様だ。在オークランド日本総領事館は「日本人の被害情報は入っていない」としている。
NZ政府の発表によると、噴火当時、観光客ら約50人が島内や付近の海にいたとみられている。当局は23人を救助したが、9日夜、「島内に生存者はいないとみられる」と発表した。噴火直前まで火口近くを散策している人がいたとの目撃情報もある。
ホワイト島は、NZ最大都市オークランドの東約200キロ・メートルに位置する火山島で、年間約1万人が訪れる観光地となっている。《読売新聞》
【韓国政府】「旭日旗は憎悪の旗」
韓国政府は9日までに公式ツイッターに「旭日旗は憎悪の旗だ。平和の場である五輪で、応援旗として使われてはならない」と投稿した。韓国は2020年東京五輪・パラリンピックでの競技場持ち込み禁止を主張するが、日本政府は旭日旗の容認姿勢を崩していない。ツイートで韓国内の反対世論をさらに高めたい意向とみられる。
韓国政府の広報担当者によると、これまでにも「旭日旗は侵略の旗だ」と投稿。「今後も継続して政府の立場を発信していく」としており、日本政府の反発は必至だ。
韓国語で投稿された文章では「共に声を上げてください」と呼び掛けた上で、旭日旗は「日本の嫌韓デモなどヘイトスピーチの現場で使われる旗だ」と訴えた。
旭日旗はかつて日本の陸海軍旗として使用されたため、植民地支配を受けた韓国では「日本の帝国主義の象徴」と受け止める人が多い。韓国政府は国際オリンピック委員会(IOC)に働き掛けるなど一貫して反対しているが、日本政府は「日本国内で長い間広く使用されており、韓国側の指摘は当たらない」と反論している。
IOCは「五輪の時期に懸念が生じた場合には、ケース・バイ・ケースで対応する」との声明を出している。《共同通信》
【マリー・フレデリクソンさん】死去
マリー・フレデリクソンさん(スウェーデンのポップバンド、ロクセットの女性ボーカル)9日死去、61歳。長年にわたって、がんとの闘病生活を送っていた。ロイター通信などが伝えた。
ロクセットは、ペール・ゲッスルさんとの男女2人組で86年に結成されたスウェーデンの人気デュオ。ゲッスルさんは訃報を受けて「あなたは40年以上にわたって最もすてきな友人であり続けた」と語った。
ロクセットは全米1位を獲得した「THE LOOK」や、映画「プリティ・ウーマン」に使われた「愛のぬくもり」などのヒット曲で知られる。《共同通信》
【石橋政嗣さん】死去
元社会党委員長の石橋政嗣氏が9日、死去した。95歳だった。
石橋氏は1924年、台湾生まれ。台北経済専門学校を卒業し、長崎県議を経て55年に左派社会党で旧長崎2区から衆院に初当選、連続12回当選した。
飛鳥田一雄氏を継いで83年9月から約3年間、第9代社会党委員長を務めた。86年7月の衆参同日選挙で大敗した責任を取って辞任し、土井たか子氏に引き継いだ。90年2月の衆院選に出馬せず、政界を引退した。
安全保障分野の論客としても知られ、「非武装中立論」や自衛隊の「違憲合法論」を掲げた。委員長就任直後の衆院予算委員会では、非武装中立論を巡り当時の中曽根康弘首相と白熱した議論を展開した。《読売新聞》