平成3976日目

1999/11/27

この日のできごと(何の日)

【警視庁】商工ローン大手「日栄」を書類送検

商工ローン最大手「日栄」元社員による貸金業法違反事件で、警視庁生活経済課は27日、同法違反(取り立て行為規制)容疑で法人としての日栄を書類送検、同容疑と恐喝容疑でB容疑者(45)を書類送検した。同課は、同社社員の悪質な債権回収について会社上層部の指示があった疑いがあるとして、今後、松田一男社長(77)からも事情を聴いて全容解明を急ぐ。

調べでは、B容疑者は昨年4月ごろから5月ごろにかけ、日栄から720万円を借り入れていた千葉県に住む50代の元自営業者の夫婦に「親、兄弟、子供らに頭を下げて金をつくって来い。泥棒やろう」「腎臓を売れ」と要求して80万円を脅し取った疑い。

貸金業法は悪質な取り立てをした場合、社員のほか会社を罰則する規定がある。《共同通信》

昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。

情報量が少ない日は随時加筆中です。

引用記事は名前、住所など一部修正の上、抜粋してあります。

外国の方のお名前、地名などは現時点で一般的に通じるものに書き換えています。(例・ロシアのプーチン氏はかつてプチン氏と表記されていました)

古い記事の多くは「書き写し」のため、誤字脱字が多数あります。見つけ次第修正しています。

このサイトについて

【小渕恵三首相】インドネシア・ワヒド大統領と会談

新政権発足後、外国首脳としてインドネシアを初めて訪問した小渕恵三首相は27日午前(日本時間同)、ワヒド大統領とジャカルタ市内の大統領宮殿で会談した。

首相は「インドネシアの改革努力と経済回復に対する支援を今後も惜しまない」と支援を表明。両首脳は1997年の通貨危機以来落ち込んでいる日本企業の対インドネシア投資を促進するため、投資企業に最恵国待遇を確保する「投資保護協定」を両国が締結することで合意した。

今年7月のインドネシア支援国会合で日本政府が表明した総額720億円の「ソーシャル・セーフティー・ネット(社会的弱者支援)調整円借款」の早急な供与に向け、最終調整に入ることで一致。このほか、首相は①インドネシアへの経済協力の具体策を取りまとめるための政府ミッションを28日から派遣②留学生の受け入れ拡大−などの支援策を伝えた。

首相は国賓として2001年に訪日するよう大統領を招請、大統領は謝意を表明した。首相は東ティモールからの避難民支援のため、西ティモールへの航空自衛隊輸送機派遣を正式に伝達。大統領はこれを歓迎、協力を約束した。《共同通信》

【日中韓、ASEAN】アチェ独立反対確認

東南アジア諸国連合(ASEAN)は27日夕、マニラで日本、中国、韓国の首脳を交えて地域安保問題を中心に協議、独立要求が高まるアチェ特別区の問題について、インドネシアの領土保全を支持することを確認した。28日のASEAN首脳会議後に発表する議長声明に盛り込み、ASEANとして明確にアチェ独立反対の立場を打ち出す見通しになった。

小渕恵三首相も「インドネシアの安定がアジアの安定にとって必要で、日本にも重要だ」と各国首脳に同調、金大中・韓国大統領、朱鎔基・中国首相も、ワヒド・インドネシア大統領との個別会談で領土保全への支持を表明した。

ASEANとインドネシアへ強い影響力を持つ東アジア3カ国が結束して、地域大国インドネシア分裂の動きをけん制する強い姿勢を示したことになり、自治の大幅な拡大などによるアチェ問題の平和的解決を目指すワヒド大統領は、アジア諸国の支援を背景に独立派の説得に当たるとみられる。《共同通信》

【総理府世論調査】死刑制度80%が容認

一連のオウム事件など凶悪犯罪を背景に、死刑制度を認める人が5年前の前回調査より5.5%増加し約80%を占めていることが、総理府が27日発表した「基本的法制度に関する世論調査」で分かった。犯罪被害者の権利が尊重されていないと考える人は約60%に上った。

調査によると、死刑を「場合によってはやむを得ない」と容認した人は平成6年9月調査では73.8%だったが、今回79.3%に増加した。やむを得ないとする理由(複数回答)は「凶悪な犯罪は命をもって情うべきだ」(49.3%)、「廃止すれば被害者や家族の気持ちが収まらない」(48.6%)、「廃止すれば凶悪な犯罪が増える」(48.2%)、「再犯の危険がある」(45.0%)−の順。

ただ、死刑制度をやむを得ないとする人の中でも、「将来も廃止しない」56.5%に対し、「状況が変われば廃止してもよい」が37.8%を占めた。「どんな場合でも死刑は廃止すべきだ」との死刑廃止論は8.8%で、前回より4.8%減少した。

また、犯罪捜査や裁判手続きで、「被害者」の権利が「尊重されていない」が63.1%に上り、「尊重されている」の21.4%を大きく上回った。「被疑者」の権利については「尊重されている」39.3%、「尊重されていない」42.5%だった。

こうした調査結果について総理府広報室は「オウム事件や毒物カレー事件などの凶悪事件が相次いだ結果、刑事罰の在り方や被害者の救済への関心が高まったのではないか」と分析している。

調査は全国の成人男女5000人を対象にことし9月に実施。回収率は72%だった。《共同通信》

【東海北陸道】白鳥IC−荘川IC供用開始

東海地方と北陸地方を結ぶ東海北陸自動車道の一部で岐阜県内の白鳥(岐阜県白鳥町)−荘川インター(同県荘川村)間(21.9キロ)が一完成し、27日午前、開通式が開かれた。一般車両の通行は午後3時から。

日本道路公団によると、開通区間は暫定2車線で設計速度は時速80キロ。高鷲村にある鷲見橋(436メートル)は地面からの高さが118メートルあり、瀬戸大橋の与島高架橋の79メートルを一気に抜き、日本一高い道路橋となる。

今回の部分開通で高山市など観光地の多い岐阜県北部の市町村の交流促進や、スキーシーズンの一般道の渋滞緩和などが期待される。《共同通信》

【ニュージーランド】労働党が政権奪取

主要2政党の女性党首同士の争いとなったニュージーランド総選挙(一院制、定数120)は27日、即日開票され、労働党が第一党となり、連立工作を通じて9年ぶりに政権を奪回することになった。

選挙で勝利して政権に就く同国初の女性首相となるヘレン・クラーク労働党党首は28日未明(日本時間27日夜)記者団に「国民が変化を望んだことがはっきりした。この結果を厳粛に受け止め、同時に大きな責任を感じている」と喜びを語った。

国民党は3期9年間に及んだ長期政権の幕を閉じ、ジェニー・ジップリー首相(同党党首)の在任期間は約2年間で終わった。

労働党は連合党との中道左派連立政権樹立を目指す。早ければ来月上旬にも発足の見通し。《共同通信》

【スピードスケート・W杯】短距離開幕戦

スピードスケートのワールドカップ(W杯)短距離開幕戦、ベルリン大会第1日は27日、男女スプリント種目を行い、500メートルの男子は清水宏保(NEC)、女子は三宮恵利子(富士急)が優勝し、日本勢は華々しいスタートを切った。清水はリンクレコードの35秒67でW杯通算20勝目。三宮は38秒91でW杯初勝利を挙げた。

男子では世界記録保持者のジェレミー・ウォザースプーン(カナダ)が清水にわずか0秒02差の2位。井上純一(西武鉄道)が35秒93で3位に入った。

女子はモニク・ガルブレヒト(ドイツ)が2位、世界記録保持者のカトリオナ・ルメイ・ドーン(カナダ)が3位だった。《共同通信》

【J1】第2ステージ最終節

Jリーグ1部(J1)第2ステージ最終節(27日・浦和市駒場スタジアムほか=8試合)3チームに絞られたJ1残留争いは浦和レッズの2部(J2)降格で決着した。浦和は延長の末にサンフレッチェ広島に1−0の勝利。残留を争ったアビスパ福岡が0−2で横浜F・マリノスに敗れ、ジェフ市原は1−0でガンバ大阪を破ったため、浦和、福岡、市原の3チームが年間通算の勝ち点28で並ぶ混戦となったが、浦和は得失点差で福岡に劣り、年間通算15位で降格が決まった。

これでリーグ戦の全日程を終了。得点王は24点を記録したセレッソ大阪の黄善洪が初めて獲得した。年間王者を争うチャンピオンシップは第1ステージ覇者のジュビロ磐田と第2ステージで初のステージ制覇を飾った清水エスパルスの顔合わせで12月4、11の両日に行われる。《共同通信》

【民主党ニュース】

民主党ホームページでビデオメッセージはじまる

民主党のホームページで27日から、鳩山代表、羽田幹事長、菅政調会長とネクストキャビネットの閣僚のビデオメッセージが見られるようになった。今後は週1回ペースで更新する予定。

【エリザベス・ヴァイニング夫人】死去

終戦後間もない1946(昭和21)年から50年にかけて皇太子時代の天皇陛下の家庭教師を務めたエリザベス・ヴァイニング夫人が米国現地時間の27日午後7時45分(日本時間28日午前9時45分)、米ペンシルベニア州フィラデルフィアの老人ホームで死去した。97歳だった。

宮内庁には28日夜、連絡が入り、天皇陛下にも伝えられたという。

1902年、フィラデルフィア生まれ。ドレクセル大学院卒業後、図書館司書などを経て、児童文学の作家として作品を発表。46年、来日。昭和天皇の希望で、学習院で英語を教えながら、少年時代の陛下の英語教師を4年間務めた。英語だけではなく、欧米の歴史など一般教養も教え、陛下の人格形成にも大きな影響を与えた。

米国に帰国後、日本での経験を書いた「皇太子の窓」を出版、ベストセラーになった。児童文学作家としても数々の作品を発表した。59年の陛下の結婚式には、外国人としてただ一人招待された。

敬けんなクリスチャンで、平和主義者としても知られ、ベトナム反戦運動にも参加、69年には米国会議事堂内で抗議行動を行い逮捕されたこともある。

33年に夫に先立たれて以降は独身を通し、晩年は、フィラデルフィア市郊外にある老人ホームで一人暮らしを続け、世間との接触を絶っていた。

88年5月には、インタビューで戦優間もないころの天皇家との交流を振り返り昭和天皇が「わたし」を絞首刑にしても国民を飢えから救ってほしい」「戦争を阻止できなかった。自分は皇太子(現天皇陛下)を育てる資格がない」などと語ったことなど戦後史にかかわる重要な証言も行った。《共同通信》



11月27日 その日のできごと(何の日)