平成1005日目

1991/10/09

この日のできごと(何の日)

【自民党・竹下派】総裁選独自候補を断念

自民党総裁選のカギを握る竹下派は、9日午前から会長の金丸信・元副総理ら幹部による小沢一郎・前幹事長(会長代行)への説得工作が続けられた。しかし小沢氏の固辞の姿勢は変わらず、竹下派は同日午後の常任幹事会で最終的に小沢氏擁立断念を確認、あわせて小沢氏に代わる独自候補擁立も見送る方向だ。

その場合、他派閥候補の中から政治経歴も豊富で安定感のある宮澤喜一・元総理を支持する空気が竹下派内に定着しつつあるが、金丸氏らは最終決着までには入念な派内調整と同時に宮沢氏ら3候補から直接、政権構想を聴取することが必要と考えており、竹下派の態度表明は来週早々にずれ込む可能性が出てきた。

同派では、午前11時すぎから金丸、小沢両氏が国会近くの金丸氏事務所で会談、このあと、奥田敬和事務総長、渡部恒三・衆院予算委員長らが加わって協議。正午すぎからは都内のホテルで幹部会を開いて、独自候補擁立問題について詰めの話し合いを続けた。

一方、渡辺美智雄・元政調会長は同日午前、宇野前首相を都内の事務所に訪ね、総裁選出馬のあいさつをした。宇野氏は近く竹下元首相に会って、渡辺氏への協力を要請する考えを明らかにした。

また、三塚博・元政調会長は同日午前、都内の三塚派事務所で開かれた同派の選対本部の会合に出席。森喜朗会長代行、大野明事務総長らと竹下派など他派の動向を分析するとともに、今後の遊説日程の調整を行った。

このあと、三塚氏は、宇野前首相を都内の事務所に訪ね、総裁選出馬のあいさつをし、協力を要請した。これに対し、宇野氏は「党員、国民注視の的なので最後まで正々堂々とがんばって欲しい」と述べた。《読売新聞》

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【自民党・加藤六月政調会長】竹下派に同調

自民党の加藤政調会長は9日党本部で記者会見し、総裁選への対応について「第一派閥(竹下派)の責任が重いことを強く認識し、態度を明確にすべきだ。(竹下派が)態度を決めれば尊重しなければならない。私どもは安倍(元幹事長)精神にのっとり従来の竹下派との友好関係を保ちつつ行動していきたい」と述べ、竹下派に同調して行動する考えを表明した。

加藤氏の出身派閥である三塚派からは三塚博会長が既に総裁選出馬を表明している。それにもかかわらず加藤氏が竹下派と同調する考えを明言したことで三塚派内には「加藤氏は総裁選を機に派閥を離脱する覚悟をしたのかもしれない」(中堅幹部)と深刻な波紋が広がっている。《共同通信》

【TBS・田中和泉社長】辞任

損失補てん問題で揺れる東京放送(TBS)の田中和泉社長(60)が、9日正午から開かれた取締役会で辞任した。報道機関の中で唯一補てんを受けていたことに対して、労働組合を始め社内外の批判が高まり、辞任に追い込まれた。証券会社から補てんを受けていた企業・団体のトップが引責辞任するのは初めて。後任には、磯崎洋三常務(58)が選任された。

田中氏は昭和29年に入社、一貫して経理畑を歩いた。平成元年6月、浜口浩三前社長の後を受け、常務からいきなり社長に就任。

田中社長は補てん問題が表面化してから、沈黙を守り続けた。40日近くたった9月6日になって、記者会見と同局の番組を通じて陳謝し、自身を含む6人の役員の減俸処分(10%、2か月分)を発表した。しかし、労組側は「報道機関としての責任を取ったことにはならない」と納得せず、田中社長と代表権を持つ専務の計3人の退陣要求を突きつける異例の事態に発展した。

磯崎新社長は32年に入社、社会情報局長やテレビ本部編成局長などを務めた。このほかの人事では、杉本明常務が代表取締役専務に昇格。田中社長は取締役相談役に退くとともに、山本浩専務は常務に、引田惣弥専務は取締役に二階級降格が決まった。《読売新聞》

【中国・楊尚昆国家主席】台湾独立の動きに警告

中国の楊尚昆国家主席は9日、北京で開かれた「辛亥革命(10月10日)」80周年記念大会で演説し、大陸からの「独立」志向が高まっている台湾情勢について「われわれは、台湾を中国から分離させようとするいかなる行動も絶対に座視しない」と強い調子で警告した。

大陸の台湾政策の最高責任者である楊主席の発言は、最近の台湾での国連復帰要求デモや独立運動に対する中国のいら立ちを表明し、台湾の武力解放も辞さずとの強硬姿勢を改めて示したものといえる。《読売新聞》



10月9日 その日のできごと(何の日)