平成7557日目
2009/09/16
【鳩山内閣】発足
民主党の鳩山由紀夫代表(62)が、16日召集された第172特別国会の首相指名選挙で、第93代、60人目の首相に選ばれた。同日夜、鳩山新内閣が発足する。総選挙で野党が単独過半数を得て政権交代が実現するのは戦後初めて。
鳩山氏は16日午前の党参院議員総会で「きょうが新たな歴史の転換点。政治と行政の仕組みを根本的に変えるスタートの日だ。後世の歴史家が『素晴らしい日だったね』という一日にするために積極的に働こう」とあいさつした。
閣僚名簿については、官房長官に就任する平野博文氏が16日午後、発表した。官邸主導の政策決定のために新設する国家戦略局の担当相は菅直人氏で、副総理を兼務する。行政の無駄や不正をチェックする行政刷新会議の担当相は仙谷由人元政調会長。厚生労働相には、「ミスター年金」と呼ばれる長妻昭政調会長代理を充てた。
財務相には細川、羽田両内閣で蔵相を務めた藤井裕久最高顧問、外相には岡田克也元代表、防衛相には参院外交防衛委員長を務めた北沢俊美副代表を起用。公共事業見直しが焦点の国土交通相は前原誠司副代表、農林水産相は赤松広隆選挙対策委員長、郵政見直しや地方分権を担う総務相は原口一博・党「次の内閣」総務相が就く。連立を組む社民党の福島瑞穂党首が消費者・少子化担当相、国民新党の亀井静香代表が金融・郵政問題担当相として入閣する。
一方、麻生内閣は16日午前の閣議で総辞職。自民党は94年以来、15年ぶりに野党に転落した。麻生首相の在職は358日間で、現憲法下で7番目の「短命」だった。《朝日新聞》
鳩山由紀夫内閣が16日夜、発足した。民主、社民、国民新3党連立で、選挙による非自民政権の誕生は1993年の細川護熙政権以来、16年ぶりとなる。「脱官僚依存」を掲げ、衆院選マニフェスト(政権公約)の実現を図る。首相官邸で就任後初の記者会見に臨んだ首相は、2010年度予算案について「年内で編成できるスケジュール感で臨んでいきたい」と表明した。首相は初閣議で政治主導の骨格を定めた「基本方針」を示し、閣僚懇談会で官僚との関係のあり方を申し合わせた。
鳩山氏は同日午後の衆参両院本会議の首相指名選挙で第93代、60人目の首相に選出された。首相は直ちに官邸に入り、菅直人副総理・国家戦略担当相ら17人の閣僚を任命した。同日夜、皇居で首相の親任式、閣僚の認証式を行い、3党連立政権が正式に発足した。
初閣議で提示した基本方針では、予算の骨格を策定する「国家戦略局」の前身となる国家戦略室の設置を指示した。同時に「緊密かつ対等な日米同盟を再構築する」と明記し「具体的な行動指針を日本からも積極的に提言していける関係」と強調した。《日経新聞》
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【鳩山由紀夫首相】「国民の皆さん」連発
16日午後2時50分、衆院本会議場に横路孝弘・新衆院議長の「鳩山由紀夫君を内閣総理大臣に指名する」という声が響き渡ると、鳩山氏は座ったまま軽く会釈し、拍手に促されるように立ち上がった。衆院定数の3分の2を超える327の得票数にも表情を崩すことなく正面に一礼。さらに左右に深々と頭を下げた。
指名を待つ間は書類を見たりメモを書いたりと、落ち着かない様子も。本会議終了後、同僚議員から次々祝福されるとようやく笑みがこぼれた。
「日本の歴史が変わるという身震いするような感じと大変な重責」。午後6時からの首相官邸での記者会見では緊張の面持ち。「とことん、国民の皆さんのための政治をつくり出していく」などと「国民の皆さん」を連発。無駄遣い根絶や官僚主導の政治からの脱却を重ねて訴え、国民に寄り添う政治姿勢を強調した。
【米・クリントン国務長官】鳩山政権下も「日米同盟は不変」
クリントン米国務長官は16日の記者会見で、鳩山新政権の発足を受けて「強固な日米関係・同盟はどんな政治的な変化にも揺るがないと確信する」と述べ、政権交代があっても日米の信頼関係は不変だと強調した。同時に「いかなる政権にも政策変更の権利がある」と語り、新政権の対米政策を当面注視する姿勢を示した。
同長官は、民主党を中心とする日本の連立政権の発足について「劇的なチェンジだ」と論評。その上で「我々の強固な関係はかつてなく前向きなものになると楽観している」と語った。
キャンベル国務次官補を日本に派遣することも説明し「キャンベル氏も他の国務省職員も新政権に知人がいる。全く新しい(人脈)というわけではない」と、オバマ―鳩山両政権間のパイプに自信を示した。《日経新聞》
【麻生内閣】総辞職
16日朝の臨時閣議で内閣総辞職を決めた後、麻生首相は首相官邸で退任の記者会見に臨み、「1年という短い期間でしたが、日本のために全力を尽くした。残念ながら、道半ばで退任する」と358日間を振り返った。失言を連発して支持率を下げ、結果的に自民党を歴史的惨敗へ導いた首相だが、最後の記者会見は丁寧な受け答えに終始した。
「100年に1度の経済不況、リーマン(ショック)から丸1年。世界初の同時不況に迅速に対応できた経済対策を半年余りで4度打ったことは実績として誇れる」。首相は最後の会見でも「政局より政策」の姿勢を強調した。鳩山新政権には「景気回復を確固たるものにするよう努力していただきたい。国際情勢への対処を的確にしていただくことは願ってやまない」。自民党総裁選で意中の人を問われると、「具体的な名前を言うことはありません」と笑顔で会見を締めくくった。
衆院解散について問われ続けた首相は、解散の決意だけは繰り返し、時期ははぐらかし続けた。特に連日のぶら下がり取材では、同じ質問にいらだち、その様子が報じられて支持率を下げるという悪循環に陥った。対照的にインタビューや記者会見は丁寧。自民党、自公政権が継続して取り組んできた内政・外交政策を語る時は特にそうだった。
3月のインタビューでは、ラインマーカーで随所に線を引いた資料を手元に置き、時々目を落とした。緊張からか手がかすかにふるえるようにも見えた。質問が北朝鮮によるミサイル発射の動きに及ぶと、慎重に言葉を選んだ。
「他の国は『ミサイル』、日本だけ『拉致』と言った時、(北朝鮮は)『足並みが乱れた』とか突っ込みたいんだ」。だが、インタビューが終わると「ここで一言感想なんか述べると、ろくなことないからやめようね」。いつもの「麻生節」がのぞいた。
首相周辺は「これだけまじめな政治家はいないというくらい、まじめ。レク(官僚の政策説明)になるとしばしば寝てしまう総理もいたが、(麻生さんは)いつもラインマーカーを引きながら真剣に聞いていた」。ただ、直後のぶら下がり取材では「一変して態度が悪くなった」(周辺)という。バー通いも批判されたが、実は酒は口に含む程度だ。国会や自民党本部のトイレで手を洗った後、洗面台を丁寧に紙でふき取る姿はカメラには映らない。
最後の記者会見で、首相は穏やかに言った。
「歴史の評価が出るには、もう少し時間がかかる」《朝日新聞》
平成21年9月16日、麻生内閣は総辞職しました。
この日の閣議で、閣僚の辞表を取りまとめて総辞職を決定した後、麻生総理は内閣総辞職に当たっての内閣総理大臣記者会見を行いました。
会見では「日本には、将来の発展の種が多くあります。国民の努力、そして政府のかじ取りがあれば、日本が発展しないはずがありません。自信と誇りを持ち、その発展の上に立って安心社会を築いていくべきです。あわせて、アジアの日本、世界の日本として、国際社会の安定と発展に一層貢献していかなければなりません。私は、これまで幾多の困難を乗り越え発展してきた日本人の力を信じています。『日本の未来は明るい』未来への希望を申し上げて、国民の皆さんへのメッセージといたします。ありがとうございました。 」と述べました。《首相官邸》
【自民党総裁選】石破氏は不出馬
石破茂農相は16日の臨時閣議後の記者会見で18日告示、28日投開票の自民党総裁選について「出馬しない」と述べた。不出馬の理由については「(自身の出馬によって)党内で亀裂を深めることがいいことなのか」と語った。既に出馬を表明している谷垣禎一元財務相について「共感するものが多くある。私個人としては谷垣候補を支援したい」と述べた。
石破農相は「新総裁の下で党を再生するため、一致してやっていける体制づくりを優先すべきと判断した」と発言。出馬の判断について「最終的には今日の未明に決めた」と明らかにした。《日経新聞》