平成3862日目
1999/08/05
この日のできごと(何の日)
【日韓捜索・救難共同訓練】
海上自衛隊と韓国海軍による民間船舶の遭難を想定した「日韓捜索・救難共同訓練」が5日午前、韓国・済州島沖の東シナ海で実施された。これまで海自と韓国海軍は練習艦隊の相互訪問などは行っているが、部隊レベルでの大掛かりな共同訓練は初めて。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のテポドンミサイル発射、工作船の領海侵犯事件、日米防衛協力の新しい指針(ガイドライン)関連法成立などを受け、日韓両国は緊急時の連絡、協調体制の整備を進めているが、今回の訓練は軍事面での連携強化の第一歩として注目される。
訓練には、4日に釜山を出港した海自の護衛艦「しらね」など3隻、韓国海軍の駆逐艦など2隻のほか、双方のP3C対潜哨戒機や艦載ヘリコプターが参加。
遭難した商船が火災を起こし、海自と韓国海軍が共同で捜索や救助に当たるというシナリオで、午前8時すぎから九州と済州島の中間付近の公海上(長崎県佐世保市の西約200キロ)で始まった。
遭難船に見立てた韓国側の輸送艦からのSOSを受信した海自と韓国海軍の艦艇が捜索。午前10時すぎ、日韓の艦艇を飛び立ったヘリが遭難船の救命ボートから負傷者に見立てた人形をつり上げて救助し、それぞれの艦に収容して応急処置を始めた。その後、両国の艦艇は、火災を起こしている遭難船に接近して消火作業を続け、午前11時15分訓練を終了した。《共同通信》
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【自由党】連立政権解消辞さず
自由党が自民党との連立政権解消も辞さない強い姿勢で衆院比例代表定数50削減法案の審議入りを求めている問題で、自民、自由、公明の3党は5日、幹事長・国対委員長会談を断続的に開き大詰めの調整を行った。
自民党は会談で(1)定数削減を目指す(2)衆院議長の下に各党による協議機関を設置する、との決議を衆院政治倫理・公選法改正特別委員会で行うよう提案。公明党はこれを受け入れる意向を示したが、自由党はあくまで審議入りを要求、提案を拒否したため協議は物別れに終わった。《共同通信》
【政界談話室】
○・・・自由党の野田毅自治相は5日の記者会見で、衆院比例定数削減法案の処理をめぐり同党が連立離脱の構えをみせていることに関し「仮定の話でああだこうだということは不謹慎。私自身閣僚の一員として職責を果たすということに尽きる」と、現職閣僚の責任を力説した。同党の小沢一郎党首が同法案審議への自民党の姿勢を批判していることについて「私がコメントすると混乱する」としながらも「党首はそう受け止めているんだろう」と、距離を置いた回答。野田氏としては閣僚退任となる運立離脱話にうんざりした様子。《共同通信》
【小渕恵三首相】打開策探る姿勢を強調
小渕恵三首相は5日、衆院比例定数50削減法案や選挙協力の遅れなどで自由党が連立離脱も辞さない構えを示していることについて「最後の1分1秒まで公明党も加えて自自公連立がまとまるような姿勢が取れるよう誠心誠意、努力していきたい」とぎりぎりまで打開策を探る姿勢を記者団に強調した。
首相は昨年の金融国会での苦い経験から、政権の安定を旗印にトップダウン方式で自由党との連立を決断。小沢一郎党首との党首会談では自由党の主張を事実上「丸のみ」に近い形で受け入れて今年1月、連立政権を発足させた。自自連立を機に小渕政権は安定度を増して上昇気流に乗った。だがさらに公明党との連立にも手を伸ばした矢先に、その決断のつけが回ってきた格好だ。
選挙協力では「自由党との信頼関係構築が自自公連立の前提」(首相周辺)として、首相は自民党執行部に「与党内の信義に基づいてきちんとやらなければならない」と再三、協議の促進を指示してきた。しかし党内には「衆院解散までまとまらない」(党幹部)と実現に悲観的見方が支配的だ。《共同通信》
【民主党】「自然災害対策」発表
民主党の災害対策部会(部会長=神田厚衆院議員)がまとめた「自然災害対策」が、5日の政調審議会で了承された。土肥隆一衆院議員(同副部会長)と中野政調会長が同日記者発表した。
この対策は、(1)さまざまな自然災害に迅速・機敏に対応できる危機管理体制の確立(2)地方の実情に密着した防災対策(3)実効ある被災者救済制度の充実――の3つの柱からなっている。
(1)では、危機管理における内閣機能強化を図るために、「情報・危機管理室」(仮称)の設置を提唱。海外から災害支援を受ける際の検疫や出入国管理の迅速化など、国際的な災害救助体制を整備する。また自衛隊の災害派遣について、派遣要件の明確化と厳格な運用を前提に、自治体と自衛隊の信頼関係づくりをめざすとしている。
(3)では、被災者生活再建支援法に基づく支援の要件緩和や増額、災害ボランティアの支援体制確立などを提唱している。《民主党ニュース》
【MLB】マーク・マグワイア一塁手、500号本塁打
米大リーグ、セントルイス・カージナルスのマーク・マグワイア一塁手(35)が5日、ミズーリ州セントルイスのブッシュ・スタジアムでのサンディエゴ・パドレス戦で大リーグ史上16人目の通算500本塁打に到達した。
5487打席目での500号は、伝説の強打者ベーブ・ルース(ヤンキース)の5801号を塗り替える大リーグ史上最速記録となった。《共同通信》
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米大リーグ、カージナルスのマグワイアが5日(日本時間6日)のパドレス戦で、リーグ単独トップに立つい、43、44号本塁打を連発し、大リーグ史上16人目となる通算500本塁打の偉業を達成した。
舞台は昨年9月8日にシーズン最多本塁打記録を塗り替える62号本塁打を放った地元セントルイスのブッシュ・スタジアム。対戦相手のパドレスのグウィンがあと2本に迫った通算3000安打とともに歴史的瞬間を見ようと詰めかけた4万5000人を超す大観衆の期待に見事にこたえた。
三回に通算500号となる一撃を中越えに打ち込むと、八回には左翼席のスコアボードを直撃する特大の501号。伝説の強打者ルースよりも314打数少ない通算5487打数での史上最速の大台到達となったスラッガーは「きょう、球場入りした時の気分は去年、62号を打った日に似ていた。今回の快挙はまたしても、自分自身の期待を上回るものだ」と厳粛な面持ちで話した。
大リーグの通算最多本塁打記録は、かつてブレーブスなどで活躍したアーロンが持つ755本。35歳のマグワイアは「自分は(持病の)背中痛さえ持ちこたえれば可能な限りプレーを続けていくつもりだが、長い長い道のりだ。アーロンの記録を塗り替える可能性を最も持っているのは(29歳で現在、通算385本塁打の)グリフィーじゃないか?」とかわした。
だが、ファンの楽しみはもっと身近なところにある。カブスのソーサとの激しい競争の末に打った昨年の70本塁打は、パワーが象徴の大リーグでも常識をくつがえす数字だった。なのに、カージナルスにとって今季109試合目だったこの日の2発で、昨年のペースにグッと近づいた。マグワイアが昨年、44号を打ったのは104試合目のことだった。《共同通信》
【故・山花貞夫さん】民主党葬
故山花貞夫衆院議員(元社会党委員長)の民主党葬が5日午前、都内の青山葬儀所で営まれ、葬儀委員長の菅直人代表は「党が困難に直面した時、あなたの泰然自若とした態度を見て安心し、団結と融和が図られた」と弔辞を読み上げた。
田辺誠社会党委員長は、「あなたのゴルフの球は打った瞬間は左のOBゾーンに向かうが、途中から右へ旋回して真ん中に落ちる具合だった。山花さんの政治的スタンスを象徴している、と冷やかしたものだ」と思い出話を披露し、故人をしのんだ。
民主党葬は昨年4月の結党以来初めて。小渕恵三首相や橋本龍太郎、海部俊樹前元首相のほか、神崎武法公明党代表、小沢一郎自由党党首、土井たか子社民党党首ら各党代表が参列。民主党所属国会議員や一般の参列者と合わせて約700人が献花した。《共同通信》
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7月14日に急逝した故山花貞夫さんをしのぶ民主党葬が、5日午前に東京都内の青山葬儀所でしめやかに執り行われた。
葬儀には小渕首相、衆参両院の正副議長、民主党所属の国会議員、各党の代表、友人、支援者など数百人が、最後のお別れのため、真夏の炎天下にもかかわらず参列した。
会場には開式前から、山花さんが愛したベニー・グッドマンのジャズ演奏が、静かに流された。午前11時、司会進行を務める海江田万里議員による開式の辞に続き、「政治はパッション(情熱)だ」と政治改革への熱意を語る生前の山花さんの声が約2分間流された。そして参列者一同が起立、壇上中央に白い花で囲まれて安置された山花さんのご遺骨と写真に向かって黙とうをささげた。
最初に葬儀委員長を務める菅直人代表が、「あなたの急逝は民主党にとって、あまりにも大きな衝撃だ。政権交代を訴えて非自民連立政権を実現した勇気と決断には、誰もが強い感銘をうけた。細川連立内閣では政治改革担当大臣として75年ぶりに選挙制度改革をなしとげた。私たち残されたものは、あなたの熱意を引き継いで民主党をさらに発展させ、政党政治の本旨を貫いていく」と弔辞をささげた。
続いて伊藤宗一郎・衆議院議長が、「終始政党政治の伸展に貢献された」と山花さんの長年の議会活動に対し「弔詞」を読み上げ、連合の榎本会長代行も「勤労者の立場に立った政治の実現に長年尽力いただいた」と哀悼の意を示した。
また社会党時代に山花さんと二人三脚で党改革に精力を傾けた田辺誠・前衆議院議員(元社会党委員長)は弔辞で「二大政治勢力による政権交代を最後までめざした信念と誠実の人だった。志を同じくする人々に大きな感銘と共感を呼び起こした」と、常に時代の一歩先を見通した政治家であった山花さんを懐述した。
また弔電が金大中・韓国大統領や細川護煕・元首相などから寄せられ、海江田議員が紹介した。
これに対して、葬儀委員長代行の羽田幹事長が、「大切なときに本当に大事な人を失った。心やさしく誠実で、志の高い政治家だった」とあいさつ。そして喪主である夫人の山花良子さんが「昨年末から体調を崩したが、任期いっぱいは務められるだろうと言っていた。しかし、7月になって自ら幕引きのことを言いだし、仕事を整理していた矢先の急逝だった。苦しいときも悩み深いときもいつも変わらぬ穏やかなパパでした」と悲しみをこらえながら、参会者へのお礼の言葉を述べた。
最後に菅代表を先頭に、参会者が次々に献花を行って、山花さんに別れを告げた。《民主党ニュース》