平成407日目

1990/02/18

この日のできごと(何の日)

【第39回衆院選】自民286議席、社会党136議席獲得

自民党の過半数維持か、参院選に続いての与野党逆転か、90年台政治の枠組みを決め、21世紀への政治潮流を占う第39回総選挙は18日、全国一斉に行われた。《共同通信》

安定多数に迫る勢いの自民党では、海部首相の続投問題について、18日夜、党内各派首脳がいっせいに首相の続投支持を表明した。

金丸信・竹下派会長と宮澤喜一・宮澤派会長が「続投は当然のこと」と述べたほか、安倍派首脳も同様の考えを示した。また中曽根派幹部も「これで政局は安定するだろう。海部おろしはやりにくくなった」との認識を示しており、総選挙前に散見された海部首相に対する不協和音は鎮静化するものとみられる。《読売新聞》

第39回総選挙の翌日開票は19日午前8時から、東京、神奈川、埼玉の3都県で行われた。翌日分は21選挙区81議席が決まったが、自民党が国会運営の主導権を握れる271の安定多数を上回る275議席を獲得した。社会党も解散時勢力から53議席上乗せして136議席を得る大躍進を果たした。無所属当選の14人のうち9人は自民党の追加公認が内定しており、自民党は290に近い努力で特別国会に臨むことになった。

即日分で不振だった公明、共産、民社の野党3党は、翌日分でも伸びず、特に民社党は14人と結党以来の惨敗を喫した。公明党は四十台、共産党は二十台を割り、ともに大きく後退した。社民連と進歩党は解散時勢力を守った。

世代交代を反映し新人候補の進出も目立ち、昭和24年総選挙の192人に次ぐ133人が当選を果たした。一方、注目された女性候補は、翌日分の5人を含め計12人が当選、これも24年以来の最多記録となった。

リクルート事件関連では、民社前職の田中慶秋氏(神奈川四区)が落選、埼玉一区の浜田卓二郎氏は、最後の議席に滑り込んだ。初の衆院での親子議員が誕生するかで注目された東京二区の石原元運輸相(自民)と同四区の石原伸晃氏(保守系無所属)は、そろって当選を決めた。マドンナ候補の一人として話題を集めた浜田氏の夫人慎子氏は落選した。

自民党では埼玉一区の松永通産相、神奈川二区の小泉前厚相ら35人が当選、埼玉四区の野中前国土庁長官、東京六区の天野元自治相らが落選した。

野党では社会党が予想通りの伸びを示し3都県10カ所の空白区のうち東京八区を除く9選挙区で議席を奪還した。さらに4カ所の複数擁立区(推薦も含む)のうち東京四、十一、神奈川四の3選挙区で2人当選を果たすなど22議席を獲得した。公明党は6人の新人を含め13人が当選したが、東京四区の大久保副委員長ら4人が落選、苦戦ぶりを象徴的に示した。《共同通信》

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【大相撲・北勝海関】結婚式

大相撲の横綱北勝海関(26)=九重部屋、北海道出身=が18日、都内のホテルで山口輝志子さん(23)と結婚式を挙げた。

媒酌人は当初、北勝海後援会の会長でもある鈴木宗男防衛政務次官夫妻が務める予定だったが、この日は衆議院議員選挙の投票日と重なったため式に出席できず、午後1時30分からの挙式では師匠の九重親方(元横綱北の富士)夫妻が急きょ、代役を務めた。

“ハプニング”はあったものの、昨年3月の春場所中に知り合ってから約1年。「会えない時は毎日1時間以上の長電話」(北勝海)ではぐくんできた愛を成就させたとあって、式後の記者会見に臨んだ新郎新婦はともに幸せいっぱいの表情。

ニコニコ顔の横綱が「普通の明るい家庭を築きたい。子供は3人ぐらい。男でも女でもいいです」と答えると、純白の打ち掛け姿の輝志子さんは時折新郎の方を見やりながら何度もうなずき「皆さんに集まってもらえるような家庭にしたい。子供の数は同じです」と早くも息の合ったところを見せていた。

披露宴には二子山理事長(元横綱初代若乃花)はじめ本相撲協会関係者、兄弟子の横綱千代の富士ら一門の関取衆、親方衆、同郷の歌手松山千春さんやサッカーの釜本邦茂さんなど820人が出席して2人の門出を祝った。《共同通信》

【モンゴル】初の野党が誕生

人民革命党(共産党にあたる)の一党支配体制が続いてきたモンゴル人民共和国に18日、初の野党が誕生した。民主化を訴えて活動を続けてきた市民グループ「モンゴル民主連盟」はこの日、ウランバートルの労働文化センターで611人の代表者を集めて第1回大会を開き、連盟の綱領、規約を提案するとともに、「モンゴル民主党」の発足を宣言した。また、ソドノム人民革命党内閣の総辞職要求を決議した。

政府側はすでに複数政党制については認める意向を表明しているため、今後共産党の一党独裁から民主的社会主義国家への動きが加速することになろう。革命70周年(1991年)を前に、草原の社会主義国は大きな転換期を迎えている。《読売新聞》



2月18日 その日のできごと(何の日)