平成10991日目
2019/02/10
この日のできごと(何の日)
【自民党】定期党大会
自民党は10日、定期党大会を東京都内のホテルで開いた。安倍首相(党総裁)は演説で、統一地方選と参院選が重なる「亥年選挙」に向け、「まなじりを決して戦い抜く。先頭に立つ決意だ」と述べ、結束を呼びかけた。憲法改正の実現にも改めて意欲を示した。
前回亥年の2007年、第1次安倍内閣の下で行われた参院選で自民党は惨敗した。首相は「総裁だった私の責任だ。片時たりとも忘れたことはない」と振り返り、統一選と参院選での勝利に全力を尽くすよう呼びかけた。
憲法改正については、「いよいよ立党以来の悲願に取り組む時が来た」と強調。「憲法にしっかり自衛隊を明記し、違憲論争に終止符を打とう」と訴え、9条改正の実現に協力を求めた。毎月勤労統計の不適切調査問題を巡っては「徹底的に検証し、再発防止に全力を尽くすことで責任を果たす」と語った。
首相の演説に先立ち、16年7月に自転車事故で頸髄けいずいを損傷し、17年10月の衆院選に出馬しなかった谷垣禎一・前総裁が演説を行った。谷垣氏は車いすに乗って登壇し、「選挙に勝利し、安倍首相の下で結集し、安定した政治をつくってほしい」とエールを送った。
党大会では統一選や参院選での必勝をうたった運動方針が採択された。《読売新聞》
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【W杯・ジャンプ女子】高梨沙羅選手が今季初優勝
ノルディックスキーのワールドカップ(W杯)ジャンプ女子は10日、スロベニアのリュブノで個人第15戦(ヒルサイズ=HS94メートル)が行われ、高梨沙羅(クラレ)が今季初優勝し、ジャンプの男女を通じて歴代単独最多を更新する通算56勝目を挙げた。
高梨は1回目に89・5メートルの99・0点で首位に立つと、2回目は82・5メートルを飛び、6連勝中のマーレン・ルンビ(ノルウェー)に競り勝った。《共同通信》
【すかいらーく】バーミヤン「不適切動画」で謝罪
すかいらーくホールディングスは10日、傘下の中華料理レストラン「バーミヤン」の都内店舗で、調理担当の従業員が不適切な動画を撮影し、インターネット上に投稿したと発表した。調理中の鍋から上がった炎に顔を近づけ、口にくわえたたばこに火を付けている。
同社によると、動画は2018年3月ごろ撮影。深夜に従業員用の食事を用意している時のもので、作った料理は客に提供していないことを確認したという。「お客さまに不安と不快な思いをさせたことを深くおわびする」としている。《共同通信》
【自民党・石破茂元幹事長】首相と6派閥会合に不快感
自民党の石破茂元幹事長は10日、安倍晋三首相が石破派を除く6派閥の事務総長と公邸で会食したことに不快感を示した。党大会後、記者団に聞かれ「意図は分からないが、堂々と開くべきだ。裏口から入るとか日程に載せないという姿勢は良くない」と述べた。
会食は公表されず、出席者は公邸の表玄関から出入りしなかった。かん口令も敷かれたという。
石破氏は、首相が党大会の演説で政権転落を巡り「悪夢のような民主党政権が誕生した」と言及したことに対し「終わった政権を引き合いに出して『自分たちは正しい』と言うような手法は危ない」と疑問を呈した。《共同通信》
【河野太郎外相】韓国国会議長に苦言
河野太郎外相は10日、慰安婦問題について天皇陛下による謝罪の「一言」で問題が解決すると発言した韓国国会の文喜相(ムン・ヒサン)議長に対し「発言には気をつけていただきたい」と苦言を呈した。フィリピン南部ミンダナオ島ダバオを訪問中に記者団に語った。
河野氏は慰安婦問題に関して「日韓合意で完全、最終的に決着したと考えている」と前置きした上で「韓国側も特に再交渉その他を求めていないとのことなので、しっかりとした正しい認識で発言をしてほしい」と述べた。韓国政府から、議長の発言が意図とは違うように報じられたと説明があったという。《共同通信》
【北尾光司さん】死去
大相撲の第60代横綱双羽黒の北尾光司さんが2月10日午前7時30分、慢性腎不全のため千葉県内の病院で死去していたことが29日、分かった。妻の淑恵さんが明らかにした。55歳。三重県出身。
2メートル近い長身で懐が深く、突き、押しや右四つの攻めで早くから将来を嘱望された。85年九州場所後に大関となり、86年名古屋場所後に横綱に昇進した。師匠の立浪親方(元関脇羽黒山)と対立して失踪騒動を起こし、87年の大みそかに電撃引退。優勝回数ゼロのまま、24歳の若さで角界を去った。横綱在位8場所は昭和以降2番目の短さだった。《共同通信》