平成10760日目
2018/06/24
この日のできごと(何の日)
【サッカーW杯・1次リーグ】日本、セネガルと分ける
サッカーのワールドカップ(W杯)1次リーグH組の日本は24日(日本時間25日)、エカテリンブルクでセネガルとの第2戦に臨み、2-2で引き分けた。勝ち点はともに4となった。日本は28日に行われるポーランドとの1次リーグ最終戦に勝つか引き分ければ、2大会ぶり3度目の16チームによる決勝トーナメント進出が決まる。
コロンビアに2-1で勝った初戦と同じ先発メンバーで挑んだ日本はセネガルの高い身体能力に手を焼いたが、0-1の前半34分に乾(ベティス)、1-2の後半33分には途中出場の本田(パチューカ)が同点ゴールを決め、終盤の相手の猛攻にも耐え抜いた。2010年南アフリカ大会から3大会連続出場の本田は、日本で初めてW杯3大会で得点した選手となった。《産経新聞》
昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。
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古い記事の多くは「書き写し」のため、誤字脱字が多数あります。見つけ次第修正しています。
【滋賀県知事選挙】三日月大造氏が再選
任期満了に伴う滋賀県知事選は24日投開票の結果、無所属現職の三日月大造氏(47)が、元滋賀大副学長の無所属新人近藤学氏(68)=共産推薦=を破り、再選を果たした。投票率は40・62%で、2014年の前回選挙を9・53ポイント下回った。
三日月氏は初当選した前回選挙で自民、公明両党が推薦した候補と対決したが、今回は、自公の県組織や国民民主党県議らでつくる政治団体などから相乗りによる支援を受けた。
18日に発生した大阪府北部地震への対応に追われながらも、全県を精力的に回り防災や環境保全の実績をアピールした。《共同通信》
【大阪モノレール】全線で再び運休
大阪府北部地震の被災地を走る大阪モノレールを運営する大阪高速鉄道は24日、部品が落下する可能性がある車両が見つかり、全車両を緊急点検するため、全線で始発から運行を見合わせた。18日の地震の影響で運行を停止し、23日に全線復旧したばかりだった。25日始発から本数を減らして再開する。
同社によると、通常は1編成4両で運行。地震によって車輪に損傷があった1編成を点検した結果、23日夜に台車の部品で、乗り心地を安定させる「ゴムブロック」に損傷が見つかり、落下する恐れがあることが分かった。《共同通信》
【李登輝氏】台湾出身戦没者の慰霊祭に参列
来日している台湾の李登輝元総統(95)は24日、沖縄県糸満市の平和祈念公園で行われた台湾出身戦没者の慰霊祭に参列した。李氏自身による「為国作見證(公のために尽くす)」との揮毫(きごう)で、新たに建立された石碑の除幕式も行われた。
沖縄では、氏名が判明しているだけで34人の台湾出身者が第二次世界大戦で犠牲になったとされ、2013年から慰霊祭が行われている。
日本の統治下にあった台湾から、日本兵として軍属含め全体で約20万人が出征、このうち約3万人が命を落とした。
24日夜、沖縄の「琉球華僑総会」が主催した晩餐(ばんさん)会で、李氏は日台間の交流拡大に触れた上で、「中国こそアジア情勢を最も不安定にしている要因で、『一帯一路』構想は野心に満ちた覇権主義的な計画だ」と強い警戒感を示した。《産経新聞》
【えちぜん鉄道】専用高架に切り替え
えちぜん鉄道の福井県福井市中心部の運行が専用高架に切り替わった6月24日、県内外の鉄道ファンや沿線住民が早朝から殺到し、一番電車の車窓の風景を堪能した。同じ日に供用が始まった新しい福井駅舎も利用者におおむね好評だった。全面ガラス張りで県産スギ材をふんだんに使ったデザインに「光が差し込み、温かい雰囲気。全国に誇れる駅舎になった」との声が聞かれた。《福井新聞》
【トルコ大統領選挙】エルドアン氏が再選
24日実施のトルコ大統領選で再選が発表された現職エルドアン氏(64)は同日深夜、勝利演説で「選挙中の論争や緊張は過去のものとしよう」と語り、国民に団結を求めた。しかし反対勢力の徹底弾圧を続けてきた政権への反大統領派の不信感は根強く、二分状態の社会の修復は容易でない。
トルコでは2016年7月のクーデター未遂事件後、政権が非常事態を宣言して大規模粛清を実施。対象は事件の黒幕と政権が断定した在米イスラム指導者ギュレン師派だけでなく左派や少数民族クルド人系野党、メディアなどにも及んだ。《共同通信》
【中沖豊さん】死去
前富山県知事の中沖豊氏は24日午後0時20分、肺炎のため、富山市西長江2丁目の富山県立中央病院で死去した。90歳。1947年に公選制となってから5代目の知事として最長となる6期24年間、県政のかじ取り役を担った。2005年11月、旭日大綬章を受章した。通夜、葬儀は家族葬で営み、後日お別れの会が開かれる予定。
中沖氏は、2015年3月に、自ら建設促進に尽力した北陸新幹線の開業祝賀会をはじめ、最高顧問を務める県芸術文化協会のとやま文学賞の授賞式など公の場に姿を見せていたが、近年は入退院を繰り返していた。
中沖氏は1950年に東大法学部を卒業し、地方自治庁(現総務省)に入った。石川県経済部長、富山県総務部長、同県教育長、消防大学校校長などを歴任し、80年に当時の中田幸吉知事の急死に伴って行われた知事選に出馬し、初当選。その後、6期連続で当選を果たし、04年11月に引退するまで社会資本の整備や産業の活性化、環日本海交流などに尽力し「住みよさ日本一」の県づくりを進めた。
「健康・スポーツ」「花と緑」「科学・文化」の三分野で日本一を目指す政策や、人材、生活、環境、産業、国際の五つを柱にした立県構想を掲げて施策を展開した。社会資本の整備では日本海側の飛躍につながる北陸新幹線の整備促進に力を入れ、北陸自動車道や能越、東海北陸自動車道の建設促進にも尽力した。富山空港とロシア、韓国、中国を結ぶ国際便3路線を開設し、環日本海交流の基礎を築いた。富山市出身。《北國新聞》