平成10402日目
2017/07/01
この日のできごと(何の日)
【この日の安倍総理】
福島県訪問
安倍晋三首相は1日午前、東日本大震災や東京電力福島第1原発事故からの復興状況を確かめるため福島県を訪れた。3月末に避難指示が解除された飯舘村の特別養護老人ホームで入居者と意見交換。介護職員として働くため県外から移住する人を支援する就職準備金貸付制度を拡充する考えを示し「全国から人手を確保するための支援をしたい」と話した。
視察先の川内村では記者団に「被災地の声を受け止めて復興を進めていく」と強調した。
川俣町で復興拠点として整備された商業施設「とんやの郷」の開所式も訪れ「人々が集い、復興の原動力となるよう願う」と述べた。《共同通信》
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【テニス・杉田祐一選手】ツアー初優勝
男子テニスのアンタルヤ・オープンは1日、トルコのアンタルヤで行われ、シングルス決勝で世界ランキング66位の杉田祐一(28=三菱電機)が同62位のアドリアン・マナリノ(29=フランス)と対戦。6―1、7―6で勝ちツアー初制覇を飾った。
大会は芝コートで行われるウィンブルドン選手権の前哨戦で、日本男子として松岡修造、錦織圭(日清食品)に続く3人目の現行ツアー優勝に挑んだ。両者はツアー初対戦となるが、芝のツアー下部大会では2012年に杉田が勝っている。
試合は第1セット最初の3ゲームを杉田が奪って優位に進めて6―1で先取。第2セットはともに譲らずタイブレークに入り、杉田が7―4で制してストレート勝ちした。
杉田は3日開幕のウィンブルドン選手権で初戦に世界230位のクライン(英国)と対戦する。《スポニチ》
【北海道安平町】震度5弱
1日午後11時45分ごろ、北海道胆振地方中東部を震源とする地震があった。北海道安平町で震度5弱を観測し、札幌市、千歳市などで震度4を観測した。
気象庁によると、震源の深さは27キロ、地震の規模を示すマグニチュードは5・1と推定される。津波の心配はないという。今後1週間は最大震度5弱程度の地震に注意が必要という。《朝日新聞》
【香港】返還から20年
香港返還から20年となった1日、中国の習近平国家主席は記念式典で「中央政府の権力に対するいかなる挑戦も決して許さない」と述べ、香港に対する統制強化の姿勢を示した。香港中心部で反発する市民6万人以上(主催者発表)が参加したデモが行われ、民主化を求めた。習氏の強硬姿勢で、親中的な姿勢を取る香港政府と民主派の対立も深まり分断がさらに進みそうだ。
習氏は1日に香港政府トップの行政長官に就任した林鄭月娥氏ら政府幹部を前に演説し、「香港独立運動を抑え込み、安定を維持するため困難に立ち向かわなければならない」と述べた。《共同通信》
【シリア】47万人が帰郷
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)報道官は1日までに、シリア内戦により自宅を追われた難民・国内避難民のうち計47万人以上が今年1月からの約半年間に自発的に帰郷したとみられると明らかにした。
北部アレッポや中部ホムスなどアサド政権が反政府勢力から奪還した地域で目立ち、報道官は「避難民全体から見るとわずかだが、注目すべき流れになりつつある」と強調。一方で現地の治安の回復は十分とは言えないと懸念も示した。
UNHCRによると、帰郷したとみられるのは近隣国などに脱出した難民3万1千人と、国内のキャンプなどに避難していた44万人以上。《共同通信》
【故・コール元ドイツ首相】欧州葬
東西ドイツ統一や欧州統合の立役者とされ、6月16日に死去したコール元首相を追悼する欧州連合(EU)の「欧州葬」が1日、フランス東部ストラスブールの欧州議会議場で営まれた。英国の離脱決定でEUが危機を迎える中、単一通貨ユーロの導入などに貢献したコール氏に各国の首脳や元政治家が最後の別れを告げた。
EU旗で飾られたコール氏のひつぎを前に各国の首脳らが登壇した。ドイツのメルケル首相は「コール氏が首相になった時はドイツと欧州は分断され、武力衝突は現実的な脅威だった。任期を終えた時にはドイツは統一され、隣国と友好で結ばれていた」とたたえた。《共同通信》
【上田利治さん】死去
プロ野球・阪急(現オリックス)、日本ハムで監督を務めた上田利治さんが1日、肺炎のため川崎市の病院で亡くなった。80歳。
徳島県宍喰町(現海陽町)出身。徳島・海南高から関西大に進み、後の阪神監督の村山実投手とバッテリーを組み、頭脳派捕手として活躍した。1959年に広島入団。現役時代は3年間と短かったが、優れた野球理論と情熱を買われて62年、同球団のコーチに就いた。
71年、阪急にコーチとして移り、74年に37歳で監督就任。以降、阪急・オリックスで74~78年と81~90年、日本ハムで95~99年に指揮を執り、計20年間、チームを率いた。75年から3年連続で日本一になるなど4年連続を含む5回のリーグ優勝を果たした。78年のヤクルトとの日本シリーズでは、本塁打の判定をめぐり、1時間19分も抗議を続けたことでも知られる。監督通算は歴代7位の1322勝(1136敗116分け)。2003年、野球殿堂入りを果たした。《毎日新聞》