平成8263日目
2011/08/23
【この日の菅直人総理】
古川聡宇宙飛行士と交信
平成23年8月23日夜、菅総理は総理大臣官邸で、国際宇宙ステーション(ISS)の「きぼう」日本実験棟に滞在中の古川聡宇宙飛行士と交信を行いました。
古川宇宙飛行士は、6月に打ち上げられたロシアのソユーズTMA-02M宇宙船に搭乗し、フライトエンジニアとしてISSに約5ヶ月半滞在することとなっており、「きぼう」日本実験棟での科学実験やISSの運用・維持管理等を行っています。
菅総理は、進行役を務めた野口宇宙飛行士、福島大学附属中学校、岩手県奥州市立江刺第一中学校、宮城県東北学院高等学校、宮城県泉館山高等学校の生徒たち及び福島大学附属小学校、岩手県奥州市立南都田小学校の児童たちと一緒に、古川宇宙飛行士と約20分間交信を行いました。《首相官邸》
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【リビア】「カダフィ政権」事実上の崩壊
リビアの首都トリポリの制圧を進める反体制派は23日、最高指導者ムアマル・カダフィ氏の邸宅などがある首都南部のバーブ・アジジヤ区域の陥落を目指して攻撃を開始、部隊の一部が区域への入り口を突破した。
AFP通信は反体制派の一部がカダフィ氏の邸宅や司令部を制圧したと伝えた。英BBC放送は、カダフィ氏の邸宅内に反体制派兵士が入る場面を報じた。カダフィ氏の所在は不明。首都制圧を巡る攻防は重大局面を迎えた。
同テレビは、同区域付近で攻撃による黒煙が立ち上る映像を放映している。AP通信は、反体制派勢力の数百人が同区域に突入したと報道。カダフィ氏の部隊との戦闘は、同区域の西側で始まった模様だ。両派の間でロケット砲や迫撃砲の応酬が行われたほか、トリポリ市内には銃撃戦の音や爆発音が響きわたった。
同区域は、カダフィ氏の警護部隊の兵舎や通信施設などが集まる体制の最後のとりでで、その陥落はカダフィ政権にとって極めて大きな打撃となる。《読売新聞》
【前原誠司前外相】民主党代表選出馬を表明
前原誠司前外相(49)は23日、自らのグループ会合で菅直人首相の後継を決める29日の民主党代表選への立候補を表明した。「日本の危機を救うため、挙党一致で国難を乗り越えていく。その先頭に立ちたい」と述べた。ただ党内には外国人献金問題を抱えての出馬を懸念する声もあり、最大勢力を率いる小沢一郎元代表の対応が焦点となる。
小沢氏は23日夕、党と関係が深く、前原氏の後見人役でもある稲盛和夫京セラ名誉会長と都内で会談した。前原氏の代表選出馬をめぐり意見交換したとみられる。前原氏は会合で「国民は政治に失望している。政治への信頼を取り戻さなければならない」と強調した。《共同通信》
【島田紳助さん】芸能界引退
テレビ番組の司会者などとして活躍するタレントの島田紳助さん(55)は23日夜、吉本興業東京本部(東京・新宿)で記者会見し、暴力団関係者との親密な関係が判明したとして、同日付で、芸能活動を引退すると発表した。
所属事務所の「よしもとクリエイティブ・エージェンシー」によると、島田さんは2005年6月ごろから07年6月ごろにかけ暴力団関係者と親密な携帯電話メールをやりとりしていた。
会見によると、島田さんは十数年前、暴力団関係者と旧友を通じて知り合った。自身の個人的なトラブルを、旧友に相談した際、「その知人の暴力団関係者が解決してくれた」と説明。暴力団関係者と直接会ったのは4、5回程度。
会見で、島田さんは「トラブルを解決してもらい、恩を感じていた。問題はないという認識だった」と釈明。「一番重い処罰を自分に与えた」と引退の理由を語った。
会見では、時折、涙を浮かべ、一連の経緯を説明。「明日からは一般人として静かに暮らしていきたいと思います」と述べ、約1時間の会見を締めくくった。
よしもとクリエイティブ・エージェンシーは、所属タレント全員を対象に毎年、コンプライアンス(法令順守)研修を実施。暴力団関係者と会うことや飲食、メールのやりとりもいけないと指導していたという。今回も、同社側は島田さんに「よしもととしてのルールだ」と迫ったという。
同席した同社の水谷暢宏社長は「経済的な利害関係は無いが、社会的影響力の高いテレビ等の司会者として登場しているだけに、厳格な態度で臨むべきだと考えた。本人から引退という申し出があり、受け入れることにした」と話した。
島田さんは1977年、故松本竜助さんと漫才コンビ「紳助・竜介」を結成し、漫才ブームの一翼を担った。85年のコンビ解散後も数多くのテレビ番組の人気司会者として活躍。若手漫才師の日本一を決めるトーナメント大会「M-1グランプリ」も仕掛けた。
04年に所属する吉本興業の女性社員を殴ってけがを負わせたとして傷害容疑で大阪府警に告訴され、10日間の謹慎処分に。傷害罪で略式起訴され、罰金30万円の略式命令を受けた。復帰後も、「開運!なんでも鑑定団」のほか、「行列のできる法律相談所」や「クイズ!ヘキサゴン2」など、人気番組に出演していた。《日経新聞》