平成4628日目
2001/09/09
この日のできごと(何の日)
【テニス・全米オープン】最終日
テニスの全米オープン最終日は9日、ニューヨークのナショナル・テニスセンターで男子シングルス決勝を行い、第4シードのレイトン・ヒューイット(オーストラリア)が第10シードのピート・サンプラス(米国)を破り、四大大会初優勝を果たした。
20歳6カ月13日の優勝は今大会がオープン化された1968年以降、90年のサンプラスに次ぐ2番目の若さ。昨年に続き決勝で敗れ、5年ぶり5度目の優勝を逃したサンプラスは、9年ぶり四大大会のタイトルなしに終わった。《共同通信》
昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。
情報量が少ない日は随時加筆中です。
引用記事は名前、住所など一部修正の上、抜粋してあります。
外国の方のお名前、地名などは現時点で一般的に通じるものに書き換えています。(例・ロシアのプーチン氏はかつてプチン氏と表記されていました)
古い記事の多くは「書き写し」のため、誤字脱字が多数あります。見つけ次第修正しています。
【大相撲秋場所】初日
大相撲秋場所初日(9日・両国国技館)今場所に横綱昇進を懸ける大関魁皇は、小結若の里の寄りに屈し、黒星スタートとなった。貴乃花の休場で1人横綱の武蔵丸は小結玉乃島を引き落として白星発進。残る大関は千代大海が琴ノ若を一気に押し出し、武双山は激しい突き、押し合いから朝青龍を押し出した。かど番の雅山は琴光喜に寄り切られた。関脇は栃東が隆乃若に引き落とされ、大関から転落した出島は土佐ノ海に敗れた。《共同通信》
【八木祐四郎さん】死去
日本オリンピック委員会(JOC)会長で1998年長野冬季五輪、2000年シドニー夏季五輪の日本選手団団長を務めた八木祐四郎氏が9日午後、大阪市内の病院で死去した。72歳。北海道出身。
八木会長は滞在先の大阪市北区のホテルのヘルスクラブの浴槽内に沈み込むように倒れているのが見つかり、救急車が到着したときは心停止状態に陥っていた。
八木氏は93年4月にJOC理事、95年4月からは専務理事、99年3月からは第3代会長を歴任。今年3月に70歳の役員定年制を除外となり、特例で再選を受けていた。規約により、小掛照二副会長が会長代行を務める。
日大スキー部出身で、60年に全日本スキー連盟(SAJ)理事となり、現在副会長兼専務理事。72年札幌冬季五輪でバイアスロン監督、88年カルガリー冬季五輪でスキー監督を務め、ジャンプや複合のノルディックを中心に、日本スキー界の発展に尽力した。《共同通信》
【相米慎二さん】死去
「セーラー服と機関銃」や「お引越し」などの作品で知られる映画監督相米慎二氏が9日午後4時すぎ、神奈川県内の病院で死去した。53歳。盛岡市出身。
1980(昭和55)年、「翔んだカップル」で監督デビュー。第二作の「セーラー服と機関銃」が大ヒットした。親族によると、6月から肺がんのた入院していたという。《共同通信》