平成3849日目
1999/07/23
この日のできごと(何の日)
【全日空61便ハイジャック事件】
23日午前11時25分ごろ、羽田発札幌行きの全日空61便ジャンボ機(乗客503人、乗員14人)の操縦室に包丁を持った男1人が押し入り、「横田基地に行け」などと要求した。長島直之機長(51)は正午すぎ、男に首などを切りつけられ死亡。男は取り押さえられ、警視庁にハイジャック防止法違反容疑で逮捕された。
警視庁によると、ハイジャック犯の男は「都内に住む無職で28歳」と話している。
同機は午後0時14分、羽田空港に緊急着陸。単独犯とみられ、乗客503人にけがはないもよう。乗客には幼児ら子供4人が含まれる。
警察庁、警視庁は対策本部を設置、動機などを追及する。政府も一時、官邸対策室を設置、情報収集に当たった。
警察庁によると、国内のハイジャック事件で乗客乗員に死者が出たのは初めて。警視庁によると、男は機長に刃渡り約20センチの文化包丁で切りつけ、死亡させた。機長は首から肩にかけて切られた。乗客として乗り合わせた医師が機長の死亡を確認した。
運輸省によると、61便は午前11時23分に離陸、直後の25分ごろ、ハイジャックされたとの連格があった。千葉県上空とみられ、伊豆大島上空を旋回後、男は副提縦士を操縦室から追い出し、容疑者自ら羽田空港の管制官とやりとりをした。横田基地に向かうよう要求、同機は横田上空に向かった。
全日空によると、2グループ計60人団体客があり、一つは北九州市からの団体。61便はボーイング747−400型。操縦室には機長と副操縦士の2人だけで、在来のジャンボ機のように航空機関士は乗っていない。
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全日空機ハイジャック事件に対処するため政府は23日昼前、内閣安全保障・危機管理室を中心に要員を非常招集し、安藤忠夫内閣危機管理監を長とする対策室を首相官邸に設置するなど一時、緊張した。
首相官邸の野中広務官房長官に一報が入ったのは、午前11時40分すぎ。「羽田発札幌行きの全日空61便がハイジャックされたもようだ」との運輸省からの連絡だった。
鈴木宗男官房副長官には、「包丁を持った男が操縦室に侵入し、副操縦士を室外に出させ、立てこもっている。機長によると単独犯とみられる。けが人などが出ているかは不明」との詳細な情報も入った。午後0時10分すぎには「機内で取り押さえられた」との連絡が入ったが、その後、機長死亡の報告。官邸内の昼食会に出席していた小渕恵三首相も「今、情報が入った」とこわばった表情で執務室に戻った。
知っ買う
小渕恵三首相は23日午後、全日空機ハイジャック事件で機長が死亡したことについて記者団に「尊い命で、残念の一言に尽きる」と哀悼の意を表明した。犯人を取り押さえた状況については「地上に着陸した後、機長に危害を加え、その結果、重大な結果を生じた」と述べた。《共同通信》
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羽田発札幌行きの全日空61便ジャンボ機が23日、ハイジャックされ、長島直之機長(51)が包丁で刺殺された事件で、ハイジャック防法違反などの現行犯で逮捕された男が機長を刺した後、同機を一時操縦していたことが警視庁捜査一課の同日夜までの調べで明らかになった。
機体は男の操縦で高度約300メートルまで落下。乗務員と乗客7人が操縦室に飛び込んで男を取り押さえ、乗り合わせた別の機長が機体を上昇させて副操縦士が羽田に着陸させたことも分かった。離着陸以外に300メートルまで降下することはなく、墜落の危険もあった。
捜査一課によると、男は東京都江戸川区の無職(28)で「機長が操縦させてくれなかったから刺した」と話しているという。
ハイジャックの動機については「フライト・シミュレーション(模擬操縦)ゲームが趣味で、実際に空を飛んでみたかった。以前から計画していた。レインボーブリッジをくぐったり、宙返りや蛇行をやりたかった」と供述。乗客も男が操縦室内で「おれに操縦させろ」と叫んでいるのを聞いていた。
同課は航空機を操縦するためにハイジャックに及んだとみて追及するとともに、羽田空港で機体を実況見分、飛行記録装置(DFDR)や音声記録装置(CVR)などの解析も進めている。また、殺人容疑で金属製の包丁を持ち込んだ経緯や機長刺殺の状況も詳しく調べている。
捜査一課や運輸省によると、61便は午前11時23分に離陸。男はその直後、高度約1000メートルの東京湾上空で、スチュワーデスに包丁を突き付けて「命が惜しけれは開けろ」と脅し、操縦室をノックさせて侵入。副操縦士を室外に出して閉じこもり長島機長と2人になった。同25分、61便から管制官に「ハイジャック」と無線で連絡が入った。61便は大島上空で180度旋回。
供述では、男はその後、副操縦士席で自動操縦装置を外そうとしたが失敗し、操縦かんを動かした。正午ごろ、高度は約300メートルまで降下した。
乗務員らが操縦室に飛び込むと、長島機長は血を流して倒れていた。肩から胸にかけて深さ約10センチ、首の右側に長さ約7センチの刺し傷があった。
包丁は新品でバッグに入れて持ち込んだとみられる。粘着テープも操経室にあった。
同課などによると、男は都内の国立大学卒業後、就職したが異常な言動を取るようになり平成8年秋に退職。精神科の入院歴もあるという。《共同通信》
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全日空機ハイジャック事件で、長島直之機長(51)が刺された直後から、機体がわずか2分間で約570メートルも急降下していたことが26日、運輸省の調査で分かった。
航空関係者によると、地上に近づいた旅客機の降下としてはかなり激しく、1分間に降下する高度差(降下率)は通常の着陸時の約2倍だった。副操縦士らが操縦室に飛び込んで男を取り押さえ、機体を立て直したが、そのまま降下すれば地表まで1分余で達したことになり、極めて危険な状だったという。逮捕された無職の男(28)は「機長を刺した後、自分で操縦した」と供述しており、同省は男が操縦かんを押し機体を降下させたとみている。
急降下の結果、機体は横田基地南の住宅地上空で、東京タワーの高さとほぼ同じ高度約330メートルまで下がった。墜落防止のため搭載されている対地接近警報装置がこれを感知し、警報音声が鳴った。
運輸省の調べによると、全日空機は羽田空港を離陸直後の23日午前11時25分、男にハイジャックされ、一度は千葉市上空で約3000メートルまで上昇したが、男の要求で約900メートルに降下。その後、ほぼ水平飛行で大島などを経由、横田基地方向に北上した。
高度900メートルは旅客機の水平飛行としては低すぎ、雲中の通過で機体が揺れるなどしたため、長島機長は再三「高度上げましょう」と催促。しかし男はそのままの高度を要求したとされ、11時58分ごろの神奈川県相模原市上空まで約900メートルを維持した。
長島機長はこのころ、男に刺され、男が副操縦士席で操縦かんを握ったとみられる。高度が急変したのはこの直後で、2分後の正午に横田基地の南上空で右旋回しながら高度約330メートルまで降下、それまでより約570メートルも下がった。《共同通信》
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【五輪・野球アジア予選】日本代表候補を発表
全日本アマチュア野球連盟は23日、シドニ五輪アジア地区予選に臨む、プロ野球から派遣される選手を含む日本代表候補、30選手を発表した。プロからはソウル五輪に出場したヤクルトの古田敦也捕手と広島の野村謙二郎内野手に24日のオールスター第1戦で先発する西武の松坂大輔投手ら8選手、アマからはバルセロナ、アトランタ両五輪に続く、出場を目指す日本生命の杉浦正則投手ら22選手がリストアップされた。
この日発表されたのは予備エントリーの30選手で、9月11日からソウルで開催される予選に出場する24選手は8月10日に決まる。プロ選手のうち、バッテリーは決勝リーグから日本代表に加わることになっている。
当初、予選はアマ選手だけで臨むことになっていたが、昨年のアジア大会決勝でプロと混成の韓国にコールド負けを喫し、同様の台湾にも苦戦した。このため、アマ選手だけでは五輪出場権獲得が微妙なことから、合同チームの編成となった。
プロ側は、協力態勢のパ・リーグに対し、セ・リーグはペナントレース優先で、対応に違いがあったが、アマ側から攻守の中心として強い要望のあった古田の派遣をヤクルトが決めたことから、広島も野村を選出した。《共同通信》
【社民党・土井たか子党首】解散「年内か来年の早期」
社民党の土井党首は23日夜、沖縄県具志川市内で講演し、自自公3党の連立政権に向けた動きについて、「年内か来年の早い時期には衆院解散・総選挙の問題が出てくると思う。与党が衆院定数の3分の2を上回るのは戦後初めてだ。自自公全体を許さない選挙にしないと、3分の2を確保した状態をどんどん悪用することになると思う」と批判した。《読売新聞》
【小渕恵三首相】自由党と選挙協力推進を
小渕恵三首相は23日午前、首相官邸に自民党の森喜朗幹事長、村岡兼造幹事長代理(選対総局長)を呼び、次期衆院選における自由党との選挙協力問題について「小沢一郎党首が小選挙区の協力で、目に見え、より実効のある方策を期待している。大事なことなのでこの国会が終わるまでにできるだけ双方で話し合いを詰めるようにしてほしい」と述べ、協議を進展させるよう指示した。《共同通信》
【竹下登元首相】一時退院、帰宅
自民党の竹下登元首相が23日、都内の入院先から世田谷区内の自宅に一時帰宅した。関係者によると、今回の一時退院は歩行訓練と気分転換を兼ねたものだという。
竹下氏は変形性脊椎症のため、ことし4月5日に入院した。入院は3週間程度としていたが、長期化。この間、小渕恵三首相と電話連絡をとるなどして健在ぶりをアピールしてきたが、4月末に綿貫民輔小渕派会長ら同派幹部の見舞いを受けたほかは、面会を断っている。《共同通信》
【台湾・李登輝総統】中国代表と会談
李登輝・台湾総統は23日、台湾訪問中の米国の台湾交流窓口トップ、リチャード・ブッシュ米在台協会理事長と約1時間半にわたり会談、中台関係を「特殊な国と国」と定義した発言について「現実を踏まえ中台の現状を説明した。一つの中国は現在は存在せず、将来民主的な統一後に初めて存在する」と従来の主張をあらためて展開、持論の正当性を強調した。
総統府によると、総統は同時に「建設的な対話と良好な交流を進める大陸政策には、いかなる変更もない」とも述べ、中台交流の継続を望む米国や国際社会の意向に配慮を示した。しかし総統はこの日、東京で発表した声明で、日本との安全保障協力を求める発言をしており、李登輝非難を強める中国が矛を収める可能性は低い。
李総統は、発言のタイミニングについて、秋に予定される中台交流窓口の中国側トップの訪台の際の政治協議に向け「台湾の対等な立場を主張する必要があったからだ」とした。また、中国側に対し冷静になるよう求めるとともに「発言をよく読めば、今後の中台関係の良好な発展につながることが分かるはず」と述べ、北京が持論を受け入れるよう重ねて主張した。
中央通信によると、ブッシュ理事長は、李発言を機に緊張する中台関係に懸念表明したクリントン米大統領のメッセージを台湾側に伝えた。《共同通信》
【スペースシャトル・コロンビア】初の女性船長、宇宙へ
米国初の女性船長が乗った米スペースシャトル「コロンビア」が米東部夏時間23日午前0時31分(日本時間同日午後1時31分)ケネディ宇宙センター(米フロリダ州)から打ち上げられた。
コロンビアは発射直後、エンジンをコントロールする電気系統に一時異常が発生したが、ほぼ予定通りの軌道に到達し、打ち上げは成功した。
95回目のシャトル打ち上げで初の女性船長となったアイリーン・コリンズ船長(42)=空軍大佐=は「ゼロG(無重力)に戻れて素晴らしい」と、船長としての初飛行の感激を地上に伝えた。電気系統の異常にも「ちょっとした仕事ができて、おもしろかったわ」と冷静さを見せた。
コロンビアの乗員はコリンズ船長ら5人。軌道到達後、貨物室に積んだエックス線望遠鏡チャンドラを地球を回るだ円軌道に向け、放出した。《共同通信》
【民主党】「地方自治体議員フォーラム」「全国研修会」
民主党の「地方自治体議員フォーラム」「全国研修会」が、23日午後から新潟県湯沢町のホテルを会場に3日間の日程で始まった。
初日の地方自治体議員フォーラムの全体集会には、地方議員など約500人が参加。実行委員長を務める広中和歌子副代表は、「自民党は、数だけ多い自自公99年体制の世紀末政権を作ろうとしている。民主党はしっかり民意を反映した政党として、国民の支持と信頼を得ていかなければならない」と挨拶した。
この後、神野直彦・東京大学教授が「地方財政の危機とその解決法」、阿部泰隆・神戸大学教授が「自治立法権の拡大と政策づくりの視点」の題で講演。(写真上)さらに分科会に分かれて、地方財政、自治体条例づくり、介護保険条例づくりについて、講師を交えて話し合った。
菅代表、羽田幹事長ら党幹部を交えての懇親会の後、「男女共同参画基本条例づくり」のワークショップ(写真下)や、映画「住民が選択した町の福祉」上映会も催され、夜遅くまで熱心な研修は続いた。
24日午後からの全国研修会では国会議員や地域組織からの参加者も加わり、総選挙対策や政権政策、政権戦略などをテーマに議論する。《民主党ニュース》
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初日の地方自治体議員フォーラムの全体集会には、地方議員など約500人が参加。実行委員長を務める広中和歌子副代表は、「自民党は、数だけ多い自自公99年体制の世紀末政権を作ろうとしている。民主党はしっかり民意を反映した政党として、国民の支持と信頼を得ていかなければならない」と挨拶。
この後、神野直彦・東京大学教授が「地方財政の危機とその解決法」と題して講演。神野教授は、「地方分権一括法について税財源関係が不十分との批判は多いが、中央集権という冬の扉を開く第1歩と認識してほしい」と述べ、「いま起きている地方財政危機は日本特有で、道府県に多い『強制型』と市町村の『誘導型』の2パターンがある。これを克服し危機を脱するには税源を地方に移譲するしかない」と説明した。
続いて阿部泰隆・神戸大学教授が「自治立法権の拡大と政策づくりの視点」の題で講演。これまで国の行ってきた裁量行政を批判し、地方自治法の改正によって強まった地方自治体の役割を強調。その上で、阪神大震災における被災者対策や復興事業、情報公開法などを例に挙げ、政策目的を実現するための法律や条例の発想法やアプローチの仕方を、ユーモアを交えながら語った。さらに3つの分科会に分かれて、参加者たちは地方財政、自治体条例づくり、介護保険条例づくりについて、講師を交えて話し合った。
夕方からは菅代表、羽田幹事長ら党幹部を交えての夕食、懇親会が開かれ、交流を深めた後、さらに「男女共同参画基本条例づくり」のワークショップや、町の福祉施設建設をめぐる秋田県鷹巣町長と議会との間の葛藤を描いたドキュメンタリー映画「住民が選択した町の福祉」の上映会も催され、夜遅くまで熱心な研修が続いた。《民主党ニュース》
【モロッコ・ハッサン国王】死去
38年余りにわたって王位にあり、中東和平の仲介役も務めたモロッコのハッサン国王が23日午後4時半(日本時間24日午前1時半)、心不全のため、入院先の首都ラバトの病院で死去した。9日に70歳の誕生日を迎えたばかりだった。
後継国王には23日夜、長男のシディ・モハメド皇太子(35)が即位した。国王の葬儀は25日に行われる。
国王は23日、急性肺炎を起こし、病院に収容されていた。モハメド皇太子は同日夜、テレビ演説を通じて国王の死去を発表するとともに、国民に忍耐を呼び掛けた。中東のアラブ世界では、今年2月にヨルダンのフセイン国王が死去した後、ハッサン国王が在位、在職期間で最長の国家指導者となっていた。
ハッサン国王はイスラム教の開祖マホメットの末えいで、父親のモハメド五世とともに独立運動を指導。1956年3月の独立と同時に軍総司令官となり、副首相兼国防相を経て、62年3月、父親の死去に伴い、ハッサン二世として31歳で即位した。
71年7月に軍部右派のクーデター未遂事件、72年8月には国防相による国王搭乗機襲撃事件に見舞われるなど、王制の危機が続いたが、非常事態体制を敷いて乗り切った。
中東和平プロセスではひそかに仲介役として動き、イスラエルの指導者と接触、79年のイスラエルとエジプトの平和条約締結に一役買ったほか、イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)との和平交渉の仲介なども果たした。《共同通信》