平成2920日目

1997/01/05

この日のできごと(何の日)

【ナホトカ号重油流出事故】巡視船から油処理剤

島根県沖の日本海で起きたロシア船籍タンカー「ナホトカ」の重油流出事故で、第八管区海上保安本部(京都府舞鶴市)は5日、巡視船から漂流重油に処理剤の散布を始め、沿岸への漂着防止に全力を挙げている。午後から天候が荒れ、えい航作業やヘリコプターからの処理剤散布は中止された。一方、石川県は同日、県内沿岸に重油が漂着する恐れが強いとして、県警本部とともに庁内連絡会議を設置した。

八管本部によると、船首部分の位置は、京都府・経ケ岬の北約73キロ、福井県・三国港の西北西約71キロで、重油は船首部分を中心に半径約10キロの円内に筋状や固まりで点在している。金沢港からは西約115キロ付近に近付いている。さらに同港西北西約210キロにも、もう一つの重油の大きな帯が漂流している。

漂流方向は南東から東寄りに変わってきており、福井県から能登半島沿いに北上するものの、対馬海流が海岸から離れていることから船首部分が漂着する可能性は低いとみられる。油については海流が北向きに進路を変える付近で、どの方角に動くか見極める必要があるという。

船首部分には約2800キロリットルの重油が残っているとみられ、同日午前、影響が小さい沖にえい航するため、船主側が依頼した民間の大型タグボートが準備を始めたが、悪天候で作業を中止した。

この日の除去作業は、第三管区海上保安本部(横浜市)から派遣された油除去専門の機動防除隊の隊員2人が作業の指揮、指導に当たり、巡視船4隻が、船首部分の周囲の重油に繰り返し処理剤を散布。薄い膜は海中に拡散したが、固まり状の油には効果がなかった。ヘリコプターは現場海域に飛んだが、荒天のため散布を中止した。

八管本部は、運輸省第五港湾建設局の油回収船、清竜丸(3,526トン)の出動を要請。早ければ7日夕にも到着の見込み。《北國新聞》

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【NHK大河ドラマ・毛利元就】放送開始

【太陽党・羽田孜党首】「太陽党は改革進める結集軸に」

太陽党の羽田孜党首は5日、奈良県橿原市内で記者会見し「現在の日本は経済などを含め、大きな転換点に差し掛かっており、改革が望まれている。太陽党は改革を進める結集軸にならなければならない」と強調した。

今後の政界再編については「新進党は太陽党の友党であり、新進党や民主党と将来的に大同団結できるように徹底的に話し合いたい」と述べ、新進党や民主党と連携して改革勢力の再結集を目指す方針を示した。《共同通信》

【在ペルー日本大使公邸占拠事件】こう着状態が続く

ペルーの日本大使公邸人質事件は5日、極左ゲリラ、トゥパク・アマル革命運動(MRTA)との事実上の交渉役であるシプリアニ司教とミニング赤十字国際委員会ペルー代表が前日に続いて公邸に入ったが、新たな人質の解放は実現せず、4日連続で解放がなかった。

事件発生から20日目で、3度目の日曜日の5日、司教は公邸でミサを主宰した。司教やミニング代表の邸内でのそれ以外の行動は不明だが、4日から2日続けて数時間ずつ内部にとどまっており、MRTA側に残る人質74人の段階的解放を迫っているもようだ。

公邸屋上から4日未明に下げられたペルー政府に対話などを求める垂れ幕は5日未明(日本時間同日夜)、ゲリラ側が撤去した。窓には人質が書いた「共同通信へ進入可」と「謹賀新年」の文字だけが残っている。公邸では5日、タンク車から貯水槽に給水されたほか、食料が運び込まれた。《共同通信》

【ロシア軍】チェチェンから完全撤退

ロシア内務省と国防省は5日、チェチェン共和国に駐留していたロシア国防省軍と内務省軍が共和国から完全に撤退した、と発表した。1994年12月にチェチェンに進攻したロシア軍は、共和国全土を掌握することができないまま、進攻以来約2年ぶりに撤退したことになる。

共和国連立政府が、今月27日のチェチェン共和国大統領・議会選挙前までの撤退を要求したのに対し、エリツィン大統領が昨年11月に全面撤退の方針を打ち出していた。

ロシア内務省のマスロフ参謀長によると、撤退の最終段階では、1万6000−1万8000人の内務省軍が隣接するダゲスタン共和国などの基地に移動した。国防省軍も先月29日に、最後の戦闘部隊が撤退を始めていた。

チェチェン紛争をめぐっては、昨年8月、レベジ安全保障会議書記(当時)とチェチェン独立派のマスハドフ参謀長(当時)が、チェチェンの地位問題の解決を5年間先送りすることなどで合意。ロシア側も完全和平に向けた話し合いを続けている。しかし、ロシアからの独立を主張するチェチェン側と、チェチェンを連邦内の一部とするロシアとの間で溝は埋まっておらず、今後の和平達成には曲折も予想される。《共同通信》



1月5日 その日のできごと(何の日)