平成2846日目
1996/10/23
この日のできごと(何の日)
【新進党】小沢一郎党首の続投を確認
参院選に敗北した新進党は23日、小沢一郎党首と細川護熙、羽田孜、海部俊樹の3首相経験者による最高諮問会議と五役会議を党本部で相次いで開き、責任問題などについて協議した結果、小沢党首の下で結束していくことを確認、党首続投が確定した。小沢氏に批判的な細川、羽田両氏は一時「分党」を提案したが、最終的には協力姿勢を示し、同党の分裂という最悪の事態は回避した。
小沢氏は、西岡武夫幹事長など現執行部体制で党運営に当たる。小沢氏の今後の党運営によっては細川、羽田両氏との対立が再燃する可能性もあるほか、一部議員の離党の動きも完全には消えておらず、混迷はまだまだ続きそうだ。
この後、記者会見した小沢氏は細川、羽田両氏が①21日の最高諮問会議で「新進党の体質では多数派の形成は困難」として、独立した新党を結成する「分党方式」を提案した②23日の会議では一転、「この話はなかったことにしてほしい」と小沢党首の下での一致協力を約束した−とする経過を明らかにした。
分党提案を論議する過程で、小沢氏は「新進党の解体につながる」と危ぐの念を表明、海部氏も「団結して進むべきだ」と訴えた。しかし、21日の段階では細川、羽田両氏の決意が固く、小沢氏もいったんは「やむなし」と判断した。23日午前の最高諮問会議であらためて分党問題や党の基本姿勢などをめぐって協議したが、まとまらなかった。しかし分党には支持団体の創価学会や、友愛会の支持が得られなかったことなどから午後の再協議で、最終的には結束を確認し、収拾した。
ただ、党内には自民党との連携含みで離党時期を探る熊谷弘元官房長官や、これとは別に、新進党を離党した船田元、石破茂、新井将敬の3氏が特別国会で独自の会派を旗揚げするため、新進党の若手議員に離党を働き掛ける動きも続いている。
新進党は24日午後に両院議員総会を開き「小沢体制」の継続を正式に確認する。《共同通信》
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【政界談話室】
○・・・中曽根康弘元首相は23日、自民党旧渡辺派の総会であいさつし「わが派は(新人を迎え)53人になると思う」と、衆院選前の43人からの躍進ぶりを誇った。さらに「民主党(52人)と同じ数で、実力から言えば3倍くらいになる」と、役員、閣僚人事を控え、聞こえよがしにアピール。さらに「血刀をさげて戦ってきた者が上京するので(他党との連立は)難しい」と、“自民党単独路線”も勇ましく主張。北関東ブロックの比例名簿終身1位にランクされる中曽根氏だけに、この人の辞書に「世代交代」の文字はない。
○・・・鳩山由紀夫民主党代表はこの日朝、都内での支持労組幹部との会合で「当選議員のうち17人が新人。議員総会でも活発に議論している」と新鮮さをアピールした。自民党時代に所属していた経世会と比較し「一、二回生は発言できない雰囲気があった。隔世の感がある」とも力説。総選挙では共産党から「鳩山氏は金丸信氏(元自民党副総裁)譲りのゼネコン政治家」「民主党が掲げる友愛は、鳩山一郎元首相譲りのタカ派の証明」などと“口撃”されただけに「民主党には上下関係がなく、情報もオープン。今後も市民追求型で」と強調していた。《共同通信》
【プロ野球日本シリーズ第4戦】巨人、耐えて1勝
1996年プロ野球日本シリーズ、オリックスー巨人第4戦は23日、グリーンスタジアム神戸で行われ、巨人が5−1で初勝利を挙げ、4連敗を免れた。
巨人は下位打線が全得点を挙げる活躍を見せた。二回は一死二、三塁で村田真の右前適時打と川相の左犠飛で2点を先制し、六回には大森が右越えに今シリーズ第2号のソロ本塁打。七回にも二死満塁から杉山、川相の連続押出し四球で2点を加えた。
悲願の日本一に王手をかけたオリックスは、三回に大島の左適時打で1−2としたものの、四回から八回まで二番手の木田に無走者に抑えられた。《共同通信》