平成2312日目

1995/05/08

この日のできごと(何の日)

【オウム真理教・新実智光容疑者】再逮捕

警視庁は8日、東京の目黒公証役場事務長拉致事件で逮捕監禁容疑で指名手配され、先月10日に金沢市内での状が確認されたM容疑者(29)の逃走を手助けしたとして、犯人隠匿、隠避の疑いでオウム真理教「自治省大臣」の新実智光容疑者(31)を再逮捕した。

調べでは、新実容疑者は、七尾署に占有離脱物横領容疑で逮捕された教団「治療省大臣」林郁夫容疑者(48)らと共謀。3月23日ごろから4月8日ごろまでの間、M容疑者を石川県穴水町の貸別荘などにかくまったうえ、指紋を消す手術をし、変装用の婦人服やかつらを渡すなど、逃走の手助けをした疑い。

警視庁によると、新実容疑者が貸別荘にいたかどうかは不明だが、同容疑者が3月26日から6日間、金沢市内の宿泊施設に泊まっていたことが指紋などから確認されている。新実容疑者の泊まった部屋から穴水町の貸別荘に2度、電話がかけられており、警視庁は同容疑者がこの宿泊施設からM容疑者の逃走の指示をした可能性もあるとみている。

新実容疑者は、教団施設から脱走した元看護婦の信者を連れ戻した逮捕監禁容疑で山梨県警に逮捕、起訴されている。《北國新聞》

オウム真理教に対する強制捜査で、警視庁に逮捕された信者約140人のうち、現在拘置中の約40人の半数以上が取り調べに応じず、ヨガや座禅などの修行を留置場で行っていることが、警視庁の調べで分かった。 逮捕後も宗教生活を引きずっているとみられるが、ほとんどの信者が戒律違反の肉を含め、出された食事をすべてとっており、警視庁は信者のかたくなな態度が変化する兆しとみている。

これまでに全国の警察本部に逮捕された信者は200人近くに上っている。警視庁では約40人が本部庁舎と警察署に分かれて拘置されており、このうち二十数人がヨガや座禅を行っている。 これまでの逮捕者の中には3日間飲まず食わずで完全黙秘を通し、釈放された信者が2人いたほか、容疑の事実関係に話が及ぶと合掌して祈り出す者もいる。

しかし、肉や魚などオウム教の戒律で禁じられた植物が含まれている留置場の食事を、一部の例外を除いたほとんどの信者が全部食べている。当初「断食する」と宣言したものの数日で断念、3食とるようになった信者もおり、食事に対する姿勢の変化が供述にも影響しているという。《共同通信》

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【大相撲夏場所】2日目

大相撲夏場所2日目(8日・両国国技館)若乃花、貴ノ浪の2大関に土がついた。若乃花は寄りで攻め切れず、土俵際で体を入れ替えた小錦の寄りに屈した。貴ノ浪は休場明けの武双山にいいところなく、寄り切られた。2横綱と他の大関は2連勝。曙は若翔洋を豪快な右上手投げで退けた。貴乃花は水戸泉のはたきを残し、押し出した。武蔵丸は小結貴闘力を寄り切った。大関を狙う関脇安芸乃島も寺尾を押し倒して2連勝。《共同通信》

【Jリーグ・横浜フリューゲルス】木村文治監督が辞任

Jリーグの横浜フリューゲルスは8日、木村文治監督(50)の辞任を発表した。今季のJリーグでの監督辞任第一号。木村監督は6日、1−5の大敗を喫した平塚戦の試合後に泉信一郎代表に対し、成績不振を理由に「辞めたい」と申し入れていた。

横浜Fは後任を外国人に絞り、第16節(13日)の後の1カ月余のリーグ中断中に決める意向。第15節(10日)からは、ブラジル人のシルバ・サテライトコーチ(42)が監督代行を務める。

木村監督は、加茂周前監督の日本代表監督就任に伴い、昨年12月にヘッドコーチから昇格。チームは今季、ブラジル代表のジーニョらスター選手3人を補強し、優勝候補の一角にも挙げられたが、平塚戦を終えて4勝10敗の13位と予想外の不振にあえいでいた。

シルバ監督代行はブラジルの名門、サンパウロのヘッドコーチなどを歴任し、昨年、静岡学園高のコーチに就任。今季から横浜Fのコーチとなっていた。《共同通信》

【新進党・野末陳平参院議員】離党

新進党の野末陳平参院議員は8日午後、参院議員会館で記者会見し、同日付で離党届を提出、新党を結成して今夏の参院選には東京選挙区から出馬する考えを明らかにした。離党の理由として「大政党は一大企業と同じで自分の意見が十分反映されず、仕事がやりにくい。小さい政党の方が向いている」ことを挙げた。

野末氏は「今月中にも新党を結成して参院比例区にも候補者を立て、2議席以上は確保したい」と述べ、「これから仲間を募りたい。できれば新人の若い人がいい」と語った。また新進党の現職の国会議員が参加する見通しについては「難しいのではないか」とした。

同時に野末氏は衆院への転身にも強い意欲を示し、衆院選が今夏の参院選と同時期に行われた場合には、新党で東京19区か同21区から出馬する意向を明らかにした。

野末氏は昭和46年、無所属で参院東京地方区から初当選、58年に「税金党」を結成した。平成2年に税金党を解散して自民党に入党したが、6年、政治改革法案への対応を不満として自民党を離党、新進党結党に参加した。

新進党は、野末氏の行動が個人的なスタンドプレーであるとして、同調者が出るなどの影響はないと判断している。《共同通信》

【村山富市首相】内閣改造「考えはまったくない」

村山首相(社会党委員長)は8日夜、都内のホテルで河野外相(自民党総裁)、武村蔵相(さきがけ代表)と同日昼に続いて3党首会談を開き、政局運営全般について協議した。

政局の焦点に浮上している内閣改造について首相は「改造の考えは全くない。念頭にない。この時期の選手(閣僚)交代は適当ではない」との考えを明確に示し、河野、武村両氏も同調、参院選前の改造は行わないとの方針で一致した。《共同通信》

【政界談話室】

○…村山首相は8日朝、官邸入りする際、記者団から内閣改造の可能性に探りを入れられ「(与党幹部)皆さんの話を聞いている」と一言。記者団がなおも「改造に前向きか」と食い下がると「いや、まだまだ」とはぐらかし作戦。与党3党首会談が終わった正午すぎには、同夜の3党首再会談で改造について話し合うのか、と追い打ちを掛けられ「まあ、それはいろいろ意見があるから」。さらに午後になっても記者団から「今後、改造について(与党と)話し合うのか」と尋ねられ「さあ。それはどうかな」と防戦一方。波状的な質問攻めに最後はうんごりした様子。

○…この日の与党責任者会議で、同日社会党に離党届を提出した北村哲男参院議員のことが話題に。社会党の青木薪次参院議員会長が、北村氏が弁護士出身であることに触れたり「彼は出るところ(選挙区)がないんですよ」と、離党の背景に選挙の問題もあるとの見方を披露したりすると、自民党の斎藤十朗参院議員会長が「(北村氏は)自民党に入ったらどうかな。自民党には弁護士は少ないし、うちに来てもらえばいい」。スポーツ選手の参院選擁立など無党派層対策に力を入れている自民党だけに、あながち冗談とばかりは言えない?《共同通信》

【米国】イラン全面禁輸が発効

クリントン米大統領は8日、先月末に発表した対イラン全面禁輸措置実施に関する行政命令を出し、禁輸措置が正式に発効した。これにより、米企業は海外の子会社も含めイランとの貿易のほか、イランへの新規投資も禁じられることになった。

行政命令は米企業に対し、発効以前の取引契約の完了のため30日間の猶予期間を設定している。今回の措置の主な対象は米石油業界。同業界は米本土への輸入を禁じられていたイラン原油を海外の子会社を通じ日本などの第三国に転売していた。このため禁輸による日本への影響も予想される。

クリントン政権は日本や英国、ドイツなど他の先進7カ国(G7)各国にも同様の措置を求めているが、今のところ同調の動きはなく、実際に米単独の全面禁輸がどこまでイランの経済的封じ込めに効果を発揮するか微妙である。《共同通信》

【テレサ・テンさん】死去

タイ警察当局によると、甘くせつない声で、日本や中国などアジアで高い人気があった台湾の歌手テレサ・テン(鄧麗君)さんが8日、タイ北部のチェンマイで死亡した。42歳だった。

チェンマイの病院によると、直接の死因は心不全だが、気管支ぜんそくの発作を起こしたのが原因とみられる。8日夕、チェンマイ市内のホテルの部屋で倒れ、病院に運ばれたが、既に死亡していた。

テレサ・テンさんは、休暇を利用してフランス人男性と一緒に4月初めからチェンマイを旅行していた。

台湾出身だが、北京語のほか広東語や英語、日本語などで歌い、日本ではレコード大賞新人賞など数々の賞を得て、高い歌唱力を評価されていた。

テレサ・テンさんは少女時代に台湾ののど自慢で優勝、13歳で歌手としてデビューした。日本、さらに中国大陸でも人気者となり海賊版を含めてレコード、カセットテープなど数千万本を売ったといわれる。

中国では「昼は鄧小平が支配し、夜は鄧麗君が支配する」といわれるほどのブームを起こした。1983年の精神汚染追放運動で批判対象となり、一時、テープが回収される騒ぎとなった。

74年に初来日してデビュー。同年「空港」でレコード大賞新人賞を獲得したほか「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」など数々のヒット曲を生んだ。NHKの紅白歌合戦には3回出場した。

89年の天安門事件に大きな衝撃を受け、移り住んだパリで民主化支援のコンサートを開いて話題を呼んだ。ことし春節(旧正月)から持病のぜんそくが悪化したと伝えられていた。《共同通信》



5月8日 その日のできごと(何の日)