平成2128日目

1994/11/05

この日のできごと(何の日)

【公明党】分党決定を正式決定

公明党(石田幸四郎委員長)は5日、東京・九段南の九段会館で第33回全国大会を開き、いったん解党し「分党・二段階方式」で新・新党へ参加する方針を正式決定した。12月の解党大会で、結党以来30年の歴史に終止符を打つことになった。

石田委員長はあいさつで新・新党結成について「新しい選挙制度の下、志を同じくする人たちと大きな政治勢力をつくり、自らの考えている政策を実現する」と説明。「村山政権は国民の審判を受けた政権ではない。一日も早く新制度の下での総選挙を実現すべきだ」と衆院の早期解散、総選挙を求めた。

また大会は石田委員長、市川書記長の12月5日の解党大会までの任期延長を決めた。

午後の大会では①12月5日にいったん解党し、来年非改選の参院議員11人と地方議員による「公明新党A」と、衆院議員や来年改選の参院議員計65人が参加する「公明新党B」をそれぞれ結党する新党②Bは12月10日に新生、日本新、民社各党など成する新・新党に参加するーとの活動方針を決定した。

質疑では新党AとBの関係など今後の公明党組織の在り方に質問が集中。市川書記長は「(新・新党内の公明党出身者と新党Aとの)定期懇談会をつくるか、連絡機関についてはまだ議論していない」「新・新党で(公明党出身者の)政策集団をつくるかどうか考えたい」などと述べ、新・新党内に公明党出身者のグループを残すことを検討する考えを示した。

また新党Aの新・新新党への参加の時期について市川書記長は大会後の記者会見で「新党Aの名で国政選挙をやる意思はない」と述べ、4年後の参院選までに新・新党に合流する考えを示した。

公明党は、昭和36年に結成された「公明政治連盟」を前身に、創価学会を支持母体に39年11月に結党。44年の出版妨害事件で創価学会との関係が批判にさらされ、45年の党大会で「政教分離宣言」をした。一方、路線問題では社公民路線、自公民路線など揺れたが、平成4年に市川書記長が新党参加に積極論を打ち出し、5年8月に非自民の8党会派による細川連立政権に加わり石田委員長らが入閣した。《共同通信》

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【西武・石毛宏典内野手】監督就任要請を断る

西武の石毛宏典内野手(38)は5日、西武球団からの監督就任要請を正式に断った。

石毛はこの日、所沢市の球団事務所で清水球団代表、小野同専務と2度目の会談を行い、球団から契約金、年俸などの条件提示を含め、監督要請を受けたが「(現役続行の意思を)正直に話し、お断りした」と語った。球団側もこれを了承したが、話し合いは約20分の短さだった。

また、フリーエージェント(FA)権利行使についてはこの日、球団から来季の選手契約の条件提示も受け「もう一度考え直してみる」と即答を避けた。FA宣言のリミットは8日までで、石毛はそれまでに態度を明らかにするが、監督要請を固辞したことで、選手として西武に残留する可能性はまずない。

球団側は3日、石毛に初めて監督要請をした。しかし、石毛の現役に固執する姿勢は、二度目の要請でも変わらなかった。清水代表は「返答は前回と同じ。意思があまりにも固い。断念せざるを得ない」と語った。さらに「西武の選手として全うしてほしいが、そこまでは読み取れない」と、石毛がFA宣言して、他球団に移籍するのもやむなしとの見解を示した。

石毛の監督就任固辞を受け、西武の後任監督問題は白紙に戻ったが、今後は球団OBを中心に後任探しに取り組むことになった。《共同通信》

【Jリーグ・ニコスシリーズ】第18節

Jリーグ・ニコスシリーズ第18節(5日・三ツ沢球技場ほか=6試合)ヴェルディ川崎が勝ち、ベルマーレ平塚が敗れたため、再び川崎が首位に立った。川崎は名古屋グランパスに1点を先行されながらも、終盤同点に追い付き、延長前半、藤吉のVゴールで2−1で振り切った。平塚は詰めが甘く、15試合ぶりの無得点で、0−3と横浜フリューゲルスに完敗した。横浜マリノスはサンフレッチェ広島に1−2で敗れて7敗目を喫し、優勝は絶望的。浦和レッズは2−0でジュビロ磐田を下し8勝目。ガンバ大阪は鹿島アントラーズに2−1で、ジェフ市原も清水エスパルスに1−0で勝った。《共同通信》

【村山富市首相】特大「くまで」にご満悦

村山首相は5日、東京・永田町の社会党本部で東京・浅草の鷲神社宮司から酉の市で売られる縁起物のくまでを贈られた。約150センチの大くまでの中央には首相の愛称から名付けられた「トンちゃん人形」が飾りつけられている。

巫女の川崎恵美さん(18)からくまでを受け取った首相は満面に笑みを浮かべ「立派なものをいただいて。これで全国の票をごっそり集める。いずれ総選挙もあるわけじゃから」と心は早くも選挙対策のよう。くまでは「福徳」をかき寄せる縁起もの。後半国会の懸案処理、社会党内の路線対立など問題山積の中、思惑通りことが運ぶかどうか。《共同通信》

【米・レーガン前大統領】「私はアルツハイマー」

レーガン元米大統領(83)は5日、AP通信に対し、米国民にあてた6ページにわたる書簡を寄せ、自分が初老期痴ほう症の一種であるアルツハイマーの初期段階であることを公表した。書簡の中で元大統領は「自分は現在は元気だがアルツハイマーに対する世間の認識を深めるため妻のナンシーと相談して公表することを決定した」と述べ、公表に踏み切った動機を明らかにした。

書簡に添付された5人の医師の所見によると、元大統領は過去1年間、アルツハイマーの兆候示していたが、この2、3週間にわたる検査と観察の結果、同病の初期段階にあり、数年後には悪化し始めるとの結論に達した。

アルツハイマーは後戻りのきかない進行性の神経性疾患。元大統領は「病状が進行するにつれて家族は大きな負担を受ける。私はナンシーにこうした苦痛を与えることがないよう望んでおり、(死の)時が訪れたとき、あなた方の支援により彼女が信仰と勇気をもって対処できることを確信している」と述べた。《共同通信》

クリントン米大統領は5日、レーガン元大統領がアルツハイマーにかかっていると公表したことについて「非常に感動した。彼とは多くの点で見解が違ったが、常に楽天的で勇気を持って戦う人だ」と述べた。《共同通信》

【台湾・李登輝総統】APEC出席を断念

台湾の中央通信社によると、銭復外交部長(外相に相当)は5日、李登輝総統が15日にインドネシアで開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)の非公式首脳会議への出席を断念することを明らかにした。外交部長は、台湾がAPECの非公式首脳会議に出席することについては、主催国のインドネシアと既に合意に達しており、李総統の代理を派遣した昨年のシアトル会議方式をとると述べた。部長はまた、近日中にもインドネシアの特使団が台湾を訪問して、李総統の代行出席を求める招待状を手渡す予定だと述べた。

台湾は徐立徳行政院副院長(副首相に相当)の広島アジア大会出席を実現させたのに続き、APECの非公式首脳会議にも最悪でも同副院長の出席を目指している。しかし、中国は台湾のAPEC参加は「地域経済の代表」としてであり、「主権国家」としての参加は決して認めないとしている。

中国としては、まず台湾に李総統の出席を断念させたことにより、昨年のシアトル会議以来、台湾の最高責任者の出席は認めないという慣例の確立に成功した形だが、今後も引き続き中国との「対等な政治実体」を求める台湾を強く警戒するものとみられる。《共同通信》

【皇太子同妃両殿下】中東訪問に出発

皇太子ご夫妻は5日午前、東京・羽田空港から政府専用機でサウジアラビア、オマーン、カタール、バーレーンの中東4カ国公式訪問に出発された。ご夫妻にとって結婚後初めての外国訪問。15日までの日程で各国王室などと交流を深められる。イスラムの慣習から男女別々の行事があるほか、油田の視察や砂漠での昼食会なども予定されており、中東ならではの友好親善の旅になる。

ご夫妻はこの日朝、港区元赤坂の東宮御所で、常陸宮さまや秋篠宮妃紀子さまら皇族方のあいさつを受けられた。皇太子さまは神の背広、雅子さまは濃いピンクのスーツ姿。羽田空港では、にこやかな表情で見送りの河野外相らと話を交わし機内に入られた。

ご夫妻は時差調整のためタイのバンコクで一泊した後、6日午後(日本時間同日夜)、サウジアラビアのリヤドに到着する予定となっている。《共同通信》

【ボクシング】ジョージ・フォアマン選手が王座に

世界ボクシング協会(WBA)、国際ボクシング連盟(IBF)ヘビー級タイトルマッチ12回戦は5日、米ネバダ州ラスベガスで行われ、45歳9カ月の挑戦者ジョージ・フォアマン(米国)が、チャンピオンのマイケル・モーラー(米国)に10回2分3秒でKO勝ちし、王座獲得の史上最年長記録を作った。

元同級世界王者のフォアマンは、1974年にムハマド・アリ(米国)にKO負けして失ったタイトルを20年ぶりに奪回した。これまでの最年長世界王座奪取記録は、ライトヘビー級このボブ・フィッツシモンズ(英国)が1903年にマークした40歳6カ月で、フォアマンはこれを大幅に更新した。

試合は、9回までは初防衛を目指した26歳のモーラーが、スピードを生かした攻めで優位に立っていた。しかし1回、フォアマンの狙いすました右ストレートがモーラーの順面にヒーット。モーラーはキャンバスにあお向けに倒れ、レフェリーがテンカウントした。《共同通信》



11月5日 その日のできごと(何の日)