平成1772日目
1993/11/14
この日のできごと(何の日)
【TBS】リポーターがデモに参加
TBSの情報番組が、14日に行われた小沢一郎・新生党代表幹事の議員辞職を求める市民団体の活動を取材する際、女性リポーターを同団体のデモに参加させていたことが15日までに明らかになった。TBSは同日に予定していたこの取材の放送を取りやめ「弁明の余地のない行為」として謝罪コメントを発表した。
番組は月ー金曜午前7時から放送の「ビッグモーニング」。取材したのは小沢氏のゼネコン疑惑などを追及し議員辞職を求める市民団体の活動だった。《共同通信》
昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。
情報量が少ない日は随時加筆中です。
引用記事は名前、住所など一部修正の上、抜粋してあります。
外国の方のお名前、地名などは現時点で一般的に通じるものに書き換えています。(例・ロシアのプーチン氏はかつてプチン氏と表記されていました)
古い記事の多くは「書き写し」のため、誤字脱字が多数あります。見つけ次第修正しています。
【野村周平さん】誕生日
【プエルトリコ】「米51番目の州」を拒否
カリブ海の米自治領プエルトリコで14日、米国の51番目の州となるべきかを問う住民投票が行われ、即日開票の結果、自治残留派が48.4%を獲得し、州昇格派の46.2%を小差で抑え、引き続き米国の自治領となることが決まった。独立派は4.4%(ともに開票率99.7%)だった。
しかし自治領残留派は前回の住民投票(1967年)で獲得した60.4%から大きく支持を失い、経済低迷に悩むプエルトリコ住民の米国編入展望が、かつてなく強まっていることも明らかになった。州昇格支持派の代表であるペドロ・ロセジョ知事は同日夜「私は市民らに従う」と述べ、敗北を宣言した。《共同通信》
【大相撲九州場所】8日目
大相撲九州場所8日目(14日・福岡国際センター)横綱曙が関脇武蔵丸に敗れる波乱があった。曙は武蔵丸の張り手に続く右突き落としに屈して初黒星を喫した。武蔵丸は6勝目。大関貴ノ花は長い相撲の末に霧島を寄り切って4勝4敗の五分とした。また若ノ花は舞の海を下して2敗を守ったが、かど番大関の小錦は、智ノ花の下手投げに敗れて4敗目、関脇貴ノ浪、琴錦はそれぞれ勝って6勝2敗。幕内は全勝が消え1敗の曙を若ノ花ら6人が2敗で追う展開。十両は朝乃若ら3人が6勝2敗で並んでいる。《共同通信》
【野坂参三さん】死去
日本共産党の創立に参加し、戦前戦後を通じて共産主義運動の指導的地位にあった元共産党中央委員会名誉議長の野坂参三氏が14日午後3時10分、老衰のため東京都内の自宅で死去した。101歳だった。山口県出身。
党政治局員、第一書記を経て、昭和33年から57年まで中央委議長を務め、党史とともに歩んだ共産党のシンボル的存在だった。しかし平成4年になって、戦前米国亡命中に幹部党員の山本懸蔵氏をスパイ容疑でコミンテルン(共産主義インタナショナル)に密告、これがもとで山本氏が銃殺されたことが判明。9月に名誉議長を解任され、12月の第8回中央委員会総会で除名処分となった。
明治25年、山口県萩市に生まれ、大正11年日本共産党創立と同時に入党、昭和3年の「3.15事件」で検挙、投獄された。日中戦争時、中国の延安で、日本人反戦同盟などを組織して反戦活動を行った。
戦後の昭和21年1月、16年ぶりに帰国。しかし、25年にコミュンフォルム(共産党情報局)が野坂氏らの「平和革命論」を批判したのを契機に、共産党は徳田球一書記長、野坂氏らの所感派(主流)と、宮本顕治現議長らの国際派(反主流)に分裂した。
野坂氏は中国に潜行したが、30年に帰国。宮本氏と手を結び、極左冒険主義路線を転換した六全協で第一書記に選出。33年の第7回党大会で中央委議長に就任、野坂議長―宮本書記長体制を確立した。31年には、東京地方区から参院議員に当選、52年まで4期務め、60年安保闘争では反対運動の先頭に立った。45年に野坂氏は事実上引退、57年には名誉議長になった。
しかし平成4年になって、同志密告問題で解任に。さらに党の調査で「宮本書記長(当時)体制に満足していないことをソ連共産党側に通報していた」ことなどが明らかになったとして除名処分に追い込まれた。《共同通信》