平成1562日目

1993/04/18

この日のできごと(何の日)

【日本エアシステム451便着陸失敗事故】

18日午後0時45分ごろ、岩手県花巻市の花巻空港で、着陸しようとした名古屋発花巻行き日本エアシステム(JAS)451便=乗員、乗客77人=のDC9-41型が着陸に失敗、胴体が折れ炎上した。乗員5人、乗客72人は全員脱出。岩手県警などによると、乗客19人が脱出の際などに打撲の軽いけがをし、うち2人が入院。機長は胸を打って1カ月の重傷を負い入院した。


https://jtsb.mlit.go.jp/

運輸省航空事故調査委員会は調査官6人を現地に派遣した。岩手県警は事故対策本部を設置、業務上過失傷害などで捜査する。事故当時、花巻空港付近は同社で着陸を見合わせる目安としている18メートルを上回る最大瞬間風速20メートルを超える強い西風が着陸機の左側から吹いており、横風にあおられ、操縦を誤り着陸に失敗した可能性が高い。

運輸省航空局やJASによると、同機は花巻空港の滑走路(長さ2000メートル)の南側から着陸進入体勢に入り、接地後、右主翼端を滑走路に接触させ、2回バウンドして蛇行しながら滑走路北端まで走って停止した。火を噴きながら滑走したとの目撃情報もある。乗客、乗員が脱出後、胴体後部右側の第2エンジンから出火、機体上部がほぼ焼け落ちた。《共同通信》

昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。

情報量が少ない日は随時加筆中です。

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外国の方のお名前、地名などは現時点で一般的に通じるものに書き換えています。(例・ロシアのプーチン氏はかつてプチン氏と表記されていました)

古い記事の多くは「書き写し」のため、誤字脱字が多数あります。見つけ次第修正しています。

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【清子内親王殿下】24歳に

紀宮さまは18日、24歳の誕生日を迎えられた。そろそろ結婚問題も本格化しそうだが、見通しについて「あまりそのような方面には気持ちが向いていないこともありますが、自身の結婚の時期を予測するのは難しいことなのでお答えは控えます」と侍従を通じコメントされた。

皇太子さまと小和田雅子さんの結婚については、「(雅子さんは)自分をしっかりと持っていて、ユーモアのある楽しい方のように拝見しています。頼もしい(雅子さんと秋篠宮妃紀子さまの)姉二人を持つことができて大変心強く思っています」。

昨年4月から山階鳥類研究所(千葉県我孫子市)に非常勤研究助手として週2回勤務、標本の整理などを手伝う紀宮さまは、住まいの赤坂御所でもカワセミの調査を手掛けられている。《共同通信》

【武藤嘉文外相】中田厚仁さん宅を訪問

武藤外相は18日、カンボジアで射殺された国連ボランティア中田厚仁さん(25)を弔問するため、大阪府東大阪市の中田さん宅を訪れた。弔問の後、同外相は、国会で国連ボランティアが同様の被害に遭った場合に補償しようという動きがあることについて「何らかの仕組みを作りたい。その場合には、厚仁さんも対象になるだろう」と改めて政府としての姿勢を示した。

私人として来たという同外相は午前9時20分ごろ、中田さん宅に入り遺影に手を合わせた後、約15分間父親の武仁さん(55)、母親敬子さん(50)ら遺族と言葉を交わした。武藤外相は、「厚仁さんの悲報に接し、また父親の武仁さんの言葉に感動し、ぜひ訪れたいと思っていた」と述べ、遺影に向かって厚仁さんの遺志が生かされ、カンボジア和平が実現されるよう一層努力したい、と誓ったという。

また国連から外務省に選挙監視要員50人を日本から派遣するよう要請されたことについては「まだ正式に要請を受けたわけではない」と述べた。《共同通信》

【宮澤喜一首相】米国から帰国

宮澤首相は18日午後4時すぎ、羽田着の政府専用機で米国から帰国した。首相は16日にホワイトハウスでクリントン米大統領と初の首脳会談を行い、大統領と「日米新パートナーシップ」の構築などを約束した。《共同通信》

【石川県珠洲市長選】原発推進の林氏3選

原発立地を最大争点にした珠洲市長選は18日投票が行われ、即日開票の結果、現職の林幹人氏(63)=無所属、自民推薦、民社支持=が、新人の樫田準一郎氏(62)=無所属=に958票の差で競り勝ち、3選を果たした。反原発を唱えた樫田氏の獲得票が有効投票数の47.3%にあたる8241票にまで上ったことに対し、林氏は当選後、4年前に中断した立地可能性調査について「すぐに調査に入れる状況でなく、地元の理解を得たい」との意向を示した。

両候補が原発誘致をめぐって真っ向から対決したことともあり、投票率は午前10時には早くも53.19%(前回40.03%)に達し、最終的には92.42%(同85.47%)で、黒瀬七郎氏と藤野公平氏が争った昭和53年の91.79%を上回り過去最高なった。

林氏は25の地区後援会や各種団体の推薦などで組織の糸を張り巡らせたほか、無所属での出馬により民社など原発推進勢力を結集した。また若者や女性票にも食い込み、浮動票を手堅く集めて樫田氏を下した。

今回の市長選は、4年前の前回に続き原発立地による地域活性化を掲げた現職に、反原発の新人が挑む争いとなった。樫田氏は反原発グループや県評センターなどの支援を受けたが一歩及ばなかった。《北國新聞》

【ゴルフ・川俣茂選手】ツアー初優勝

ブリヂストン阿蘇オープン・ゴルフ最終日(18日・熊本県阿蘇GC=7078ヤード、パー72)16年目のベテラン川俣茂が逆転でツアー初優勝。通算12アンダーの276で賞金1260万円を獲得した。

10アンダーの3位でスタートした川俣は、前半の2バーディー(1ボギー)で高橋勝成、西川哲と並び、14番(パー5)でイーグルをマークして抜け出した。前日首位の高橋は後半3ボギーをたたき、トータル278で2位。西川は1バーディー、2ボギー、1ダブルボギーと崩れ、溝口英二、山本善隆らとともに通算9アンダーで3位タイに終わった。《共同通信》

【ゴルフ・高須愛子選手】ツアー通算13勝目

ヨネックス・レディース・ゴルフ最終日(18日・横浜CC西コース=6488ヤード、パー73)前週プレーオフで敗れた高須愛子が、2週連続してのプレーオフの末に涂阿玉(台湾)を下して優勝、賞金1080万円を獲得した。高須は2年ぶりのツアー勝利で通算13勝目。

高須は18番(パー5)でボギーとし通算イーブンパー、219で涂に並ばれた。プレーオフは2ホール目で、涂が第1打を右の林に入れて、結局ギブアップし、高須が競り勝った。2打差の3位には、永田富佐子と平瀬真由美が入り、服部道子は82と大きく崩れ、通算9オーバーの20位だった。《共同通信》

【競馬・第53回皐月賞】

競馬のクラシック三冠レースの第一戦、第53回皐月賞は18日、中山競馬場で18頭が出走して争われ、三番人気のナリタタイシン(武豊騎乗)が皐月賞レコードの2分0秒2で勝ち、賞金9600万円を獲得した。武は前週の桜花賞に続きGIで2連勝。1974年に父武邦彦も勝っており、皐月賞初の父子制覇を遂げた。大久保正陽調教師は初勝利。

第4コーナーを回ってビワハヤヒデが仕掛けトップに立ったが、大外からナリタタイシンが急襲、ゴール手前で首差、差し切った。

払戻金は単勝が920円、枠番連勝は⑦-⑧で980円、馬番連勝は⑭-⑱で1330円だった。《共同通信》

【パキスタン・カーン大統領】シャリフ首相を解任

パキスタンのカーン大統領は18日夜、記者会見し、シャリフ首相を解任するとともに、議会を解散し、これまでの与党パキスタン・イスラム教徒連盟(PML)のマザリ下院議員を暫定首相に任命したと発表した。これに先立ち、大統領の命令を受けたパキスタン軍は首都イスラマバードの国営放送局を占拠、首相官邸や主な政府庁舎を監視下に置いた。

パキスタンでは、大統領権限縮小を狙った憲法修正問題をめぐってシャリフ首相とカーン大統領が激しく、対立。17日夜には首相が、国営テレビを通じ大統領非難の演説をするなど関係は最悪となり、ついに大統領が憲法上の権限を行使する形でシャリフ首相更迭に踏み切ったとみられる。

カーン大統領は記者会見で、解任理由について汚職と職権乱用を指摘、「このような政府はもはや憲法上の義務遂行と両立し得ない」と非難した。 パキスタン憲法によれば、議会解散から90日以内に総選挙を実施しなければならず、それまではマザリ氏を暫定首相とする選挙管理内閣が行政を担う。

大統領と首相の対立の原因となった憲法上の問題は、故ジアウル・ハク大統領時代に制定された大統領の議会解散を命じる権限と軍首脳の任命権限を認めた条項。シャリフ首相が民主化推進を理由にこの大統領領統題権限縮小を目指した修正を検討する委員会を議会内に設置したことが、両者の対決に火を付けた。

しかしこれ以前に、ことし1月急死した前陸軍参謀長の後任人事で、カーン大統領が首相推薦の候補を認めず、憲法上の権限を行使して自分の息のかかった人物を参謀長に起用したことに首相は強い不満を示し、大統領の権限問題を取り上げることに前向きになったと伝えられる。

シャリフ首相は1990年11月首相に就任。実業界出身という経歴もあって経済自由化政策では功績があったが、タカ派のカーン大統領とは不協和音が目立ち、特にことしに入り亀裂が深まっていた。

パキスタンのシャリフ首相は19日未明、記者会見し「解任は憲法違反であり、法廷で争う」と述べ、「公正で自由な選挙が行われれば、いつでも政権に復帰するだろう」と強気の姿勢を見せた。《共同通信》

【木村政彦さん】死去

戦前、戦後すぐの柔道王で、力道山とのプロレス対決で話題を呼んだ木村政彦七段が18日午前2時、呼吸不全のため川崎市宮前区の病院で死去した。75歳。熊本市出身。

熊本・鎮西中(現鎮西高)から昭和10年、拓大に進学。31歳で現役を退くまで一度も敗れたことがなく「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と無敵ぶりをうたわれた。12年から全日本選士権に3連覇。引退後はプロレスに転向。29年には故・力道山と日本選手権を争い敗れたが、話題となった。《共同通信》



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