平成1434日目

平成4年12月11日(金)

1992/12/11

【羽田孜蔵相】「羽田・小沢派」旗揚げ宣言

自民党竹下派(小渕恵三会長)の羽田孜蔵相は11日未明、都内のホテルで記者会見し、羽田氏が代表を務める「改革フォーラム21」(衆院議員35人)を母体とした小沢一郎・元幹事長グループによる新派閥「羽田・小沢派」の旗揚げを発表した。これで、昭和62年7月の発足以来、5年5か月にわたって党内に君臨した最大派閥竹下派は、小渕会長系の「小渕派」と、「羽田・小沢派」に分裂する。

羽田氏は10日夜に予定されていた小渕氏との会談が中止になったのを受け、記者会見で、「一つの新しい歩みを始めないといけないと述べた。これに対し、小渕氏は11日未明、「衝撃に堪えない。融和に努めてきただけに残念だ」とのコメントを発表した。

新派閥の規模は、羽田・小沢派が衆院の35人に参院を加え、40−45人に達するが、第五派閥に転落する。小渕派は60−65人で第四派閥になる見通しだ。

派閥メンバーや政策綱領の発表など正式な旗揚げは、18日にも行われるが、名称は「改革フォーラム21」をそのまま使う方針だ。《読売新聞》



【ボクシング・鬼塚勝也選手】2度目の防衛成功

世界ボクシング協会(WBA)ジュニアバンタム級チャンピオンの鬼塚勝也(協栄)に、同級1位のアルマンド・カストロ(メキシコ)が挑戦したタイトルマッチ12回戦は20日、有明コロシアムで行われ、鬼塚が3-0の判定勝ち、2度目の防衛に成功した。鬼塚はデビュー以来負けなしの21連勝(17KO)。

スピード、リーチで勝る鬼塚は、初回こそカストロの接近戦に応じて連打を浴びた。しかし2回から足を生かしてヒット・アンド・アウェイのアウトボクシングを展開。左ジャブから右ストレート、フックをよく決めて主導権を奪い返した。カストロのパンチが大振りな上、正確さを著しく欠いたこともあって一方的な判定勝ちを収めた。《共同通信》

【埼玉県三郷市】市議ら平日にかけゴルフ

埼玉県三郷市の幹部職員市議計十数人が昨年3回にわたり、平日に現金をかけたゴルフコンペをしていたことが、11日わかった。参加者は競馬をまねた出走馬一覧表も作成しており、「親ぼくの範囲を超えている」と批判の声があがっている。

関係者の話によると、かけゴルフは昨年1、5、8月のいずれも平日で、年次休暇をとった市の部次長級の職員と、同市議会の保守系会派、公明党の議員が集まり、千葉県野田市のゴルフコースで開かれた。このうち1月のコンペは、職員と市議計14人が参加、一人あたり2000―5000円をかけさせていた。集めた現金計6—7万円は配当のほか、コンペの後の懇親会費の一部に充てたという。

かけのやり方は、幹部職員の一人が事前に“出走馬一覧表”を作り、この枠番のうち1位と2位を当てる「連勝複式」。コンペ参加者を馬にみたてて「馬名」をつけ、「ハンデきついが実力十分」「調教不十分なれど持ち前の気力と体力で」といった競馬専門紙のような寸評を書き、本命、アナ馬などの印で結果予想までしていた。

参加したある幹部職員は「広く民間でも行われていること。親ぼく目的で金額も多額ではない」と話している。

木津三郎市長の話「事実とすれば遺憾。参加者から事情を聞き、厳重に注意したうえで、全職員に綱紀粛正を促し、市民の信頼を回復するよう努めたい」《読売新聞》

【宮沢喜一首相】内閣改造・党役員人事に着手

宮沢首相は11日、昨年11月の首相就任後、初の内閣改造・党役員人事に着手、まず梶山静六幹事長、佐藤孝行総務会長、三塚博政調会長の三役を固めた後、改造内閣の顔ぶれを決めた。12日午前9時半から新閣僚の認証式が皇居で行われ、改造内閣が正式に発足する。

首相は側近の林義郎・元厚相を蔵相に起用、留任の渡辺美智雄副総理・外相、田名部匡省農相とともにコメ市場開放問題、景気対策などに当たらせると同時に、これまで政治改革に積極的姿勢を見せてきた後藤田正晴・元官房長官を法相、河野洋平・元科学技術庁長官を官房長官に充て、政策課題への取り組みを重視した。また女性重視の立場から森山真弓・元官房長官を文相に登用、清新イメージを打ち出す狙いから戦後では最年少閣僚となる船田元氏を経済企画庁長官に抜てきした。

党三役には党人派の実力者を配置、党運営や野党折衝の実務を全面的にゆだねる体制を取った。政治不信が高まる中で内閣、自民党支持率低迷からの脱却を目指す苦心の布陣となっている。《読売新聞》

【小泉純一郎新郵政相】「老人マル優すえ置き」

小泉純一郎新郵政相は11日の就任会見で、郵政省が来年度税制改正で要求している「老人等の少額貯蓄非課税制度」(高齢者マル優)の限度額拡大について、「老人マル優を福祉と混同してはならない。今引き上げる必要がない。再検討したいと思う」と、据え置きを求める発言をした。

小泉新郵政相は、「現在は官業と民業の(役割分担の)問題がある。国は民間が採算をとれないところをやるべきで、貯金については今の方向でいいとは思っていない。見直しは必要で、省益優先より国益優先でやっていく」と述べた。また、現在、大蔵省と交渉中の定額貯金の見直し問題でも、「今ある批判を謙虚に受けとめて変えていきたい」と、見直しに積極的な意向を示した。《読売新聞》

【ソマリア】武装勢力が停戦合意

ソマリアの首都で対立する武装勢力「統一ソマリア会議(USC)」2派の指導者、アイディド姜長とマハディ暫定大統領は11日、米軍の仲介で和解のための会談を行った。昨年11月に両派が武力衝突して以来初の交渉で、両氏は即時停戦し、48時間以内に両派の民兵組織を市外に撤退させることなどを内容とする7項目の共同声明を発表した。

会談後、お互いの肩を抱き合って友好的関係を強調した両者は、国内で戦闘を続けている他の武装勢力にも和平を呼びかけた。今回の戦合意がソマリア全土での平和と安定の実現にどこまで波及効果を及ぼすか不明だが、国内に和平ムードをもたらす期待が高まっている。《読売新聞》

【中村武志さん】死去

サラリーマンの哀歓を描いた「目白三平」シリーズで知られる作家の中村武志さんが11日午後10時25分、心不全のため東京都渋谷区の病院で亡くなった。83歳だった。

長野県生まれ。上京後は国鉄(現JR)に勤務していたが、在職中から名文家の内田百閒に師事、随筆、小説を次々に発表した。代表作の「目白三平物語」は、目白近くに住み、庶民的な月給取りだった作者の分身を主人公にしたシリーズ物で、昭和30年代の東京のサラリーマン人生の機微、哀歓を語り続けた。内田百閒の弟子だったことを生涯誇りにしていたといい、百閒の新仮名遣いの文庫本の編集にもたずさわった。

同39年には国鉄を退職。その7年後に夫人に先立たれた後は、中野区の鍋屋横丁にある知人宅の庭に六畳ほどの小さな仕事場を建て、一人暮らし。近著の「目白三平随筆・愛しき遺髪よ」は、苦労をかけた夫人への鎮魂の書のつもりで筆をとったという。

政治や社会問題への関心も高く、借家住まいの立場で、住宅難解決のための市民運動団体である東京間借人協会を設立、会長を務めた。また、47年には「街民の中の庶民」をキャッチフレーズに衆議院選に立候補、52年には革新自由連合から参院選に出馬するなど国政選挙にチャレンジしたが、いずれも落選した。《読売新聞》

【岸洋子さん】死去

「夜明けのうた」「希望」などのヒット曲で親しまれたシャンソン歌手の岸洋子さんが、11日午前4時30分、東京都港区の病院で亡くなった。58歳だった。死因は不明。

山形県酒田市出身。昭和33年に東京芸大を卒業後、ポピュラーに転向し、35年に「たわむれないで」でデビューした。39年に「夜明けのうた」、翌年には「恋心」が大ヒット「夜明けのうた」と45年の「希望」で二回にわたり日本レコード大賞歌唱賞に輝いた。44年には、芸術祭優秀賞を受賞した。

歌手人生の大半は病気との闘いだった。「希望」のヒット後まもない45年9月、難病の膠原病で倒れて、死の淵をのぞいた。医師から「歌うより生きることを考えよ」と言われた時期もあった。翌年には日劇でワンマンショーを開いて再起したかに見えたが、3年前には治療薬の副作用で腰の骨を折って再び入院。しかし、昨年、不死鳥のように歌い出した。

「同じ難病に苦しむ人たちから、岸さんの歌が励みになると言われると、涙が出るほどうれしくて、また歌おうという気持ちになる」と復帰の喜びを語っていた。今年も今月24、25の両日、ディナーショーを予定していたが、先月18日に自宅で転倒して骨折。きょう11日、退院の予定だったが、10日午後から容体が急変した。

雪村いづみさんの話「とても信じられません。昨年は、体力が不十分ということで、私がディナーショーを代わりました。岸さんは、今年は頑張ると言って静養していたのに。あまりつらくて、今度は代役が務まりそうにありません。良き友だちが次々と亡くなっていく。残念だし、寂しい」《読売新聞》



12月11日のできごと