1991 平成3年8月22日(木)のできごと(何の日)

平成957日目

平成3年8月22日(木)

1991/08/22

【ソ連・ゴルバチョフ大統領】復権

ソ連保守派によるクーデター失敗を受け、クリミアの別荘で軟禁されていたゴルバチョフ大統領は22日未明(日本時間同日朝)、クーデター発生以来3日ぶりに空路モスクワに帰還した。大統領は帰還第一声で、クーデター阻止を「ペレストロイカの最も偉大な勝利」と強調し、エリツィン・ロシア共和国大統領の名を挙げて謝意を表明した。ゴルバチョフ氏は同日、同共和国最高会議で演説する予定で、エリツィン氏との会談も行われる見通し。

クーデター主体の国家非常事態委員会の主要メンバーは逃亡を図ったが、同日次々に逮捕された。

一方、世界各国はクーデター失敗を歓迎、対ソ経済支援の早期実施に動き始めたが、コール独首相がエリツィン大統領に訪独を招請するなど、ゴルバチョフ、エリツィン両氏による「二頭体制」化が早くも表面化してきた。

ソ連保守派クーデターによる失脚を辛くも免れたゴルバチョフ・ソ連大統領は22日午前2時(日本時間午前8時)過ぎ、軟禁状態に置かれていたクリミアからモスクワのプヌコボ空港に到着した。

ゴルバチョフ大統領はモスクワ到着後、モスクワ放送のインタビューに答え、「1985年以降に我々が成し遂げたことのすべてが早くも実を結んだ。我々の社会と市民は変容した」と強調する一方、ロシア国民などとともに特にエリツィン・ロシア共和国大統領の名前を挙げて謝意を表明した。さらに、「大規模な会議を招集する予定だ」と、政局刷新への意欲を見せた。《読売新聞》

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ゴルバチョフ・ソ連大統領は22日午後6時半(日本時間23日午前0時半)過ぎから、モスクワの外務省プレスセンターで、政権復帰後初めて記者会見し、今回のクーデターが最側近のワレリー・ボルジン大統領府長官兼党総務部長ら、自らが登用したグループによって実行されたことを明らかにした。非常事態委員会(21日消滅)が発令したすべての布告を廃止するとともに、パブロフ首相ら首謀者全員を解任したと発表した。

ゴルバチョフ氏はまず、クーデター直前のもようについて生々しく証言した。ゴルバチョフ氏は、クーデターで軟禁されていたことについて、「85年に政権の座について以来、最も困難な経験」と表明。そしてクーデターを「法、秩序、大統領、民主主義を敵に回した行為」と厳しく糾弾。さらに「私が登用し信頼した人間が(クーデターを)行った」と語り、無念の感情を示した。

ゴルバチョフ氏はクーデターの状況について、18日午後7時10分(現地時間)前に、静養先のクリミア半島の別荘に、ボルジン長官らが突然訪れ、会見を求めた、と語り、ボルジン長官が、クーデターにかかわっていたことを明らかにした。

大統領は、「すべての電話回線が切れていた。これで私は重大なことが起こった、と感じた」と述べた。

大統領がボルジン長官と会うと、長官は「大統領の権限を(ヤナーエフ)副大統領に移譲するよう求めたという。また長官は「クーデターの主体となった国家非常事態委員会の指令で来た」と述べ、「国家が重大な状況に直面している」として、政権移譲を迫った。

大統領は、「クーデターで自分を滅ぼすのは勝手だが、これで国家を滅ぼすことになる」と厳しくクーデターの動きを糾弾した。

軟禁中の生活については、食事も制限され、精神的圧迫を強いられ、「苦痛だった」と言ったが、「負けるつもりはなかった」とつけ加えた。《読売新聞》

【モスクワ】KGBの“象徴”引き倒す

22日深夜(現地時間)、モスクワ市内の国家保安委員会(KGB)本部前に立つソ連秘密警察の創設者ジェルジンスキーの高さ10メートルの銅像が引き倒された。銅像撤去は、改革派のポポフ・モスクワ市長が許可したもので、70年以上に及ぶ秘密警察の抑圧に対する市民の怨念が爆発した形となった。

また、撤去前に本部前広場で行われた市民集会で、跡地には弾圧の犠牲者に対する哀悼の意を表するため、高さ50メートルのロシア正教の十字架を建設する、とのルシコフ・モスクワ副市長の提案が発表された。

KGB本部前の広場には同日午後、クーデター阻止に歓喜した市民が続々と集結。革命前のロシア国旗など掲げたり、「KGBを倒せ」などと叫びながら、恐怖の対象だったKGBの建物にペンキでスローガンを書いたり、中には、高さ10メートルの銅像によじ登ってロープをかけ、引き倒そうと試みる若者の姿もあった。

同日午後11時半、大型クレーンで約14トンのジェルジンスキー像がつり上げ一られると、夜空に花火が打ち上げられ、市民の熱狂は頂点に達した。銅像は数分間宙づりにされた後、トラックに積みこまれた。《読売新聞》

【武豊騎手】日本人初、海外重賞レース制覇

共同通信に入った連絡によると、米国遠征中の武豊騎手は22日、ニューヨーク州サラトガ競馬場での重賞レース、セネカ・ハンディキャップにエルセニョールに騎乗して出場、2位にクビ差で1着となった。日本人が海外での重賞レースに勝ったのは初めて。武豊騎手は海外で通算6勝目をマークした。《共同通信》

【故安倍晋太郎さん】納骨式

故安倍晋太郎・元自民党幹事長の納骨式が22日、故郷・山口県油谷町の安倍家墓地で洋子夫人や三塚博・三塚派会長、加藤六月・自民党政調会長らが出席し、しめやかに行われた。

納骨式では、三塚、加藤両氏があいさつ。共にソ連のクーデクー失敗に触れて、「安倍会長はゴルバチョフ、エリツィン両氏と親交が深かった。風格ある安倍政治は国際舞台でもあなどりを受けなかった」(三塚氏)などと安倍氏を惜しんだ。

安倍氏の死から100日目に行われた納骨式は、安倍氏の後継者として政界入りを目指す二男・晋三氏への激励も兼ねていたため旧安倍派から衣替えした三塚派幹部が勢ぞろいした。もっとも当初は納骨式への出席者の名簿に入っていなかった加藤氏が急きょ参加するなど、「安倍後継」争いの後遺症も。

三塚派は先月、納骨式が国会開会中で、しかも平成4年度予算の概算要求作業が政府・自民党内で大詰めを迎える状況で行われるため、三塚会長ら派閥幹部が代表して出席することを決めた。加藤氏については政調会長として派閥離脱中であることから声をかけなかったという。

しかし、三塚氏同様、故安倍氏の側近を自任する加藤氏は納得せず、21日昼過ぎ、党本部の政調会長室に、塚原俊平・同派事務局長を呼んで直談判し、出席を認めさせた。《読売新聞》



8月22日のできごと

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