平成791日目
1991/03/09
この日のできごと(何の日)
【新・東京都庁】落成式
首都の顔選びをめぐる激しい前哨戦が続く中、4月1日に正式オープンする東京・新宿副都心の新都庁舎の落成式が9日午前、友好都市のシラク・パリ市長ら内外から約2500人が出席して、第一本庁舎1階のプロムナードで盛大に行われた。
知事選の確執で首相は欠席落成式には政府側代表として海部首相が招待されていたが、新庁舎へのがいせんを目指す鈴木知事に対し、公明、民社両党と磯村尚徳元NHK特別主幹を担いだ海部首相は出席せず、保守分裂の確執を浮き彫りにする式典となった。
新都庁舎は日本一ののっぽピル、第一本庁舎(高さ243メートル、48階)、第二本庁舎(163メートル、34階)、議会棟(41メートル、7階)で構成され、総工費は1569億円。《共同通信》
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【巨人・元木大介選手】オープン戦で初ヒット
巨人9−1ダイエー◇9日◇平和台
オープン戦初登板の桑田が6イニングを3安打、1失点で危なげなく抑えた。失点は岸川の1点だけ。連続四球や死球を与えるなど崩れそうな場面もあったが、投手陣の軸としての安定感をみせた。
打線は原、吉村を欠きながら14安打で9点。3安打の呂をはじめ、村田、井上が3点本塁打を放つなどチーム内の競争がいい結果に結びついた。元木はオープン戦初安打の二塁打を放ち、2打数1安打。《共同通信》
【米・ベーカー国務長官】クウェート・ジャビル首長と会談
ベーカー米国務長官は9日、サウジアラビア東部の保養地タイフを訪れ、イラクの侵攻以降、亡命生活を送っていたジャビル・クウェート首長と会談した。この中でジャビル首長はクウェートの民主化推進を約束するとともに、条件付きながらもイスラエル承認問題について前向きの姿勢を示した。また3月第三週中にクウェートに帰国することを明らかにした。
湾岸戦争終結後、西側の指導的な立場の政府要人が首長と会談するのは初めてで、戦後の湾岸地域への影響力拡大を目指す米国の意欲を示すことになった。
会談でジャビル首長は民主化問題について、一般投票による国民議会議員選出に「無条件で同意する」と明言し、女性にも選挙権を拡張することを将来、検討すると表明した。また対イスラエル関係について首長は、アラブ諸国が問題にしているパレスチナ関連の国連諸決議が履行された場合は、イスラエル承認を検討すると述べた。
クウェート憲法では1921年以前に居住していた家族、しかも男性しか参政権を認めていなかった。その国民議会も反政府系議員の登場で86年首長勅令で解散され、民主化問題が懸案となっていた。
また会談では、イラクの強力な軍事力が取り除かれた後の湾岸の安全保障体制問題や7カ月間のイラク占領中に荒廃したクウェートの復興問題を話し合った。
米国は多国籍軍の中軸としてクウェート解放を実現させたことから、クウェート政府が経済、社会復興に当たって、米国企業の優先的な参入などで特別に配慮することが予想されている。
このほか、クウェート領内からの多国籍軍の撤退問題や湾岸地域での米軍の一部残留の可能性について協議、イラク南部を中心に起きているフセイン大統領打倒を目指した民衆暴動に関しても意見交換を行ったとみられている。《共同通信》
【ユーゴスラビア】デモで2人死亡、80人が負傷
ユーゴスラビアの首都ベオグラードで9日行われた野党勢力のデモは、デモ隊約8万人と警察治安部隊の衝突に発展、デモ参加者と警官の計2人が死亡し、約80人が負傷する騒ぎになった。
連邦幹部会のヨビッチ議長(セルビア人)はセルビア共和国当局の要請を受け、軍隊の動員を指示。ベオグラード市内は同日夜、戦車、装甲車が制圧した。
セルビア共和国当局は同日夜から10日朝にかけ、最大野党「セルビア再生運動」の議長で作家のブク・ドラスコビッチ氏ら2人を逮捕した。
首都ベオグラードの騒乱としては戦後最大であり、北部スロベニア共和国などの非共産政権が連邦離脱を強める中、セルビア民族主義を背景に旧共産主義者同盟(共産党)時代の政権を維持してきたセルビア指導部は、大きな岐路に立たされた。《共同通信》