平成625日目・振替休日

平成2年9月24日(月)

1990/09/24

【米・ブッシュ大統領】イラク撤退「譲らない」

ブッシュ米大統領は24日、在米アラブ人指導者ら約150人を前に演説、フセイン・イラク大統領がクウェート侵攻を他の中東紛争と絡めようとしても絶対に応じないとの強い姿勢を示し、イラク軍のクウェートからの無条件撤退を求める米政府の四原則で「一寸たりとも譲らない」との決意を表明した。

大統領はまた、湾岸危機で米国内にアラブ系市民差別事件が起きていることについては「自由な社会はそうした犯罪行為を許さない」と非難した。

ブッシュ大統領は、フセイン大統領が湾岸危機を「アラブ諸国対米国」の対立にしようとしても「そのようなうそは長続きしない」と批判し、イラクは国際社会の中で「孤立している」と強調した。《共同通信》




【ソ連】市場経済移行11月に

ソ連最高会議は24日、連邦・民族両会議の合同会議を開き、市場経済移行計画について、いったん大統領案と連邦政府案の統一案作成を決議したものの、関係者が協議した結果、「急進的なシャタリン案、これを一部手直しした大統領案、穏健な連邦政府案の3つの統一案をゴルバチョフ大統領指導の下で10月15日までに作成する」との決議を改めて採択した。

これにより、中央計画型社会主義経済から市場経済体制への移行は、予定より遅れて11月ごろまでずれ込むものの基本方針は確定し、具体的な移行計画は3案を調整することが決まった。表決結果は賛成285票、反対36票、棄権60票だった。

さらに合同会議は、移行計画実施にあたり、大統領が必要な措置を最高会議の審議を経ずに大統領令で布告できるとの「非常権限」を1992年3月31日まで大統領に付与する決議を採択した。また一部議員の提案に基づき、この合同会議の立法権一部移譲決議を法律とすることを決定した。

これにより、大統領は。具体的な計画実行をかなり自由にできることになったが、ロシア共和国はこの「非常権限」には従わないとの声明を発表しており、エリツィン・ロシア共和国最高会議議長との対立激化も予想される。《共同通信》

【タイ・バンコク】タンクローリー車が横転して爆発、57人死亡

24日夜、バンコク市中心部に近いマッカサン地区の高速道路出入り口付近の交差点で、液化石油ガス(LPG)を満載した大型タンクローリー車が横転して爆発、炎上した。火は信号待ちしていた乗用車など約50台のほか、道路沿いの商店、住宅などに次々と燃え移り、25日午前、死者57人、負傷者90人に上る大惨事となった。《共同通信》

【金丸信元副総理】北朝鮮・金容淳書記と会談

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪れた自民党訪朝団団長の金丸元副総理は24日午後、平壌到着後空港から宿泊先に向かう車中で、出迎えた金容淳書記(国際部長)と会談した。

金丸氏は、日本の植民地支配に対する謝罪に関連して、金日成主席に対し謝罪内容を盛り込んだ海部自民党総裁「首相)の親書を手渡す意向を表明。同時に「来るべき国会において首相からあいさつがあるだろう」と述べ、海部首相が国会演説などでも謝罪する見通しを伝えた。

金書記は金丸氏の訪朝を歓迎するとともに、「これが歴史の一ページになることを期待している」と述べた。これに対し金丸氏も「私も同感だ。私自身も政治生命をかけて今回、訪朝した」と強調した。金丸氏は「償い」については「要は信頼以外にない」とだけ述べた。

この後、金書記は平壌市内の百花園招待所に到着した金丸氏を訪ね、正式に歓迎のあいさつをした。金丸氏は「今回の訪朝を機に日朝の長年の不幸な時代を終えたい。償いの問題も努力して共存共栄を図り、日朝間の大きな壁に風穴を開けるよう党の運命をかけて取り組む」と訪朝にかける決意を改めて強調した。

これに対し、金書記は「これまでは片手で拍手はできないと言ってきたが、今度は両手で拍手ができるよう望んでいる」と述べ、今回の自社両党代表団の訪朝による日朝関係改善に期待を示した。《共同通信》

【自民・社会訪朝団】会談日程が決定

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問中の自民、社会両党代表団の日程が24日夜固まり、焦点の金日成主席と金丸元副総理、田辺社会党副委員長の両団長とのトップ会談は26日に行われる見通しとなった。

代表団は25日午前10時から、金丸、田辺両氏と朝鮮労働党の金容淳書記(国際部長)による三党団長会談で本格的な対話を開始。この会談で重要議題を詰める。

27日は全体会議のほか、自民党と労働党、社会党と労働党の個別会談が行われ、28日午前中に最後の全体会議を開き、締めくくる。代表団筋は一連の会談を踏まえ「共同声明の形にするかどうかはともかく、何らかの声明を出したい」としている。《共同通信》

【砂田重民衆院議員】死去

病気療獲のため12日北海道、沖縄開発庁長官を辞任したばかりの自民党衆院議員、砂田重民氏が24日午後7時28分、呼吸不全のため東京都港区の虎の門病院で死去した。73歳。神戸市出身。

故河野一郎氏の秘書を経て昭和38年の総選挙で兵庫一区から初当選以来、衆院当選8回。わずか当選4回で文相に起用され、無類の音楽好きでクラシックからロックまで分かることから、若者の心を知る文人閣僚として話題を呼んだ。

その後、自民党で全国組織委員長や総務局長など縁の下の力持ち的要職を歴任。リクルート事件に際しては党選挙制度調査会長として政治資金規正法改正案や公選法改正案をまとめた。

昨年8月の海部内閣発足に当たって党総務会長に推されながら「病弱」を理由に断り、ことし2月、第二次海部内閣で比較的激務の少ない北海道、沖縄開発庁長官を引き受けていた。

風邪をこじらせて8月末から自宅療養中だったが、閣議を連続3回欠席せざるを得なかったことから12日辞表を提出。17日に体調を崩して虎の門病院に入院していた。《共同通信》




9月24日のできごと