平成1053日目
1991/11/26
この日のできごと(何の日)
【PKO法案】民社党、修正案を提示
国会は26日、国連平和維持活動(PKO)協力法案の焦点になっている「国会承認」問題をめぐり、政府・自民党と公明、民社党の間で大詰めの調整が進められた。
自民党は、国連平和維持隊(PKF)を派遺して一か月後に国会の調査団を出し、委員会で改善点などについて議決する旨の付帯決議を行う案を打診したが、民社党は、あくまで法案の修正を求める立場から、これを拒否。逆に、PKF派遣後六か月以内の国会承認を法案に明記するとの対案を示して検討を求めている。このため、政府・自民党が法案修正に応じるかどうかがポイントとなっており、最終的に、自公民3党間で合意が図られるか流動的だ。
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民社党の大内委員長は26日午前、議員会館の事務所で記者団と懇談し、国連平和維持活動(PKO)協力法案に対し同党が要求している「国会承認」を送案に明記する際の同党独目の修正案を政府側に伝えていることを明らかにした。
修正案の主な内容は、①平和維持隊(PKF)に自衛隊を派遣した後、六か月以内に、委員会での議決など何らかの形で国会承認を得る②国会承認が得られず否決された場合は、政府は国会の意思に反しない措置をとる—というもので、この案は25日夜、文書の形で加藤紘一官房長官のもとに届けられた。 また大内氏によると、26日午前、加藤官房長官に対し、電話で改めて検討を求めたのに対し、官房長官は「真剣に検討したい」と答えたという。
一方、公明党は同日午前、国会内で全員国会対策委員会を開き、PKO法案への対応を三役に一任した。そのあと記者会見した神崎武法国対委員長は「自民、民社両党間で協議が整った場合、公明党の基本的考え方を崩さない範囲で対応したい」と述べたうえで、「この段階で法案修正は好ましくなく、付帯決議で考えるべきだというスタンスだ」とし、あくまで付帯決議の形で民社党の理解を求めるべきだとの意向を示した。《読売新聞》
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【筒香嘉智さん】誕生日
【日本ハム・若菜嘉晴捕手】現役引退
日本ハム・若菜嘉晴捕手(37)が今季限りで現役引退することになった。
同選手は土橋新監督を迎えた日本ハムの来季の構想から外れ、トレード要員となっていた。しかし他球団からの申し入れはなく、26日、東京・六本木の球団事務所を訪ねて大沢常務と話し合い、正式に退団が決まった。
「日本ハムで試合に出られなかったらよそでも同じ。自分から辞めることを決めた」と同選手は語り、今後は野球解説者など球界に携わっていきたいとしている。《共同通信》
【宮澤喜一首相】連合・山岸会長と会談
宮澤首相は26日、国会で連合の山岸会長の訪問を受けた。首相就任後初めての政・労会見だったが、山岸氏とは「昔からの知り合い」(首相)というだけに冒頭から和気あいあいのムード。「連合は世界で二番目に大きな労組」と解説する山岸氏も、長年懸案となっている日教組委員長と文相の会談を申し入れるなど次々に注文。
これに対し首相は「そちらからも知恵を借りたい」と低姿勢で応じていたが、会談後、記者団から感想を求められると「あれだけ大きな組織だから大変でしょう」とポツリ。トップに立つ者の悩みは同じと言いたげの表情。《共同通信》
【宮澤喜一首相】PKO「アジア諸国の理解得られる」
宮澤首相は、26日の衆院国際平和協力特別委員会(林義郎委員長)で、自衛隊の国連平和維持活動(PKO)参加に対するアジア近隣諸国の反応について「日本の自衛隊が海外に出ることをアジア各国が歓迎するかどうかよりも、問われるべき問題は国連のPKOに賛成かどうかであり、アジアの国が消極的で、反対とは思わない」と述べ、アジア諸国の理解は得られるとの認識を明らかにした。沢藤礼次郎氏(社会)の質問に答えたもの。
これに関連して、渡辺美智雄外相も「アジアが反対しているわけではない。たとえばカンボジアが平和のうちに民主国家になることを各国とも希望しており、国連などから要請があって我々も協力できるといいと思っている」と述べた。《読売新聞》
【米軍・クラーク基地】フィリピンへ返還
米軍のアジア・太平洋戦略のかなめだったフィリピン・クラーク米空軍基地の引き渡し式が26日午前行われ、同基地の管轄権が正式に比空軍に移った。式典には、ウィスナー在マニラ米大使、アバディア比国軍参謀総長らが出席し、基地の指揮権を象徴するカギの贈呈などが行われた。
半世紀近くにわたりマラッカ海峡などシーレーン防衛の役割を果たしてきたクラーク基地は、ベトナム、朝鮮の両戦争では出撃地点ともなり、アジアにおける米軍の一大拠点と位置付けられてきた。《読売新聞》