平成2878日目
1996/11/24
この日のできごと(何の日)
【大相撲九州場所】千秋楽
大相撲九州場所千秋楽(24日・福岡国際センター)大関武蔵丸が史上初の5人による決定戦を制し、11勝4敗で14場所ぶり2度目の優勝を飾った。昭和22年夏場所(6月)に優勝決定戦制度ができて以来、決定戦は52回目。11勝4敗での優勝は昭和47年初場所の栃東(現玉ノ井親方)以来で、24年ぶり2度目。
本割を終えた時点で横綱曙、大関若乃花、武蔵丸、貴ノ浪、関脇魁皇の5人が11勝4敗で並んだ。決定戦1回戦は武蔵丸が若乃花を、貴ノ浪が魁皇をそれぞれ下し、不戦勝の曙を加えた3人が巴戦に進出。巴戦で武蔵丸は曙を、続いて貴ノ浪を寄り切って優勝を決めた。二子山部屋勢の連覇は9でストップした。
三賞は2大関を破り、8勝7敗の土佐ノ海が2度目の殊勲賞を受賞。新入幕で10勝を挙げた栃東が初めて、優勝争いに絡み11勝の魁皇が2度目の敢闘賞を獲得した。栃東は父で師匠の玉ノ井親方(元関脇栃東)も受賞しており5組目の親子三賞。新十両の栃乃洋は13勝2敗の好成績を残した。《共同通信》
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最後に笑ったのは武蔵丸だった。前代未聞、5人による優勝決定戦。スタミナ十分で「けいこと一緒の気持ち」で取った武蔵丸が若乃花、曙、貴ノ浪を破って14場所ぶり2度目の賜杯を抱いた。
本割で貴ノ浪に負けた。引きずるような上手投げでバッタリ。「もう終わったな」と武蔵丸があきらめたのも無理はない。ところが結びの一番で若乃花も敗れ、再びチャンスがめぐってきた。
「何も考えなかった。気合だけ」。決定戦に臨んだ心境を、武蔵丸はこう振り返った。過去、決定戦には2度出場していずれも敗れているが「それも考えないようにした」。一度“死んだ”男が無欲で土俵に上がった。
抽選の結果、まず若乃花と顔が合った。左上手を引き、強引に寄り倒した。次は曙。元気のない横綱をがっぷり四つで寄り切った。そして貴ノ浪を「勝手に出た」の右の張り手でひるませてから激しく寄り切り優勝。二子山部屋の10連覇も阻んだ。《共同通信》
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【清原和博内野手】巨人入団会見
巨人の清原和博内野手(29)が24日、誕生した。1986年にドラフト1位で西武に入団し、6度の日本一に貢献した清原内野手は来季、新たなプロ野球人生を踏み出すことになった。長嶋茂雄監督とともに記者会見に臨んだ清原内野手は「自分の決めた道。チームが日本一になるよう命懸けでやりたい」と晴れやかな表情で喜びを語った。《共同通信》
【橋本龍太郎首相】米・クリントン大統領と会談
橋本龍太郎首相は24日午後、マニラ市内のフィリピン中央銀行内でクリントン米大統領と約1時間会談した。首相は在沖縄米軍の普天間飛行場返還に伴う代替ヘリポート建設を中心とする基地縮小について「日米特別行動委員会(SACO)を成功させ、区切りをつけることが最重要課題だ」と指摘、両首脳は12月2日のSACO最終報告で明確な結果を出すよう取り組むことを確認した。
首相は「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)見直し作業を促進し、沖縄基地縮小も一連の安全協議の中で継続して進めるべきだとの考えを示し、大統領も「沖縄問題も緊密に作業を続けていく」と述べた。
代替ヘリポート建設をめぐっては、海上ヘリポート構想など具体的な移転策は双方とも言及しなかったという。首相は帰国後、池田行彦外相、梶山静六官房長官と協議することを明らかにした。《共同通信》
【橋本龍太郎首相】中国・江沢民国家主席と会談
橋本龍太郎首相は24日夕、マニラ市内のホテルで中国の江沢民国家主席と初の会談を行い、「日中関係は日米とともに重要な二国間関係」と述べ、第2次橋本政権として日中関係を最重視する姿勢を強調。核実験で先送りされていた第4次円借款を実施する方針を伝えるとともに、中国の世界貿易機関(WTO)加盟支援を表明した。
江主席は首相の姿勢を評価した上で「健全で安定した日中関係を軌道に乗せ、良好な関係をさらんい発展させる契機としたい」と述べ、関係修復への強い意欲を表明した。これにより尖閣諸島の領有権問題などで冷却化した両国関係は、来年の国交正常化25周年を前に修復される見通しとなった。両首脳は早期の相互訪問にも前向きに取り組むことで一致した。《共同通信》