平成1370日目
1992/10/08
この日のできごと(何の日)
【星稜・松井秀喜内野手】意中の球団は「阪神」
高校野球を代表するスラッガー、星稜(石川)の松井秀喜内野手(18)は8日、プロ志望を表明するとともに、希望球団に阪神を挙げた。同選手はこの日、山形県野球場で行われた国体高校野球硬式の決勝で初優勝を決めた後、注目されていた進路について「プロに行くつもりです。最高のレベルの場所で、自分の力を試してみたい」と初めて態度を明らかにした。
さらに意中の球団については「逆指名とかではなく、あくまで希望です」とした上で「小さい頃からあこがれていた阪神でプレーしたいという気持ちはある」と話した。今後は退部届を出した後、阪神だけに限らず各球団の説明を受けるという。《共同通信》
昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。
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【プロ野球・巨人】新監督に長島茂雄氏
プロ野球東京読売巨人軍の新監督に長島茂雄元監督(56)就任が8日内定した。昭和55年に監督を退いて以来12年ぶりの古巣復帰。12日の巨人軍最高経営会議で正式に決定、発表される。
今月4日の広島戦に敗れて今季の優勝が絶望になった時点から、巨人は、巨人に対する情熱、選手育成の手腕、勝利への執念など新監格としての条件を満たす候補として長島氏と交渉を続けて来たもので、8日、長島氏から内諾の意思表示が球団に伝えられた。
一方、前日、今季全日程を終了した藤田元司監督(61)は、同日、読売新聞社を訪れて渡辺恒雄社長ら最高経営会議メンバーにシーズン終了の報告を行い、任期切れによる勇退が決まった。《読売新聞》
【宮澤喜一首相】輸入促進、強い決意
輸入拡大を目指した第14回貿易会議(議長・宮澤喜一首相)が8日午前、総理官邸で開かれた。宮澤首相は、今年度の日本の貿易黒字額が過去最高となることが確実視される中で、「わが国の内需拡大、輸入拡大策は世界からも注目されており、政府としても強い決意で取り組む」と述べ、輸入促進策の着実な実行と民間企業の協力を求めた。
また、交渉が動き始めた一関税・貿易一般協定(ガット)の新多角的貿易交渉(ウルグアイ・ラウンド)について宮澤首相は、「終結、完結させることが大事だ」と交渉決着へ意欲を示した。《読売新聞》
【自民党・梶山静六国会対策委員長】竹下派立て直し急務
自民党の梶山静六・国会対策委員長(竹下派幹部)は8日、札幌市内のホテルで開かれた北海道政経懇話会(北海道新聞主催)で講演し、金丸信・前副総裁(竹下派会長)に対する5億円献金問題で揺れる竹下派の現状について、「経世会(竹下派)が万全の派閥ではないが、まさにみそぎを行う思いで、これからの政治に臨んでいかねばならない。だから、われわれは態勢を整えることによって政治家の責任を果たさねばならない」と述べて、派閥の再建が急務だとの考えを示した。
これに関連して梶山氏は同派幹部間の確執が伝えられていることについて、「私の志と違って、『(小沢一郎・同派会長代行との)一六戦争』『分裂必至か』『末期症状』という書かれ方をする。あえてこの見方に異論は唱えないが、それで政治の責任を果たせるのか」と述べ、派内の確執を暗に認めた上で結束の必要性を強調した。《読売新聞》
【小沢一郎氏】竹下元首相を批判
自民党の金丸前副総裁の5億円献金事件で揺れる竹下派は、8日の中堅議員の会合で小沢会長代行の派閥運営に厳しい非難が相次いだ一方、小沢氏が別の同派会合で「竹下元首相は現状認識が甘い」と激しい批判を展開するなど、深刻な派内抗争に向かい始めた。同党内では同日、若手議員が政治刷新グループを旗揚げし、金丸氏の「けじめ」を求めて決起したほか、宮澤、渡辺両派の総会などで「議員辞職」論が飛び出し「金丸包囲網」が点から面への広がりを見せてきた。
自民党竹下派の小沢会長代行は8日夜、都内の料理屋で竹下派の中堅議員と懇談し、同派の金丸会長に対する5億円献金問題をめぐる竹下元首相の対応について「金丸会長がつまずけば竹下元首相もつまずくという(厳しい状況にある)派閥の状況に対する認識が不十分だ。その辺の認識が甘いのではないか」と厳しく批判した。非公式の会合とはいえ、小沢氏が竹下氏の姿勢を明確に批判したのは初めて。
小沢氏はこの中で、党内外から議員辞職の声が強まっている金丸竹下派会長の進退について「とことんまで会長を支えていく」とあくまで会長を守る決意を表明した。《共同通信》
【自民党の信頼回復を考える会】旗揚げ
「副総裁辞任ではケジメがついてない」「国民に対してケジメをつけていただきたい」。金丸信・前党副総裁の出処進退をめぐり、議員辞職を迫る声も出始めた自民党内で8日、ケジメを求める若手有志議員の「自民党の信頼回復を考える会」が旗揚げした。党本部で午後1時から開かれたこの日の会合に集まった三塚、渡辺、宮澤各派の7人のサムライたちは、口々に「党と政治の危機」を訴えた。
「スタンドプレーなんかじゃない」と訴える新井将敬氏(渡辺派)は「国民は(党より)派閥にこそ力があると知っているから、副総裁辞任ではケリがついていないと怒っている」と中途半端な状況を批判し、「離党と(竹下派の)会長辞任を願っている」ときっぱり。「政治改革の論議に入る前に、国民から、いかがわしいと思われているわれわれの党が、政治改革を言っても信用してもらえないでしょ」という太田誠一氏(宮澤派)は、「金丸氏は離党すべきだ」と熱っぽく訴えた。小林興起氏(三塚派)は「国民の厳しい批判がある中で、党内で意見を言わないと、これでよしとなってしまう」と、「永田町の論理」と国民の意識のズレに危機感を示す。
同会によると、他に6人が加入の予定だという。午後1時からの会合前、集まらないメンバーを心配して「(派閥の)締めつけかな」と冗談ともつかないつぶやきがもれたが、新井氏は「言い出した以上、責任は持つ」と党内自浄への決意を語った。《読売新聞》
【社会党・土井たか子前委員長】金丸氏の議員辞職を要求
東京佐川急便事件の徹底究明と、自民党の金丸信・前副総裁の議員辞職を求めて、土井たか子前委員長など社会党の女性議員たちが、8日午後、JR新宿駅西口前で街頭演説を行った。
小雨が降る中、同党の衆参両院議員や、東京都議などが、次々と街宣車の上に立ち、「中途半端な追及で終わらすな」などと通行人に訴えた。土井前委員長は「国会での証人喚問をぜひ実現させなくてはいけない」と強い口調で呼びかけた。《読売新聞》
【ウィリー・ブラント元西ドイツ首相】死去
冷戦の最中に、革新的な「東方政策」で東西欧州の緊張緩和(デタント)を推進し、71年にノーベル平和賞を受賞したウィリー・ブラント元西ドイツ首相(本名・ヘルベルト・フラーム)が、8日夜(日本時間9日未明)、大腸ガンのため、ボン近郊の自宅で死去した。78歳だった。
ドイツ北部リューベックに私生児として生まれたブラント氏は、高校時代から社民党左派系青年組織「SAJ」に入ると同時に、ドイツ社民党(SPD)の地方機関紙に寄稿、わずか16歳でSPDに入党した。
ナチスが政権を握ると、地下闘争を開始、このころから本名を捨て、「ウィリー・ブラント」と名乗るようになった。33年にはノルウェーに亡命、38年にドイツ国籍をはく奪された。
戦時中、北欧紙の遊軍記者などを務めた後、戦後、ドイツに戻り、社民党員として政治活動を再開。57年にはベルリン市長に就任した。
66年12月にキリスト教民主同盟(CDU)と社民党との大連立政権が誕生すると、ブラント氏は外相兼副首相に就任。翌年には、ルーマニア、68年にはユーゴスラビアと国交を回復、これがデタントの序曲となった。
69年9月の総選挙の後、ブラント氏は、中道小政党、自民党(FDP)との連立政権を樹立して首相に就任、東ドイツを承認した国とは国交をもたないという、それまでの西ドイツ外交の原則(ハルシュタイン原則)の破棄を宣言し、ソ連、ポーランドなどとの和解の道を踏み出した。《読売新聞》