平成3529日目

1998/09/06

この日のできごと(何の日)

【黒澤明監督】死去

「羅生門」「生きる」「七人の侍」など、映画界にさん然と輝く名作を生み出した世界映画界の巨匠、文化勲章受章者の映画監督、黒澤明氏が6日午後0時45分、脳卒中のため東京都世田谷区の自宅で死去した。88歳。東京都出身。

10(明治43年)生まれ。旧制中学を卒業後、画家を志すが、36年にピー・シー・エル映画製作所(東宝の前身)に入社した。山本嘉次郎監督の助監督を経て、43年に「姿三四郎」で監督デビュー。痛快な娯楽性が高い評価を受け、同年「花咲く港」でデビューした木下恵介監督とともに、日本映画界のホープとして注目された。

戦後の48年、「酔いどれ天使」で三船敏郎を抜てき。以後、三船は黄金期の黒沢映画に欠かせない俳優となった。50年の「羅生門」は、翌年のベネチア国際映画祭でグランプリを獲得。日本映画の芸術性を初めて世界に知らせる記念碑的作品となった。《共同通信》

その後は「生きる」「七人の侍」など世界映画史に残る名作や「用心棒」「椿三十郎」「天国と地獄」などの大型娯楽作品を精力的に発表。「世界のクロサワ」の名を高めた。

だが、米国資本での製作を企画した「暴走機関車」「トラ・トラ・トラ!」が相次いで挫折。「どですかでん」(45年)発表の翌年には、自殺未遂事件を起こし世界に衝撃を与えた。

カムバックを支えたのは、世界の映画人。50年に当時のソ連に迎えられ監督した「デルス・ウザーラ」はモスクワ映画祭グランプリ、米アカデミー外国語映画賞を受賞。フランシス・コッポラ、ジョージ・ルーカスが外国版プロデューーサーとして参加した「影武者」(55年)はカンヌ国際映画祭でグランプリを獲得した。60年には映画界初の文化勲章を受章。平成2年には日本人として初めて米アカデミー名誉賞を受賞した。

5年の30作目の「まあだだよ」が最後の作品となった。2作目「一番美しく」の主演女優矢口陽子(昭和60年死去)さんと20年に結婚、一男一女がある。《共同通信》

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【額賀福志郎防衛庁長官】「危機管理体制を整備」

額賀福志郎防衛庁長官は6日午前のNHK番組などで、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が発射した弾道ミサイルの太平洋上への着弾の公表が遅れたことに対して「もっと早く私自身が記者会見し、国民に公表すべきだった」と不手際を認めた。

その上で「情報処理の在り方、国会との関係などに関してきちんとしたマニュアルを作り、危機管理体制を整備したい」と述べた。《共同通信》

【小渕恵三首相】金融再生「できるだけ早く」

小渕恵三首相は6日午後、日米蔵相会談でルービン財務長官が金融再生に向けて迅速な対応を日本側に求めたことについて「できるだけ早くやろうというのが政府の姿勢だ。全力を挙げるし努力していく」と述べた。

金融関連再生法の早期成立に重ねて決意を表明したものだ。首相公邸で記者団の質問に答えた。《共同通信》



9月6日 その日のできごと(何の日)