平成1180日目
1992/04/01
この日のできごと(何の日)
【大相撲・陣幕親方】年寄「九重」に名称変更
大相撲の元横綱千代の富士の陣幕親方が1日付で年寄「九重」に名称変更し、前九重親方(元横綱北の富士)から部屋を継承した。
前九重親方は年寄名跡を交換する形で、新陣幕親方となり、今後日本相撲協会の理事職(審判部長)に専念する。両親方の年寄名跡交換は春場所(3月)中の協会理事会で承認されていた。《共同通信》
昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。
情報量が少ない日は随時加筆中です。
引用記事は名前、住所など一部修正の上、抜粋してあります。
外国の方のお名前、地名などは現時点で一般的に通じるものに書き換えています。(例・ロシアのプーチン氏はかつてプチン氏と表記されていました)
古い記事の多くは「書き写し」のため、誤字脱字が多数あります。見つけ次第修正しています。
【江崎玲於奈博士】筑波大学長に就任
文部省は1日、筑波大学の第五代学長となった江崎玲於奈博士(67)に辞令を交付、“海外流出”したノーベル賞学者の大学学長が正式に誕生した。「4月1日付」で辞令を受けたのは、江崎博士のほか名古屋大の加藤延夫学長ら11の国立大学のトップ。
午後0時半から、一人ひとり大臣室に招き入れられて、毛筆で書かれた辞令を鳩山文相から手渡された。「文部教官筑波大学長に任命する」—最後に辞令を受けた江崎博士は心持ち緊張した表情。伝達のセレモニーのあと、鳩山文相が「ご活躍をお祈りしています」と握手を求めると、「どうもありがとうございます」。がっちりとその手を握り返し、いつもの“江崎スマイル”を浮かべた。
筑波大学ではこの日午後3時から評議会が開かれ、これが学長としての初仕事。研究・指導に、大学運営という新しい仕事が加わる多忙な日々の幕が開く。《読売新聞》
【千葉市】政令指定都市に
千葉市が1日、全国12番目の政令指定都市に移行した。東京湾岸では横浜、川崎に続いて3番目。同市は幕張メッセに代表される一幕張新都心を抱えた湾岸の成長株。ベイエリア東岸初の政令市誕生は、東京湾岸新時代の幕開けとなる。
同市の人口は83万5295人(2月末現在)。6つの行政区が誕生し、この日から6区役所で業務が始まった。郵便番号が変わり、今月29日にはNTTの市内局番も043に。市民は「大都市」を実感することになる。《読売新聞》
【日銀】公定歩合年0.75%下げ実施
日銀は1日朝、臨時政策委員会(議長・三重野総裁)を開いて、公定歩合(現行年4.5%)を0.75%引き下げて、年3.75%とすることを決め、即日実施した。公定歩合の引き下げは、昨年7、11、12月に続き、今回の金融緩和局面で4回目。3%台は1989年12月以来ほぼ2年3カ月ぶり。
利下げ決定後、記者会見した三重野総裁は、今回の利下げが「政府の決めた財政面での対応(緊急経済対策)と相まって、日本経済の持続的な成長をより確実にする」と語った。《共同通信》
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宮澤首相は1日午前、日銀が公定歩合第4次引き下げに踏み切ったことについて「結構なことだ。(金利の下げ止まり感は)出ると思う。日銀総裁もいろいろお考えになった結果でしょう。いい判断だ」と評価し、0.75%という利下げ幅となったことによって金利の下げ止まり感が出るとの見方を強調した。《共同通信》
【中国・江沢民総書記】天皇陛下訪中に期待
江沢民・中国共産党総書記は1日、今月6日からの日本公式訪問を前に、北京・釣魚台国賓館で北京駐在日本人記者団と会見し、天皇、皇后両陛下の訪中要請問題について「われわれが天皇陛下の中国訪問を招請するのは、中日友好が目的だ。天皇陛下のご訪中は必ずや中日関係の一層の発展を促進すると信じている」と語り、天皇陛下のご訪中実現に改めて強い希望を表明した。
また、ご訪中が実現した場合の天皇陛下の「お言葉」について「日本側で相談、検討すべきことではないかと思う」と述べ、遠回しの表現ながら、中国側として天皇陛下が過去の戦争に対してどう言及するか、注視していることを示した。
ご訪中の具体的時期に関しては、「双方がさらに協議する」と指摘し、今回の訪日時に日本側と突っ込んだ話し合いを望む意向を「明らかにした。
一方、中国が先月、領海法に自国領土として明記したことにより再度、表面化した尖閣諸島(中国名・釣魚島)問題について「釣魚島は古来から中国の領土である。領海法でわれわれの一貫した立場を改めて表明した」とした上で「鄧小平同志がかつて(副首相時代の78年に訪日した際)全面的に明白に中国の立場(棚上げ論)と主張を述べたが、これにも変化はない」と指摘、「棚上げ」方針が不変であることを明確にした。
このほか、日中戦争時の民間被害について、日本に対し賠償を求める動きが中国で浮上している問題を巡って「中国政府は戦争の賠償問題について、72年に発表した中日共同声明の中で(日本国に対する戦争賠償の請求を放棄した)自らの立場を明らかに述べている。この立場は変わらない」と表明。ただ、「戦争期間に残された問題に関し、われわれはかねてからお互いの協議を通じて、実際の問題を情理にかなったやり方で、妥当に解決すべきだと主張している」と語り、中国当局として民間賠償要求の動きを黙認する考えを示唆した。《読売新聞》