平成10830日目
2018/09/02
この日のできごと(何の日)
【西日本豪雨】広島県呉市で仮設住宅への入居開始
広島県呉市で2日、西日本豪雨被災者の応急仮設住宅への入居が始まった。同県では初めて。天応地区と安浦町地区で、計約60世帯の入居が決まっている。
天応地区の住宅は、市が管理している海沿いの土地に建設された。風呂トイレ付きで、1DK、2DK、3K。入居期間は2年間で、ペットも飼える。入居者は午前10時ごろ、市職員から鍵を受け取った。《産経新聞》
昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。
情報量が少ない日は随時加筆中です。
引用記事は名前、住所など一部修正の上、抜粋してあります。
外国の方のお名前、地名などは現時点で一般的に通じるものに書き換えています。(例・ロシアのプーチン氏はかつてプチン氏と表記されていました)
古い記事の多くは「書き写し」のため、誤字脱字が多数あります。見つけ次第修正しています。
【北海道新幹線】青函トンネルで高速化試験
北海道新幹線の青函トンネルで2日、最高速度を最大で時速210キロに上げる走行試験が始まった。19日まで。JR北海道は本年度末、現在の時速140キロから160キロへの引き上げを目指し、実現すれば東京―新函館北斗は3分短縮され、3時間59分になる見込み。
試験は鉄道建設・運輸施設整備支援機構が実施。19日まで週1〜2回程度、営業時間外の夜中から早朝に行う。
トンネルを含む82キロ区間は在来線の貨物列車と線路を共用。すれ違う際の荷崩れを防ぐため新幹線の最高時速を140キロに制限しており、160キロですれ違った際の影響も調査。下り線での210キロ走行も検証する。《共同通信》
【第18回アジア競技大会】閉会式
アジアのスポーツの祭典、第18回アジア競技大会は2日、ジャカルタのGBKメインスタジアムで閉会式が行われ、16日間の熱戦が幕を閉じた。2022年の次回大会は中国・杭州で行われる。
40競技465種目が行われ、日本は中国に次ぐ75個の金メダルを含む計205個のメダルを獲得。大会最優秀選手(MVP)には、競泳で日本史上最多の6冠に輝いた池江璃花子(18)(ルネサンス)が選ばれた。女子の選出は初めてで、日本選手の受賞は14年の韓国・仁川インチョン大会の萩野公介(24)(ブリヂストン)に続いて2大会連続4人目。《読売新聞》
【佳子内親王殿下】情報五輪開会式出席
秋篠宮家の次女佳子さまは2日、茨城県つくば市で開幕した「第30回国際情報オリンピック日本大会」の開会式に出席し、「情報科学は科学的発見や技術革新を促進する上で不可欠なもの。参加者が今後の社会に大きく貢献することを願っています」と、英語であいさつされた。
佳子さまは会場入りする際、約120人の市民らの出迎えに笑顔で手を振って応えられ、式後には北九州工業高専3年の井上航さん(17)ら日本選手団の4人に対し、「頑張ってください」などと声をかけられていた。
大会の国内開催は初めてで、今回は87か国・地域の高校生ら約340人がプログラミングの技術を競う。《読売新聞》
【静岡県警】未成年者誘拐の疑いでTBS社員を逮捕
少女を自宅に連れ込んだなどとして、静岡県警は2日、未成年者誘拐の疑いで、東京都渋谷区渋谷、TBS社員、A容疑者(30)を現行犯逮捕した。
逮捕容疑は8月中旬から9月2日までの間、静岡県中部に住む10代少女が未成年と知りながら、自宅に連れて行ったとしている。
TBSによると、A容疑者は平成27年4月に入社し、現在は事業局映画・アニメ事業部に所属している。
同社は「社員が逮捕されたことは誠に遺憾で、関係者の方に深くおわびする。事実関係を調べた上で厳正に対処する」とのコメントを出した。《産経新聞》
【自民党総裁選挙】石破茂元幹事長、高知で演説
自民党の石破茂元幹事長は2日、総裁選(7日告示、20日投開票)に向け、高知市で先月10日の出馬表明後初となる街頭遊説を行い、「大都市がもうかったから地方が豊かになるのではなく、果実は地方の農林水産業が作る」と述べ、地方からの経済成長に力を入れる考えを訴えた。
街頭演説に先立ち、戦前に首相として協調外交を推進した高知県出身の浜口雄幸の生家を訪れた。石破氏は記者団に「全ての政治家が学ばねばならないことだ」と語った。
街頭演説には、谷垣グループ(有隣会)に所属する衆院高知1区の中谷元(げん)元防衛相も駆けつけ、石破氏支持を表明した。中谷氏は記者団に、石破氏が出馬を届け出る際、推薦人になる可能性も示唆した。《産経新聞》
【井出正一さん】死去
元厚相、元新党さきがけ代表の井出正一氏が2日、呼吸不全で死去した。79歳。告別式は後日行う。喪主は長男、太氏と次男、平氏。
井出氏は長野県出身。1986年衆院選で初当選し、3期務めた。93年に自民党を離党して新党さきがけに参加し、94年発足の村山内閣で厚相を務めた。96年に党代表に就任し、同年の衆院選で落選した。井出庸生衆院議員はおい。《読売新聞》