令和1274日目

2022/10/25

この日のできごと(何の日)

【野田佳彦元首相】安倍氏追悼演説

立憲民主党の野田佳彦・元首相は25日の衆院本会議で、参院選の遊説中に銃撃されて死亡した安倍晋三・元首相に対する追悼演説を行った。首相在任中の2012年11月、自民党総裁だった安倍氏に衆院解散を明言した党首討論について、「互いの持てるすべてを賭けた、火花散らす真剣勝負であった」と懐かしんだ。

野田氏は安倍内閣が第2次以降7年8か月続き、その間は「前首相」と呼ばれたことを念頭に、「勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん」と語りかけた。「手強てごわい論敵」とし、「再戦を挑むべき相手は、もうこの議場には現れない」と惜しんだ。

安倍氏が積極的な首脳外交を展開し、米大統領を務めたオバマ、トランプ両氏と親密な関係を築いたことに触れ、「人と人との距離感を縮める天性の才があった」と功績をたたえた。

12年12月の衆院選で敗れた直後、皇居での親任式に立ち会った際の逸話も披露した。安倍氏から「自分は5年で返り咲いた。いずれそういう日がやってきますよ」と励まされたことを明かし、「闘い続けた心優しき政治家」としのんだ。

首相経験者に対する追悼演説は野党の党首級が行うのが慣例で、00年の小渕恵三・元首相に対する社民党の村山富市・元首相以来となる。《読売新聞》

立憲民主党の野田佳彦元首相は25日の衆院本会議で、参院選の応援演説中に銃撃され、死去した自民党の安倍晋三元首相に対する追悼演説を行った。

安倍氏の昭恵夫人が傍聴席で見守る中、野田氏は「あなたは議場では闘う政治家だったが、国会を離れ、ひとたびかぶとを脱ぐと、心優しい気遣いの人でもあった」として、首相を引き継ぐ際、安倍氏から励ましを受けた思い出などを回顧。「あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは言葉の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでも、よりよきものへと鍛え続けていくしかない」との決意を語った。

演説の全文は以下の通り。

本院議員、安倍晋三元内閣総理大臣は、去る7月8日、参院選挙候補者の応援に訪れた奈良県内で、演説中に背後から銃撃されました。搬送先の病院で全力の救命措置が施され、日本中の回復を願う痛切な祈りもむなしく、あなたは不帰の客となられました。享年67歳。あまりにも突然の悲劇でした。

政治家としてやり残した仕事。次の世代へと伝えたかった思い。そして、いつか引退後に昭恵夫人とともに過ごすはずであった穏やかな日々。すべては、一瞬にして奪われました。

政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません。人々の暮らしや命がかかっています。マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えているときに、後ろから襲われる無念さはいかばかりであったか。改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。

私は、生前のあなたと、政治的な立場を同じくするものではありませんでした。しかしながら、私は、前任者として、あなたに内閣総理大臣のバトンを渡した当人であります。

わが国の憲政史には、101代64名の内閣総理大臣が名を連ねます。先人たちが味わってきた「重圧」と「孤独」をわが身に体したことのある一人として、あなたの非業の死を悼み、哀悼の誠をささげたい。

そうした一念のもとに、ここに、皆さまのご賛同を得て、議員一同を代表し、謹んで追悼の言葉を申し述べます。

安倍晋三さん。あなたは、昭和29年9月、後に外務大臣などを歴任された安倍晋太郎氏、洋子さまご夫妻の次男として、東京都に生まれました。

父方の祖父は衆議院議員、母方の祖父と大叔父は後の内閣総理大臣という政治家一族です。「幼い頃から身近に政治がある」という環境の下、公のために身を尽くす覚悟と気概を学んでこられたに違いありません。

成蹊大学法学部政治学科を卒業され、いったんは神戸製鋼所に勤務したあと、外務大臣に就任していた父君の秘書官を務めながら、政治への志を確かなものとされていきました。

そして、父、晋太郎氏の急逝後、平成5年、当時の山口1区から衆議院選挙に出馬し、見事に初陣を飾られました。38歳の青年政治家の誕生であります。

私も、同期当選です。初登院の日、国会議事堂の正面玄関には、あなたの周りを取り囲む、ひときわ大きな人垣ができていたのを鮮明に覚えています。

そこには、フラッシュの閃光(せんこう)を浴びながら、インタビューに答えるあなたの姿がありました。私には、その輝きがただ、まぶしく見えるばかりでした。

その後のあなたが政治家としての階段をまたたく間に駆け上がっていったのは、周知のごとくであります。

内閣官房副長官として北朝鮮による拉致問題の解決に向けて力を尽くされ、自由民主党幹事長、内閣官房長官といった要職を若くして歴任したのち、あなたは、平成18年9月、第90代の内閣総理大臣に就任されました。戦後生まれで初。齢52、最年少でした。

大きな期待を受けて船出した第1次安倍政権でしたが、翌年9月、あなたは、激務が続く中で持病を悪化させ、1年あまりで退陣を余儀なくされました。順風満帆の政治家人生を歩んでいたあなたにとっては、初めての大きな挫折でした。「もう二度と政治的に立ち上がれないのではないか」と思い詰めた日々が続いたことでしょう。

しかし、あなたは、そこで心折れ、諦めてしまうことはありませんでした。最愛の昭恵夫人に支えられて体調の回復に努め、思いを寄せる雨天の友たちや地元の皆さまの温かいご支援にも助けられながら、反省点を日々ノートに書きとめ、捲土(けんど)重来を期します。

挫折から学ぶ力とどん底からはい上がっていく執念で、あなたは、人間として、政治家として、より大きく成長を遂げていくのであります。

かつて「再チャレンジ」という言葉で、たとえ失敗しても何度でもやり直せる社会を提唱したあなたは、その言葉を自ら実践してみせました。ここに、あなたの政治家としての真骨頂があったのではないでしょうか。

あなたは、「諦めない」「失敗を恐れない」ということを説得力もって語れる政治家でした。若い人たちに伝えたいことがいっぱいあったはずです。その機会が奪われたことは誠に残念でなりません。

5年の雌伏を経て平成24年、再び自民党総裁に選ばれたあなたは、当時、内閣総理大臣の職にあった私と、以降、国会で対峙(たいじ)することとなります。最も鮮烈な印象を残すのは、平成24年11月14日の党首討論でした。

私は、議員定数と議員歳費の削減を条件に、衆議院の解散期日を明言しました。あなたの少し驚いたような表情。その後の丁々発止。それら一瞬一瞬を決して忘れることができません。それらは、与党と野党第一党の党首同士が、互いの持てるすべてを賭けた、火花散らす真剣勝負であったからです。

安倍さん。あなたは、いつの時も、手ごわい論敵でした。いや、私にとっては、仇(かたき)のような政敵でした。

攻守を代えて、第96代内閣総理大臣に返り咲いたあなたとの主戦場は、本会議場や予算委員会の第一委員室でした。

少しでも隙を見せれば、容赦なく切りつけられる。張り詰めた緊張感。激しくぶつかり合う言葉と言葉。それは、一対一の「果たし合い」の場でした。激論を交わした場面の数々が、ただ懐かしく思い起こされます。

残念ながら、再戦を挑むべき相手は、もうこの議場には現れません。

安倍さん。あなたは議場では「闘う政治家」でしたが、国会を離れ、ひとたびかぶとを脱ぐと、心優しい気遣いの人でもありました。

それは、忘れもしない、平成24年12月26日のことです。解散総選挙に敗れ敗軍の将となった私は、皇居で、あなたの親任式に、前総理として立ち会いました。

同じ党内での引き継ぎであれば談笑が絶えないであろう控え室は、勝者と敗者の2人だけが同室となれば、シーンと静まりかえって、気まずい沈黙だけが支配します。その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは、安倍さんの方でした。

あなたは私のすぐ隣に歩み寄り、「お疲れさまでした」と明るい声で話しかけてこられたのです。

「野田さんは安定感がありましたよ」

「あの『ねじれ国会』でよく頑張り抜きましたね」

「自分は5年で返り咲きました。あなたにも、いずれそういう日がやってきますよ」

温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私をひたすらに慰め、励まそうとしてくれるのです。

その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。

残念ながら、その時の私には、あなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした。でも、今なら分かる気がします。安倍さんのあの時の優しさが、どこから注ぎ込まれてきたのかを。

第1次政権の終わりに、失意の中であなたは、入院先の慶応病院から、傷ついた心と体にまさにむち打って、福田康夫新総理の親任式に駆けつけました。

わずか1年で辞任を余儀なくされたことは、誇り高い政治家にとって耐え難い屈辱であったはずです。あなたもまた、絶望に沈む心で、控室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね。

あなたの再チャレンジの力強さとそれを包む優しさは、思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです。

安倍さん。あなたには、謝らなければならないことがあります。

それは、平成24年暮れの選挙戦、私が大阪の寝屋川で遊説をしていた際の出来事です。

「総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でおなかが痛くなってはダメだ」

私は、あろうことか、高揚した気持ちの勢いに任せるがまま、聴衆の前で、そんな言葉を口走ってしまいました。他人の身体的な特徴や病を抱えている苦しさを揶揄(やゆ)することは許されません。語るも恥ずかしい、大失言です。

謝罪の機会を持てぬまま、時が過ぎていったのは、永遠の後悔です。いま改めて、天上のあなたに、深く、深くおわびを申し上げます。

私からバトンを引き継いだあなたは、7年8カ月あまり、内閣総理大臣の職責を果たし続けました。

あなたの仕事がどれだけの激務であったか。私には、よく分かります。分刻みのスケジュール。海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積。その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続です。容赦ない批判の言葉の刃も投げつけられます。在任中、真の意味で心休まるときなどなかったはずです。

第1次政権から数え、通算在職日数3188日。延べ196の国や地域を訪れ、こなした首脳会談は1187回。最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、ただただ心からの敬意を表します。

首脳外交の主役として特筆すべきは、あなたが全くタイプの異なる2人の米国大統領と親密な関係を取り結んだことです。理知的なバラク・オバマ大統領を巧みに説得して広島にいざない、被爆者との対話を実現に導く。かたや、強烈な個性を放つドナルド・トランプ大統領の懐に飛び込んで、ファーストネームで呼び合う関係を築いてしまう。

あなたに日米同盟こそ日本外交の基軸であるという確信がなければ、こうした信頼関係は生まれなかったでしょう。ただ、それだけではなかった。あなたには、人と人との距離感を縮める天性の才があったことは間違いありません。

安倍さん。あなたが後任の内閣総理大臣となってから、一度だけ、総理公邸の一室で、ひそかにお会いしたことがありましたね。平成29年1月20日、通常国会が召集され政府四演説が行われた夜でした。

前年に、天皇陛下の象徴としてのお務めについて「おことば」が発せられ、あなたは野党との距離感を推し量ろうとされていたのでしょう。

二人きりで、陛下の生前退位に向けた環境整備について、1時間あまり、語らいました。お互いの立場は大きく異なりましたが、腹を割ったざっくばらんな議論は次第に真剣な熱を帯びました。

そして、「政争の具にしてはならない。国論を二分することのないよう、立法府の総意を作るべきだ」という点で意見が一致したのです。国論が大きく分かれる重要課題は、政府だけで決めきるのではなく、国会で各党が関与した形で協議を進める。それは、皇室典範特例法へと大きく流れが変わる潮目でした。

私が目の前で対峙(たいじ)した安倍晋三という政治家は、確固たる主義主張を持ちながらも、合意して前に進めていくためであれば、大きな構えで物事を捉え、飲み込むべきことは飲み込む。冷静沈着なリアリストとして、柔軟な一面を併せ持っておられました。

あなたとなら、国を背負った経験を持つ者同士、天下国家のありようを腹蔵なく論じあっていけるのではないか。立場の違いを乗り越え、どこかに一致点を見いだせるのではないか。

以来、私は、そうした期待をずっと胸に秘めてきました。

憲政の神様、尾崎咢堂は、当選同期で長年の盟友であった犬養木堂を五・一五事件の凶弾で喪いました。失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。

「人生の本舞台は常に将来に向けて在り」

安倍さん。あなたの政治人生の本舞台は、まだまだ、これから先の将来に在ったはずではなかったのですか。

再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。

勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん。

耐え難き寂寞の念だけが胸を締め付けます。

この寂しさは、決して私だけのものではないはずです。どんなに政治的な立場や考えが違っていても、この時代を生きた日本人の心の中に、あなたの在りし日の存在感は、いま大きな空隙となって、とどまり続けています。

その上で、申し上げたい。

長く国家のかじ取りに力を尽くしたあなたは、歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)です。

安倍晋三とはいったい、何者であったのか。あなたがこの国に遺したものは何だったのか。そうした「問い」だけが、いまだ中ぶらりんの状態のまま、日本中をこだましています。

その「答え」は、長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。

そうであったとしても、私はあなたのことを、問い続けたい。

国の宰相としてあなたが遺した事績をたどり、あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちとともに、言葉の限りを尽くして、問い続けたい。

問い続けなければならないのです。

なぜなら、あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿るからです。

暴力やテロに、民主主義が屈することは、絶対にあってはなりません。

あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは、言論の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでも、よりよきものへと鍛え続けていくしかないのです。

最後に、議員各位に訴えます。

政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命がかかっています。

暴力に怯まず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けようではありませんか。

民主主義の基である、自由な言論を守り抜いていこうではありませんか。

真摯(しんし)な言葉で、建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱(きょうじん)なものへと育てあげていこうではありませんか。

こうした誓いこそが、マイクを握りながら、不意の凶弾に斃(たお)れた故人へ、私たち国会議員がささげられる、何よりの追悼の誠である。私はそう信じます。

この国のために、「重圧」と「孤独」を長く背負い、人生の本舞台へ続く道の途上で天に召された、安倍晋三元内閣総理大臣。

闘い続けた心優しき一人の政治家の御霊に、この決意を届け、私の追悼の言葉に代えさせていただきます。

安倍さん、どうか安らかにお眠りください。《産経新聞》

昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。

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【プロ野球】

プロ野球の日本一を決めるSMBC日本シリーズ2022は25日、大阪市の京セラドーム大阪に舞台を移して3万3098人の観衆を集めて第3戦が行われ、セ・リーグ2連覇のヤクルトが7―1でパ・リーグを2年連続で制したオリックスに快勝し、対戦成績を2勝1分けとした。

ヤクルトは五回に第2戦まで無安打だった山田哲人内野手の3ランで試合の均衡を破り、先発の高橋奎二投手が6回無失点と好投した。

昨年と同じ顔合わせで、ヤクルトは球団初の2年連続となる7度目の日本一を、オリックスは阪急時代を含め26年ぶり5度目の日本シリーズ制覇を目指す。

オ1―7ヤ

ヤクルトが大勝した。五回に山田の3ランで先制し、七回に村上の押し出し四球で加点。九回に村上の2点二塁打とオスナの適時打で3点を加えた。高橋は6回3安打無失点で7奪三振と好投し、救援陣も反撃を九回の1点に抑えた。

オリックスは宮城が本塁打に泣き、六回途中3失点で降板。打順を入れ替えた打線も好機で攻めきれなかった。《共同通信》

【COVID-19】

国内で25日、新たに4万8666人の新型コロナウイルス感染者が確認された。前週の同じ曜日と比べ約5千人増加した。内訳は北海道が5574人と全国で最も多く、他は東京4702人、大阪3295人など。

死者は大阪7人、埼玉6人など計70人の報告があった。厚生労働省によると、全国の重症者は118人で前日から3人増加した。

過去に公表された感染者について、島根などで修正があった。《共同通信》

【東京株式市場】

25日の東京株式市場の日経平均株価(225種)は続伸した。終値は前日比275円38銭高の2万7250円28銭で、3営業日ぶりに節目の2万7000円台を回復した。英首相交代や米連邦準備制度理事会(FRB)の利上げペース減速への期待から前日の欧米株が上昇した流れを引き継いだ。

東証株価指数(TOPIX)は19.95ポイント高の1907.14。出来高は約10億4000万株だった。

25日の東京市場でも電機や半導体関連など幅広い銘柄が買われた。前日に下落した上海や香港市場の株価が持ち直した場面では、平均株価の上げ幅は300円を超えた。《共同通信》

【後藤茂之氏】経済再生担当相に就任

岸田文雄首相は25日、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を巡る問題で事実上更迭した山際大志郎前経済再生担当相の後任に後藤茂之前厚生労働相を起用した。後藤氏は経済政策に精通しており、首相は28日の総合経済対策決定と実行を担わせ、内閣支持率が下落する現状の局面転換を狙う。首相は25日、異例となる衆院本会議での閣僚辞任の説明を行い国会会期中の交代を「深くおわびする」と陳謝した。野党は引き続き自民党と教団との「癒着」を追及する考えだ。 後藤氏は経済再生のほか、山際氏が担った新型コロナウイルス対策や首相が掲げる「新しい資本主義」担当も引き継ぐ。《共同通信》

【韓国・尹錫悦大統領】「北朝鮮は核実験の準備完了」

韓国の尹錫悦大統領は25日、国会演説で、北朝鮮が「核実験の準備を既に終えたと判断される」と述べた。米国家安全保障会議のカービー戦略広報調整官も24日のオンライン記者会見で「北朝鮮はいつでも核実験をできる」と述べ、近く実施する可能性があるとみて警戒を続けていると明らかにした。

尹氏は予算案に関する施政方針演説の中で、北朝鮮が弾道ミサイル発射を続けていることを批判し「韓米の連合防衛態勢と韓米日の安保協力で、圧倒的な力量により抑止力を強化する」と訴えた。

カービー氏は「前提条件を付けずに非核化に向け話し合う用意がある」と述べた。《共同通信》

【英・スナク首相】就任

英与党保守党の党首に決まったインド系のリシ・スナク元財務相(42)が25日、ロンドンのバッキンガム宮殿でチャールズ国王の任命を受け新首相に就任した。就任後初の演説で、政治や経済を混迷させたトラス前政権の過ちを認めた上で信頼回復に努めると約束。「言葉ではなく行動で国を団結させる」と表明し「経済の安定を政府の課題の中心に据える」と強調した。

スナク氏は初のアジア系で、20世紀以降最も若い英首相。

首相官邸前での演説でスナク氏は「難しい決断を迫られることになる」と述べ、トラス前政権が打ち出した大型減税策を修正する方針を示した。《共同通信》

【ウクライナ侵攻】

G7、EUが方策討議

先進7カ国(G7)議長国ドイツと欧州連合(EU)欧州委員会は25日、ロシアが侵攻するウクライナの復興に向けた方策を討議する国際会議をベルリンで開いた。ドイツのショルツ首相は第2次大戦後の米国による欧州復興計画「マーシャル・プラン」と同様の計画の策定を訴え、「ウクライナの復興は世代を超えた課題で、国際社会全体の力が必要だ」と呼びかけた。

ウクライナが訴える復興に必要な資金は7500億ドル(約112兆円)。

岸田文雄首相もビデオメッセージを寄せ、ウクライナ国内の避難民施設への暖房整備や防寒具供与などの「越冬支援」を行っていくと表明した。《共同通信》



10月25日 その日のできごと(何の日)