平成10022日目

2016/06/16

この日のできごと(何の日)

【上海ディズニーランド】開園

中国本土初となる上海ディズニーランドは16日、開園した。ディズニーの主なテーマパークとしては、日米や香港などに続き世界で6都市目。中国の観光業や娯楽産業の底上げにつながるとして、経済活性化への期待が高まっている。

開園に先立ち開かれた式典に出席した汪洋副首相は、上海ディズニー開園について「中国の旅行産業のレベルを引き上げる」とあいさつし、サービス産業の対外開放が中国と外国の双方に利益をもたらすと訴えた。

総投資額は約340億元(約5500億円)。中央にそびえるお城は世界最大という。週末、休日など繁忙時の大人の入場料は499元(約8千円)。《共同通信》

昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。

情報量が少ない日は随時加筆中です。

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外国の方のお名前、地名などは現時点で一般的に通じるものに書き換えています。(例・ロシアのプーチン氏はかつてプチン氏と表記されていました)

古い記事の多くは「書き写し」のため、誤字脱字が多数あります。見つけ次第修正しています。

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【北海道函館市】震度6弱

16日午後2時21分ごろ、北海道函館市川汲町で震度6弱の地震があった。同市泊町では5弱、北海道から東北にかけての広い範囲で1~4を観測した。気象庁によると、震源地は北海道・渡島半島東側の内浦湾で、震源の深さは約11キロ。地震の規模はマグニチュード(M)5.3と推定される。津波はなかった。《共同通信》

【石巻3人殺傷事件】元少年の死刑確定へ

宮城県石巻市で2010年、3人を殺傷したなどとして殺人罪などに問われ、一、二審で死刑判決を受けた元解体工、C被告(24)=事件当時(18)=の上告審判決で、最高裁第1小法廷(大谷直人裁判長)は16日、被告の上告を棄却した。死刑が確定する。少年事件の裁判員裁判で唯一、死刑が言い渡された事件で、最高裁が判断を示したのはこれが初めて。《河北新報》

【日本を元気にする会・松田公太前代表】参院選は不出馬

日本を元気にする会前代表の松田公太参院議員は16日、国会内で記者会見し、7月の参院選に立候補しないと表明した。理由について「是々非々の立場の政党をつくろうとしたが難しかった。別の形で日本に貢献したい」と述べた。東京都知事選に出馬する可能性も「全くない」と否定した。

松田氏は2010年参院選の東京選挙区で、旧みんなの党公認で初当選。15年1月に元気会を設立し、代表に就いた。2日付で代表を退任していた。《共同通信》

【千葉県・森田健作知事】舛添氏ねぎらい「一杯飲もう」

千葉県の森田健作知事は16日、舛添要一東京都知事の辞職決定を受けて県庁で取材に応じ、同日朝に舛添氏から電話があったと明かし「『あなたは素晴らしいものを持っている。これからも頑張ろう。冷たいビールを飲みたくなったら一杯飲もう』とねぎらった」と話した。舛添氏は「ありがとう」と返答したという。

後継の都知事について森田知事は「五輪という大事業があるから政治、行政の手腕が必要だ」と指摘した上で「この人だと思える人はまだいない」とした。《共同通信》

【英国・リーズ】女性議員が撃たれ死亡

英中部リーズ近郊で16日午後、労働党の女性下院議員ジョー・コックス氏(41)が男に銃で撃たれ、死亡した。地元警察が明らかにした。警察は52歳の男を逮捕した。動機は不明。

コックス氏は英国の欧州連合(EU)離脱の是非を問う23日の国民投票で残留を支持していた。事件と国民投票との因果関係は分かっていない。リーズの地元メディアは、男が襲撃時に離脱派の英極右団体の名前に当たる「ブリテン・ファースト」と叫んでいたと伝えた。同団体はサイトでの声明で関与を否定した。

離脱、残留の両派は16日の集会などの運動を中止すると発表した。《共同通信》

【囲碁・井山裕太本因坊】「囲碁以外のことは全く何も読めません」

囲碁界初の7冠同時制覇を達成した井山裕太本因坊(27)が16日午前、首相官邸で内閣総理大臣顕彰式に臨み、安倍晋三首相から顕彰状を受け取った。囲碁棋士への授与は初めて。

返礼として「福」と揮毫(きごう)した扇子を安倍首相に贈った井山本因坊。安倍首相から「政治の世界は先を読もうとしてなかなか読めない。(囲碁では)何手先まで読んでいますか」と尋ねられ、「あまり先を読もうと意識していませんが、枝分かれした局面を比較したのを合計すると、すごい数になっているかも」と答えつつ、「囲碁以外のことは全く何も読めません」と苦笑いしていた。《毎日新聞》

【米沢隆さん】死去

旧民社党委員長を務めた元衆院議員、米沢隆氏が16日午後5時16分、呼吸不全のため宮崎市内の病院で死去した。76歳だった。

1976年の衆院選で旧民社党から旧宮崎1区に出馬し初当選、9期務めた。旧新進党幹事長や旧民主党副代表も歴任。93年に発足した非自民の細川護熙政権では民社党書記長として新生党の小沢一郎代表幹事、公明党の市川雄一書記長とともに政権運営を主導した。《日経新聞》



6月16日 その日のできごと(何の日)