平成4379日目
2001/01/03
この日のできごと(何の日)
【ヒラリー・クリントン氏】上院デビュー
第107米議会が3日開会、ニューヨーク州から上院議員に当選したヒラリー・クリントン大統領夫人が大統領と長女チェルシーさんを伴って初登院した。ファーストレディーが上院議員になったのは史上初めて。《共同通信》
昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。
情報量が少ない日は随時加筆中です。
引用記事は名前、住所など一部修正の上、抜粋してあります。
外国の方のお名前、地名などは現時点で一般的に通じるものに書き換えています。(例・ロシアのプーチン氏はかつてプチン氏と表記されていました)
古い記事の多くは「書き写し」のため、誤字脱字が多数あります。見つけ次第修正しています。
【ライスボウル】アサヒ飲料が初優勝
アメリカンフットボールの日本選手権、ライスボウルは3日、東京ドームで行われ、社会人代表のアサヒ飲料が高志高出身の阿部拓朗(28)らの活躍もあり52−13で学生代表の法大を下し、初優勝した。対戦成績は、5連勝の社会人の10勝8敗となった。
試合はアサヒ飲料が地力の差を見せつけ、法大を圧倒。第1クオーター5分31秒に、QB桂からRB中島友への6ヤードTDパスで先制すると、第2クオーターにはエースRB中村多の2TDランなどで21点を追加し、前半で早々と勝負を決めた。最優秀選手には138ヤードを走り、3TDを決めた中村多が選ばれた。
【第77回箱根駅伝】順大、2年ぶり10度目の総合優勝
第77回東京箱根間往復大学駅伝最終日は3日、箱根・芦ノ湖駐車場から東京・大手町までの復路5区間、109.2キロで行われ、往路2位の順大が通算11時間14分5秒で連覇を狙った駒大を抑え、1999年の第75回大会以来、10度目の総合優勝をした。
順大は出雲、全日本大学の両駅伝に続く制覇で、1990年度の大東大以来、史上2校目の大学駅伝三冠。
順大は6区の宮井がトップに立った。9区で駒大の高橋正の追い上げに首位を明け渡したが、最終10区で宮崎が17秒差を逆転し、5時間30分57秒で復路を制した。《共同通信》
【世田谷一家殺害事件】現場に血の付いたトレーナー
東京都世田谷区上祖師谷3丁目の宮澤みきおさん(44)宅で一家4人が殺害された強盗殺人事件で、宮澤さん宅に血のついたトレーナーが残されていたことが分かり、警視庁成城署の捜査本部は3日、犯人が犯行後に脱ぎ捨てたものとみて公開した。トレーナーは中国製で、東京都内では昨年9月ごろから世田谷区を中心に販売されていたとみられる。捜査本部は小売店などを中心に販売状況を調べるとともに、情報提供を呼びかけている。
調べでは、トレーナーは、妻泰子さん(41)と子供2人が殺害されていた2階で、裏返した状態で丸められて、床の上に置かれていた。表地の胸や腹の部分に大量の血がこびりついていたという。
綿製で、身長175センチから185センチまでの「L」サイズ。胴の部分は白色、両腕は紫色、丸首の部分も紫色で縁取られている。
宮澤さんは身長165センチで、上着は普段「M」サイズのものを着ていたという。また遺留されたトレーナーには刃物で刺されたような跡がないことなどから、捜査本部はこのトレーナーは犯人のもので、犯行で被害者の返り血を浴びたことから、脱ぎ捨てたとみている。
トレーナーは、衣料品メーカーが中国から2200枚を輸入、都内では世田谷区を中心に昨年9月ごろから、約200―300枚が販売されたという。
また、宮澤さん宅には、運動靴とみられる土足の足跡が残されていたといい、捜査本部で鑑定を急いでいる。
捜査本部はトレーナーの写真の公開とともに、情報提供を呼びかけるチラシを5万枚作製し、現場周辺に配布した。《朝日新聞》
【桂三木助さん】自殺
3日午後1時25分ごろ、東京都北区、落語家の桂三木助さん(43)方1階ベランダで、三木助さんが首をつってぐったりしているのを隣に住む母親が発見した。近くの病院に搬送されたが死亡が確認された。滝野川署は自殺とみて調べている。
同署の調べによると、三木助さんは自室のベランダの物干し用のフックに和服のひもを掛けて、首をつっていた。ジャージー姿だった、遺書は見つかっていないという。
姉でマネージャーの小林茂子さん(45)によると、三木助さんは2カ月ぐらい前から芸のことで悩んでいた。1997年に文化庁の芸術祭園芸部門優秀賞を受賞したが、茂子さんは「次のステップについて悩んでいた。舌の滑りが悪くなったとか、小さなことの積み重ねです」と話した。
三木助さんは立教大学経済学部卒。同大在学中に柳家小さんに入門し、1985年、先代の亡き父の跡を継ぎ、真打ちに昇進し、四代目三木助を襲名した。86年には日本放送演芸大賞ホープ賞を受賞。
古典に現代風のアレンジを加えた落語で活躍し「落語界の新人類」などと呼ばれていた。寄席以外のテレビ出演でも活躍し、一時は週3本のレギュラーを持ち、萩本欽一さんのコントに参加するなど、幅広く活躍していた。《共同通信》