平成4135日目
2000/05/04
この日のできごと(何の日)
【西鉄バスジャック事件】17歳少年逮捕
西鉄高速バス乗っ取り事件で、広島県警は4日午前5時3分、同県東広島市の山陽自動車道小谷サービスエリア(SA)で車内に捜査員を突入させ、約15時間半ぶりに、A運転手(57)と小学一年Bちゃん(6つ)=佐賀県久保田町=ら女性ばかりの乗客計10人を救出。同5分、人質強要処罰法違反と銃刀法違反の現行犯で、立てこもっていた佐賀市の無職少年(17)を逮捕した。
少年は容疑事実を認めたうえで「頭の中が真っ白でよく思い出せない」とし、「動機は言いたくない」とも供述しているという。3月上旬、自宅に刃物を持って立てこもり、母親が警察に相談して佐賀県内の国立療養所に精神障害で入院。事件当日の3日に外泊許可を得て一時帰宅していた。
広島県警は西条署に捜査本部を設置、5日に送検するとともに、近く殺人容疑で再逮捕し動機などの本格的な解明をすすめる。少年には不可解な言動があり、捜査本部は専門家に精神状態を調べてもらう鑑定留置の実施を検討している。
突入の際に乗客、捜査員各1人がガラスの破片などで負傷。被害にあった乗客は死者1人、重軽傷者5人となり、Bちゃんら精神的なショックが大きい乗客は経過入院した。
捜査本部によると、大阪府警の特殊急襲部隊(SAT)などの支援を受けた捜査員十数人が、少年と包丁を突き付けられていたBちゃんが離れた瞬間、左右の窓を割って車内に入った。光や煙を発するせん光手投げ弾を投げ入れ、少年をひるませて包丁を奪いBちゃんらを救出した。
少年は3日にいったん自宅に戻ったが、正午ごろ、自宅から姿を消したといい、直後に高速バスに乗り込んだらしい。
バスが福岡、山口県内を走行中、少年は車内で笑いながら包丁で首を狙って乗客を襲い、乗客のカメラで負傷者を撮影。東京行きや、短銃を要求し、精神的に過敏な状態だったという。広島県警の機動捜査隊長らが1日夜から約11時間、説得を続け、突入のタイミングをうかがっていた。
少年は平成10年4月、佐賀市内の進学高校に入学した直後に不登校となり、翌年5月に退学。「大学入学資格検定を受けたい」と周囲に話していた。中学時代にはいじめを受けていたという。《共同通信》
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【森喜朗首相】カナダ・クレティエン首相と会談
森首相は4日昼(日本時間5日未明)、オタワの国会議会議事堂でクレティエン・カナダ首相と会談し、日本の経済について「おおむね良い状況にある。公需から民需に移行するため、政府がしっかり支える必要がある」と語った。
森首相は日本の失業率について「(採用と希望職種の)ミスマッチがあり、まだ技術を持った人が少ない」と説明した。これに対し、クレティエン首相は「電気通信分野の開放により、労働力のミスマッチの改善に資することもあり得る」と述べ、日本の規制緩和の進展を求めた。
また、森首相は7月の沖縄サミットへの協力を要請し、クレティエン首相は「沖縄から前向きなメッセージが出されることを期待したい」と述べるとともに、貧困の撲滅など発展途上国問題に配慮すべきだとの考えを示した。
両首相は今月15日に東京で開かれる日加経済人会議などを通じて両国経済関係の緊密化を図る考えで一致した。クレティエン首相は天皇、皇后両陛下のカナダ訪問を正式に招請した。《北國新聞》
【ハイセイコー】大往生
広く人気を集め、競馬の大衆化に貢献した史上初の2億円馬、ハイセイコー(雄)が4日午後1時半、心臓まひのため余生を送っていた北海道新冠町の明和牧場で死んだ。誕生から30年2カ月で数え年の馬齢では31歳、人間の年齢に換算すると100歳近いという。
明和牧場の浅川明彦・牧場主(40)などによると、ハイセイコーは同日午前から牧場内の放牧場にいたが、午後、放牧場で倒れているのが見つかり獣医師が死んでいるのを確認した。午前中は普段と変わりなく元気な様子だったという。
ハイセイコーは新冠町の武田牧場産。父チャイナロック、母ハイユウ。中央入り後の戦績は、16戦7勝、2着4回。
昭和45年3月6日生まれ。47年7月、地方競馬の大井競馬場でデビューし、6連勝を飾る。48年に中央入りし、弥生賞、スプリングステークス、皐月賞、NHK杯を制覇。ダービーで初めて3着に敗れた後は、菊花賞2着、有馬記念3着と大一番には勝てず、49年の有馬記念2着を最後に引退した。地方競馬時代と中央入り後を合わせた賞金総額は計約2億2000万円。《共同通信》