平成3419日目

1998/05/19

この日のできごと(何の日)

【インドネシア・スハルト大統領】即時辞任を拒否

インドネシアのスハルト大統領は19日、テレビで演説し「近く法律を改正して選挙を実施し、新体制では自分は再選を求めない」と述べ、2003年の任期切れを待たずに引退する意向を明らかにしながらも、即時辞任の意志がないことを表明した。

大統領は演説に先立ち、早ければ半年後にも新体制を作り上げ自分は引退するとの意向を各界指導者らにも伝えたが、これを「時間稼ぎ」とみる国民を納得させることは困難とみられる。

大統領演説を受け、インドネシア第二のイスラム教組織「ムハアディア」のアミン・ライス議長が、独立運動にちなんだ20日の「国民覚醒の日」に数百万人規模のデモ・集会を予定通り実施すると発表、首都の緊張は一挙に高まり、インドネシア情勢は最大のヤマ場を迎えそうだ。《共同通信》

昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。

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【大相撲夏場所】10日目

大相撲夏場所10日目(19日・両国国技館)横綱貴乃花が敷島の小手投げに横転、連敗で3敗目を喫した。敷島は先場所に続く貴乃花戦の勝利で金星は二個目。大関武蔵丸が1敗の貴闘力を送り倒してともに8勝2敗となり、大関若乃花は関脇武双山を送り出し8勝目。琴錦も小結安芸乃島を下し2敗を堅持した。武双山は負け越し決定。横綱曙は小城錦を、大関貴ノ浪は関脇魁皇をそれぞれ寄り切り7勝3敗。この結果、2敗は若乃花、武蔵丸、琴錦、貴闘力の四人、3敗は両横綱と貴ノ浪ら七人となった。《共同通信》

【経団連・豊田章一郎会長】お別れ会見

「日本経済に活力がなく、在任中に二人の副会長が亡くなったのが残念だ」−。26日に退任する経団連の豊田章一郎会長(73)は19日、お別れ会見を開き、行財政改革や税制改革、金融システム不安などで揺れ動いた4年間の活動を振り返った。

この中で豊田会長は、印象深い出来事として景気低迷を取り上げ「外為市場の円相場はこの4年間で最安値の1ドル=136円に下落、平均株価も1万5500円前後で低迷している」と指摘して「もう少し元気のある日本にしたかった」と述べた。

ただ、景気の回復時期については「政府が打ち出した景気対策で基盤は整い、上り調子の助走期間に入っている」と、今年後半にも景気対策の効果が表れるとの楽観的な見通しを語った。

最も苦しかった出来事については「苦しい事の連続だったが、苦しさを楽しみに変えないと…。心の持ちようです」と、プラス思考の効用を説いた。

退任後については「引き続きトヨタ自動車会長や数々の肩書を持っている」と述べるなど、当面はトヨタ自動車での活動を中心に息の抜けない日々が続きそうなことをうかがわせた。《共同通信》

【橋本龍太郎首相】不良債権処理のため推進委設置へ

橋本龍太郎首相は19日午後、自民党の加藤紘一幹事長、山崎拓政調会長と首相官邸で会談し、金融機関などが抱える不良債権処理を進めるために政府与党で「金融不況対策トータルプラン推進委員会」(仮称)を創設する方針で一致した。同時に政府組織を内閣内政審議室に新設することも決めた。

首相が主要国首脳会議(バーミンガム・サミット)で不良債権処理を国際公約としたことを踏まえ、政府と与党が一体となって取り組む姿勢を明確にし、作業を円滑に進める狙いがある。《共同通信》

【民主党】衆議院熊本1区補選に松野頼久氏を擁立

民主党は19日の第4回常任幹事会で、細川護煕さんの議員辞職に伴い6月14日に投票が行われる衆議院熊本1区補欠選挙に、松野頼久(まつの・よりひさ)さん(37歳)を公認候補として擁立することを決めた。

松野頼久さんは、昭和35年9月19日生まれの37歳。熊本県鹿本群菊鹿町出身。慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、日本新党広報担当、新進党組織委員会を経て、平成7年8月から細川護煕前議員の秘書をつとめていた。《民主党ニュース》

【高田浩吉さん】死去

戦前から時代劇のトップスターとして活躍、歌う銀幕スター第一号でもあった俳優の高田浩吉さんが19日午前8時32分、肺炎のため京都市北区の病院で死去した。86歳。兵庫県出身。 大阪商業学校を大正15年中退し、松竹下加茂撮影所に研究生として採用された。同年、端役で映画出演、俳優生活の第一歩を踏み出した。

美男ぶりと芸に対する熱意、まじめな態度が評価され、昭和5年、19歳の時「仇討破れ袴」で早くも主役の座に。10年の「大江戸出世小唄」の中で「土手の柳は風まかせ…」と小唄調に歌って評判になり、レコード化されて歌う銀幕スターの元祖となった。12年、長谷川一夫が東宝に去った後は、松竹の大看板として時代劇に大活躍した。

終戦直前、映画制作が難しくなったため「高田浩吉劇団」を結成。劇団には後の鶴田浩二も加わり、26年まで各地を公演した。

28年には西条八十作詞、上原げんと作曲の「伊豆の佐太郎」がレコードでヒット、映画化され主役にも復帰した。29年から始まった「伝七捕物帖」シリーズでトップスターに返り咲き“奇跡のカムバック”といわれた。

35年に東映に移籍し、時代劇を多く撮ったが、時代劇が減るにつれ浩吉節の歌と芝居を見せる舞台生活に仕事の中心を移した。最後の出演映画は56年の「炎のごとく」平成2年に勲四等瑞宝章を受章。女優の高田美和さんは二女。《共同通信》

【宇野宗佑さん】死去

宇野宗佑元首相が19日午前11時40分、肺がんのため入院先の滋賀県守山市の県立成人病センターで死去した。75歳。滋賀県出身。

宇野氏は外相だった1989年6月、リクルート事件の政治責任をとり辞任した竹下登首相の後を受け、自民党のイメージチェンジを狙って第75代首相に推された。しかし自らの女性問題が発覚した上、同7月の参院選挙で自民党が惨敗したことで辞任に追い込まれた。東久邇宮稔彦、羽田孜、石橋湛山に次ぐ69日間という戦後4番目の短命内閣だった。《共同通信》



5月19日 その日のできごと(何の日)