平成3165日目

1997/09/07

この日のできごと(何の日)

【テニス・全米オープン】最終日

テニスの全米オープン最終日は7日、ニューヨークのナショナルテニスセンターで男女シングルス決勝を行い、女子は第1シードで16歳のマルチナ・ヒンギス(スイス)、男子は第13シードのパトリック・ラフター(豪州)がいずれも初優勝を果たし、賞金65万ドル(約7800万円)を獲得した。

10代対決となった女子は、ヒンギスが安定したショットで、初出場でノーシードから勝ち進んだ17歳のビーナス・ウィリアムズ(米国)を圧倒し、6−0、6−4で下した。ヒンギスは今大会、7試合すべてストレート勝ちの「完全優勝」。16歳11カ月での全米優勝は、1979年のトレーシー・オースティン(米国)の16歳9カ月に次ぐ史上2番目の若さ。今季、全豪オープン、ウィンブルドン選手権に続く四大大会制覇で、1968年のオープン化以降では6人目の年間三冠を達成した。また、年間獲得賞金は女子で史上初めて300万ドル(約3億6000万円)を突破した。

男子は24歳のラフターがノーシードのグレグ・ルーゼドスキー(英国)を6−3、6−2、4−6、7−5で破り、四大大会初制覇を果たした。豪州選手の優勝は73年のジョン・ニューカー以来で、四大大会では87年ウィンブルドンのパット・キャッシュ以来。《共同通信》

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【大相撲秋場所】初日

大相撲秋場所初日(7日・両国国技館)三役を目指す石川県出身の出島と栃乃洋がそろって白星発進。出島は大関貴ノ浪を寄り切り、栃乃洋は新関脇の栃東をはたき込みで破った。両横綱も白星スタートを切った。連覇を狙う貴乃花は両前まわしを引いて小結武双山を寄り切り、曙は旭鷲山を突き、押しで圧倒した。大関武蔵丸は小結玉春日を寄り切り、大関若乃花は左下手出し投げで巌雄を退けた。休場明けの小結魁皇は立ち合いの変化で関脇土佐ノ海を下した。《北國新聞》

【ゴルフ・日本プロマッチプレー選手権】丸山茂樹選手、最年少V

日本プロマッチプレー選手権プロミス杯最終日(7日・北海道ニドムクラシックコース=6941ヤード、パー72)雨の中、36ホールの決勝を行い、1995年準優勝の丸山茂樹が初出場のピーター・テラベイネン(米国)を3アンド2で下して初優勝し、賞金2500万円を獲得した。27歳11カ月での優勝は大会最年少記録。

丸山は前半で4アップとリードしたが、後半に一度は逆転された。しかし、大詰めで踏ん張り、3番から4ホールを連続奪取して勝利をつかんだ。6月のよみうりオープンに続く今季3勝目、通算6勝目を飾った。3位決定戦は、初出場の桑原将一が7アンド6の大差で尾崎健夫を破った。《共同通信》

【サッカー・W杯アジア最終予選】日本、白星発進

7日、国立競技場で行われたサッカーのワールドカップ(W杯)フランス大会アジア最終予選B組で、日本は大量6点を奪い、ウズベキスタンを下した。

エース三浦知(ヴェルディ川崎)が勝利を呼び込んだ。前半4分、PKで先制すると、23分にも2点目をゲット。さらに中田(ベルマーレ平塚)城(横浜マリノス)ら若手のゴールで差を広げ、前半を4−0で折り返して、ほぼ勝負を決めた。

後半、やや集中力を欠いて3点を失ったが、三浦知が2点を加え、突き放した。日本は心配された攻撃力で予想外の得点を挙げたが、同時に万全とされた守りで、今後に不安を残した。第2戦はアウエーでアラブ首長国連邦と対戦する。《共同通信》

【社民・土井たか子党首】自社さ維持を表明

社民党の土井たか子党首は7日、札幌市内で開かれた党北海道定期大会であいさつし、橋本龍太郎自民党総裁(首相)再選後の政権との関係について「首相は自社さ3党の体制を壊すつもりはないと言っており、政権をめぐる基本状況は総選挙から今日まで変わっていない」との認識を示した。

その上で「与党の一員である社民党は国民に対して責任ある政治を担うことを忘れてはいけない」と述べ、引き続き閣外協力関係を維持していく考えを強調した。《共同通信》

【橋本龍太郎首相】中国から帰国

就任後初めて中国を訪問していた橋本龍太郎首相は7日、大連から羽田空港着の政府専用機で帰国した。日本の現職首相として戦後初めて中国東北部も訪れた。

首相は公邸に着いた際、記者団に、江沢民国家主席や李鵬首相らとの会談について「成果というか議論ができた。対話が成立しているということだ。真剣な話し合いができてよかったと思う」と振り返った。《共同通信》

【英紙・インディペンデント】王子の私的写真掲載せず

8日付の英国の高級紙インディペンデントは一面の社説で、故ダイアナ元皇太子妃とチャールズ皇太子との間のウィリアム、ヘンリー両王子の私的な写真を今後、一切掲載しないと発表した。元妃がパリで交通事故死して以来、英国の新聞が王子の写真掲載について自主規制を決めたのは初めて。事故をきっかけに高まっている、プライバシー保護のための取材・報道規制と報道の自由をめぐる論議に影響を与えそうだ。

社説によると、私的な状況下での両王子の写真は掲載しない。国家的行事や、国家体制にかかわるような重要な場合にだけ掲載するが、その際も扱いは控えめにするという。

社説はこれについて、バッキンガム宮殿が両王子の写真を撮る機会を設け、王室メンバーが紙面への掲載を望んでいる場合でも、掲載しない可能性があることを意味するとしている。

元妃を乗せた車は事故の際、パパラッチと呼ばれるカメラマンの追跡を逃れようとして猛スピードを出していたとされる。このため、元妃を追いかけるカメラマンや、その写真を購入・掲載するメディアの責任が論議され、英報道界の自主規制機関「プレス苦情処理委員会」はタブロイド紙を皮切りに、自主規制について協議を始めることになっている。

特に、元妃死去により、両王子の写真が次に狙われる被写体となることから、二人が成人するまで写真の撮影・掲載を禁止するよう求める声も出ていた。《共同通信》

【故マザー・テレサ】弔問の市民、1キロの列

「スラムの聖女」と呼ばれ、5日死去したインドのカトリック修道女マザー・テレサ(87)の遺体は7日午前、マザーが率いてきたカルカッタの「神の愛の宣教者会」本部から葉華街に近い。セント・トマス教会に移された。

グジュラル・インド首相は7日午後、同教会を弔問してひつぎの前で黙とうした後、記者団に「マザーは、われわれに貧困との闘い方を示してくれた」と語った。

遺体を教会に移したのは、13日の国葬までの間にできるだけ多くの人々が弔問できるようにするためで、教会前には早くから多数の市民が詰め掛け、歩道沿いに約1キロの行列ができた。

透明なガラスのひつぎに納められたマザーの遺体は、花に囲まれ、高さ約1メートルの祭壇の上に安置された。ひつぎはマザーの顔がよく見えるように、やや前方に傾けて置かれた。国葬前日の12日には米国のヒラリー大統領夫人が弔問に訪れる予定。《共同通信》



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