平成3163日目

平成9年9月5日(金)

1997/09/05

【橋本龍太郎首相】中国・江沢民主席と会談

中国訪問中の橋本龍太郎首相は5日午後、北京市内の中南海で江沢民国家主席と約1時間にわたり会談した。

江主席は「橋本首相の訪問と積極的な発言は大きな役割を果たした。中国人の感情を和らげた」と述べ、日米防衛協力のための指針見直しに関連し「台湾は中国の一部」とする日中共同声明の堅持などを表明した橋本首相の姿勢を評価した。

ただ江主席は「今でも日本の一部に軍国主義的考えが残っている」と批判。「中国は日米安保に関心を持っている」と述べ、ガイドライン見直しや周辺有事の範囲に絡む台湾海峡の位置付けに対する懸念を示した。

冒頭、橋本首相は「来年の江主席訪日を楽しみにしている」と歓迎。中関係発展の基礎は日中共同声明と日中平和友好条約にあると強調し、「今回の訪中を日中関係の新たな前進の出発点としたい」と首脳の相互訪問による関係強化に期待を表明した。

江主席も「交流により誤解がなくなり、理解が深まる」と同調し、来年の訪日を確認するとともに、今回の首相の訪中を「積極的な発言で、日中のさらなる発展に大きな役割を果たした」と評価した。

橋本首相はガイドライン見直しについて特定地域を想定したものでないことを重ねて強調、日米間で見直しがまとまった段階で中国側に説明する意向を伝えた。江主席は「日米安保に関心を持っている。なぜ敏感かは理解してもらえると思う」と述べたが、ガイドライン問題そのものに対する評価は示さなかった。

この会談に先だって橋本首相は朱鎔基副首相と会談、知的所有権の保護など中国の投資環境整備を求めた。朱副首相は努力を約束し、日本からの投資促進を呼び掛けた。中国の世界貿易機関(WTO)加盟に向けての二国間協議を促進することでも一致した。橋本首相が訪日を招請したのに対し、朱副首相は来年の江主席訪日後に訪問する意向を示した。

喬石全国人民代表大会常務委員長は、6日から北京で始まる日本人妻里帰り問題に関する日朝赤十字連絡協議会に関連し「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の立場を尊重して進めていく必要がある」と、橋本首相に慎重な対応を求めた。《共同通信》



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【ギリシャ・アテネ】2004年五輪開催都市に決定

国際オリンピック委員会(IOC)は5日、ローザンヌ(スイス)で開いた第106回総会での投票で、2004年夏季五輪開催都市にアテネ(ギリシャ)を決めた。1896年に第1回大会がアテネで行われた近代五輪は、108年ぶりに発祥の地に戻ることになる。

2004年大会には当初、史上最多の11都市が立候補。3月の第一次選考を通過したアテネ、ローマ(イタリア)ストックホルム(スウェーデン)ケープタウン(南アフリカ)ブエノスアイレス(アルゼンチン)の5都市が争っていた。《共同通信》

【世界体操個人総合】塚原直也選手、銅メダル獲得

世界体操選手権第5日は5日、スイス・ローザンヌのマレー・スポーツセンターで男子個人総合決勝を行い、塚原直也(明大)が56.023点で3位に入った。世界選手権では1983年ブダペスト大会で具志堅幸司が2位となって以来、14年ぶりのメダルを獲得した。

跳馬からスタートした塚原は9.600点と好調に滑り出し、続く平行棒でも9.425点をマーク。その後も安定した演技で9点台の得点を挙げ、最終種目で3位に浮上した。

優勝はイワン・イワンコフ(ベラルーシ)、2位にはアレクセイ・ボンダレンコ(ロシア)が続いた。女子個人総合決勝はスペトラーナ・ホルキナ(ロシア)が初優勝し、菅原リサ(日体大)は25位、大川真澄(順大)は31位だった。《共同通信》

【政界談話室】

○・・・武藤嘉文総務庁長官は5日の閣議後の記者会見で、行政改革会議で橋本龍太郎首相が提案した大蔵省から国税庁を分離する構想に、これまでの反対の立場から「橋本首相が何が何でもと言うなら従う。意見がかみ合わなければ首相一任で結構だ」と、容認する姿勢に転じた。自民党の税制調査会長を務めるなど「税のプロ」を自任、首相とは立場を異にしていた武藤氏だが、この日は「党だって総裁が決断すれば従うのは当然」と言い切った。内閣改造で留任が微妙との声があるだけに、首相との緊密化を目指している?

○・・・亀井静香建設相はこの日、共同通信社の全国報道局長会議の講演で「次の幹事長はだれだれと勝手な新聞辞令が出回っているが、新聞、テレビ、ラジオは過去、ほとんどはずれている」「自社さ政権を作ったときは、前日まで(非自民の)連立政権に戻っていくと報道していた」とマスコミ批判。さらに「旧派閥の派内抗争というわい小化した報道が多い。権力を持つことだけが目的ではない動きがある。当事者の私が言うのだから間違いはない」とばっさりやったが、加藤紘一幹事長の三選阻止を狙い「保保派」の結集に動いた張本人だけに説得力はいまひとつ。《共同通信》

【米空母インディペンデンス】小樽港に寄港

日米防衛協力のための指針(ガイドライン)見直し作業が続く中、米空母インディペンデンス(80,643トン)が5日朝、北海道小樽市の小樽港に寄港した。米空母が日本の民間港に接したのは初めて。米軍は目的を「友好と親善」としているが、同港が有事使用港の候補に挙げられているのが表面化し、「軍港化の先取り」と反対する平和団体など約2300人(警察発表で約1500人)がふ頭周辺で抗議行動を展開した。

8月29日に母港の神奈川県・横須賀基地を出港した同空母は5日早朝、小樽沖に姿を見せ、防波堤の間を通過して港内に入った後、タグボート3隻に導がれて午前8時15分すぎ、最大の勝納ふ頭に接岸した。

横須賀基地からの航海にはイージス巡洋艦モービルベイ(9,466トン)と海上自衛隊の護衛艦「しらね」(5,200トン)も同行した。

入港後、札幌と小樽の両商工会議所がふ頭で歓迎式を開催。これに対し、早朝から北海道平和センターや道労連などがそれぞれふ頭周辺で抗議の集会やデモを繰り広げ、見物人も1000人を超えた。北海道警は約200人の警備態勢を敷き、警戒に当たった。

同空母は艦内が6、7日に一般公開された後、8日には自衛隊など関係団体に公開される。この間、乗組員が幼稚園や一般家庭を訪問、演奏会などで市民との交流を続け、9日午後3時に出港する予定。米空母が日本の民間港に入港したのは、昭和25年代末に函館市・函館港沖の港湾区域内に鋲泊したヨークタウンの例がある。《共同通信》

【自民党】衆院で単独過半数

自民党は5日、新進党を離党し無所属の北村直人衆院議員(北海道13区)の自民復党を決定、平成5年7月の衆院選で過半数割れして以来、4年余りで衆院での単独過半数を回復した。

北村氏は5日午後、自民党本部に加藤紘一幹事長を訪ね、復党の意思を伝えた。自民党は直ちに持ち回りの党紀委員会で復党を正式に決定し、衆院に会派変更を届けた。これで自民党の衆院での勢力は党籍離中の伊藤宗一郎議長を含めて過半数の251議席となった。

この後、加藤幹事長は記者会見し「政治の安定のために自民党が中核になる」と、自信を見せた。同時に「与党の社民、さきがけ両党の意見を入れずに政治を進めることはない」とも述べ、今後も3党体制を維持していく考えを強調した。

衆院の全常任委員会で委員長ポストを取り半数以上を占める安定多数(265議席)になお遠いことや、参院での過半数割れの現状を踏まえたものだ。

加藤幹事長ら執行部による過半数獲得を目指した「自主再建路線」は、新進党との「保保連合」志向の党内勢力に対抗する意味合いもあった。8日の総裁選告示前に過半数が実現したことで、留任が確実となっている加藤幹事長らの立場が党内でさらに強まったと言える。

自民党は宮沢内閣末期の5年6月には274議席を占めていたが、同内閣不信任決議案の採決時に小沢一郎氏(現新進党党首)らが賛成に回り分裂。北村氏もこの時離党した。不信任案可決を受けた衆院解散・総選挙で223議席と過半数を割り込み、野党に転落した。《共同通信》

【寺越武志さん】拉致疑惑を否定

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)で暮らす石川県志賀町出身、寺越武志さん(47)は5日、平壌市内でフジテレビの取材に応じ、「北朝鮮では幸せな生活を送っている。(日本へは)一度は帰りたいが、永住するつもりはない」などと語った。

武志さんの一時帰国については、6日からの日朝両国赤十字の連絡協議会で議題とされる予定だが、武志さんは「日朝関係が良くなれば、共和国(北朝鮮)の代表団の一員として日本に行きたい」と語った。また、昭和38年に日本海で出漁中に遭難したとされる出国の経緯について「北朝鮮に助けられた」などと話し、拉致疑惑を否定した。

母親の友枝さん(66)=金沢市在住=は「元気な姿が確認できただけでうれしい。一時帰国は本人も希望していることで、早期実現を求める活動を続けたい。その後は武志には、家族もあるので本人の意思を尊重したい」と話した。《北國新聞》

【英・エリザベス女王】ダイアナ元妃の遺体と対面

エリザベス英女王はダイアナ元英皇太子妃の葬儀を翌日に控えた5日、元妃の死後初めて、静養先のスコットランドからロンドンに戻り、元妃の遺体と対面するため、遺体が安置されているチャールズ皇太子の住まいセントジェームズ宮殿を訪れた。

女王は当初、葬儀当日の朝にロンドンに戻る予定で遺体対面は予定になかった。しかし、英王室が元妃の死に冷淡であるとの批判がマスコミを中心に高まり、国民感情を沈静化するため世論に押し切られた形で異例の予定変更となった。

女王は、同日午後6時(日本時間6日午前2時)から、テレビ、ラジオを通じて全国民に哀悼の意を示す。女王が録画でなく生中継で国民に呼び掛けるのは初めて。

皇太子との離婚で王室と微妙な関係にあった元妃に対する国民の人気が、元妃の死を契機に、王室の在り方を問い直す声に転化しかねないとの強い危機感が背景にあるものとみられる。

女王はこれに先立ち、バッキンガム宮殿の前に集まった弔問の市民の前に姿を現して、約7分間にわたり直接言葉を交わした。黒い帽子、手袋、洋服に身を包んだ女王は、夫のフィリップ殿下とともに市民から花束を受け取ったり、話をした。

女王らとともに元妃の死後もスコットランドのバルモラル城に滞在していたチャールズ皇太子とウィリアム、ヘンリー両王子も5日ロンドンに戻り、元妃の住まいだったケンジントン宮殿の前で、市民と言葉を交わした。《共同通信》

【マザー・テレサ】死去

インドを拠点にほぼ半世紀にわたり困窮者の救済活動を続け、ノーベル平和賞を受賞、「スラムの聖女」と呼ばれたカトリック修道女マザー・テレサ(本名アグネス・ゴンジャ・ボジャジュ)が5日午後9時半(日本時間6日午前1時)ごろ、心臓発作のためカルカッタで死去した。87歳だった。

自ら率いてきたカルカッタのカトリック修道会「神の愛の宣教者会」本部が発表した。同会の施設でマザーが胸の痛みを訴えたため、周辺のシスター(修道女)が医師を手配している間に亡くなった。

同会によると、遺体は7日から同会の教会に安置され、市民らの弔問を受ける。葬儀は10日に行われ、本部の敷地に埋葬される。

マザーの奉仕活動はインド国内のみならず、日本を含め世界100カ国以上に及び、まさに「愛と献身」の生涯だった。1910年8月、現在のマケドニア(旧ユーゴスラビア)でアルバニア人の家庭に生まれた。18歳の時に修練生としてインドに派遣され、46年に本格的な奉仕活動参加を決意した。

48年、カルカッタ内のスラム街に最初の学校を開設。50年に「神の愛の宣教者会」を設立してインド国籍を取得、以来マザー・テレサと呼ばれるようになった。79年には恵まれない人々への献身が評価され、ノーベル平和賞を受賞した。

日本は81年に初めて訪問。東京都内に未婚の母の子供を預かる養育施設を開いた。82、84年にも訪日、日本人に対し「日本は一見豊かだが、精神的には貧しいのではないか。もっと家族を大事にしなければ」と忠告した。

96年8月にマラリアに伴う高熱で倒れて入院。心機能が一時停止するなど危険な状態となった。同11月に再入院、心臓の冠動脈を押し広げる手術を受けた。ことし3月「神の愛の宣教者会」を引退、シスター・ニルラマを後継者とした。。5月には新たな修道女迎える儀式に参加するためニューヨークを訪れ、回復力の強さを見せて周囲を驚かせた。

先月末事故死したダイアナ元英皇太子妃とも親交が深く、元妃の突然の死に強いショックを受けていたという。英王室から元妃の6日の葬儀に招かれたが、哀悼の意を表明したものの、健康上の理由から参列は断念していた。《共同通信》



9月5日のできごと