平成2982日目
1997/03/08
この日のできごと(何の日)
【ベイルート地裁】日本赤軍・岡本被告ら予備尋問
レバノン司法当局が起訴し、た日本赤軍メンバーの岡本公三(49)ら5被告に対するベイルート地裁のミルザ裁判官による予備尋問が8日、弁護士の同席の下、司法合同庁内の裁判官室で行われた。岡本被告らに対する予備尋問は7日の予定だったが、弁護士の選任に手間取り、一日延期されていた。
5被告は数年前から交流のあった男性弁護士を指名、この弁護士が予備尋問に同席した。これまでに約160人のレバノンの弁護士がメンバーの弁護を申し出ており、予備尋問前にそのことを知らされた5被告は「レバノン国民とレバノンの弁護士に対し感謝の意を表したい」と語ったという。
起訴されているのは、岡本被告のほか、和光晴生(48)、足立正生(57)、戸平和夫(44)、山本万里子(56)の各被告。予備尋問は足立、山本、和光、戸平、岡本の各被告の順で行われた。途中、サンドイッチと清涼飲料水の食事も運ばれ、長時間に及んだ。岡本被告らはいずれも英語を話し、足立被告はアラビア語も使っているという。
岡本被告らは8日未明、ベイルート市内の拘置所から護送車で司法合同庁舎に運ばれ、地階の拘置施設に移された。尋問の行われる三階の裁判官室に移る際も姿は見えなかった。この日、同庁舎周辺には、カーキ色の迷彩服を着て自動小銃を持った国家治安局の隊員らが多数配置され、緊迫した空気に包まれた。
岡本被告らはこれまでの検察当局などの調べに対し、氏名も名乗らず証言を拒否したり、具体的な罪状について否認しているとされる。《共同通信》
昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。
情報量が少ない日は随時加筆中です。
引用記事は名前、住所など一部修正の上、抜粋してあります。
外国の方のお名前、地名などは現時点で一般的に通じるものに書き換えています。(例・ロシアのプーチン氏はかつてプチン氏と表記されていました)
古い記事の多くは「書き写し」のため、誤字脱字が多数あります。見つけ次第修正しています。
【 JR東西線】開業
大阪市の中心部を東西に貫くJR東西線が8日開業した。午前5時7分発の一番列車には、始発の「尼崎駅」(兵庫県尼崎市)から鉄道ファンら数十人が乗り込む人気で、各駅とも各種セレモニーで開業を祝った。《共同通信》
【500系のぞみ】一般公開
博多−新大阪駅間を従来より19分早い2時間17分で結ぶJR西日本の新幹線新型車両「500系のぞみ」が22日にデビューするのを前に、8日午後、JR博多駅で一般公開され、長蛇の列をつくった大勢の家族連れや鉄道ファンの熱い視線を集めた。
新型のぞみは鋭い流線形で薄いグレーの車体に青いラインが入ったクールな外観。室内は円形で、シートも含め薄紫色とベージュ色に統一されている。料金は従来ののぞみと同じ。最高時速は300キロで、一日2往復運行する。この日、車内では子供たちがシートに座って背もたれを倒してみたり、記念写真を撮るなど大にぎわいだった。《共同通信》
【民主党・鳩山由紀夫代表】総選挙までは健全野党
鳩山由紀夫民主党代表は8日、北海道旭川市で講演し「次の総選挙まで健全野党を貫きながら自民党とは違う生きざまを示し、党の理念、政策を理解してもらうことが重要だ」とあらためて健全野党路線を強調した。
さらに「政策提言ばかりでは万年野党。(半面)政策実現ばかり目指していては野党といえなくなる」として「政権には加わらなくても、政策に加わる中間的な存在を示していただきたい」との考えを明らかにした。
政治路線の相違を指摘されている菅直人同党代表との関係については「市民との意見のフィードバックの中で主張が揺らぐこともある。菅代表と私の間で揺らぎがあるのも当然。民主主義は議論しながら集約する過程が大切だ」と双方の間に大きな認識の違い、がないことをアピールした。《共同通信》
【在ペルー日本大使公邸占拠事件】橋本首相「対話再開に期待」
橋本龍太郎首相は8日、ペルーの大使公邸人質事件で10回目の予備的対話が中止されたことについて「いつまでも中断することはお互いにとってメリットにならない。問題はいつ立ち上がるかだ」と述べ、対話再開に強い期待を表明した。首相公邸で記者団の質問に答えた。《共同通信》
【池田満寿夫さん】死去
国際的な版画家で、小説でも芥川賞を受賞したほか、映画監督を務めるなど多彩な活動で知られる池田満寿夫氏が8日午前0時29分、急性心不全のため静岡県熱海市の病院で死去した。63歳。昨年12月に脳梗塞で入院したが回復し、美術展での審査員などを努めていた。
昭和27年、長野県立長野北高を卒業して上京。東京芸大受験のため国画会美術研究所に通う傍ら、繁華街で似顔絵を描き収入を得る。30年、靉嘔、真鍋博氏らとグループ「実在者」を結成。翌年、瑛九の勧めでデモクラート美術家協会に参加、油絵から色彩銅版画の制作に転じた。第2回東京国際版画ビエンナーレ展で文部大臣賞を受賞し一躍脚光を浴び、41年、ベネチア・ビエンナーレ国際版画部門大賞を獲得、国際的な評価も高まった。42年芸術選奨文部大臣賞。
美術以外での分野でも多様な表現に挑戦し52年、小説「エーゲ海に捧ぐ」で第77回芥川賞を受賞。54年には同作品を自ら監督・演出しカンヌ映画祭に出品した。58年からは陶芸にも取り組み作品展を重ねたほか、写楽の研究や写真家としても活躍、ジャンルを超えた幅広い芸術活動を展開した。
ことし2月には長野市に池田満寿夫美術館の開館が予定されている。平成10年の長野五輪記念アリーナ「エムウエーブ」正面のモニュメントも制作している。《共同通信》