平成2033日目

1994/08/02

この日のできごと(何の日)

【ビートたけしさん】バイク転倒事故

2日午前1時半すぎ、東京都新宿区南元町の都道で、人気タレントのビートたけしさん(47)=本名北野武=がミニバイクを運転中、右カーブを曲がりきれず、道路左わきのガードレールに接触、ハンドルのバランスを崩し転倒した。

たけしさんは路上にたたきつけられ、新宿区の東京医大病院に運ばれたが、右側頭部の骨を折るなど1カ月の重傷を負った。意識は混濁しているが、命には別条ないという。

四谷署の調べでは、現場は見通しのよい緩やかな下り坂。ブレーキ痕はなく、同署が現場で採取した血液を分析した結果、1ミリリットル中0.9ミリリットルのアルコール分を検出した。四谷署は酒気帯び運転とみて、たけしさんの回復を待って事情を聴き、道交法違反の疑いで書類送検する方針。

バイクは、たけしさんの運転手をしている弟子が1日に買ったばかりで、走行距離は約13キロだった。たけしさんば2日午前1時すぎ東京・赤坂の所属事務所分室からバイクに乗って出掛けたという。 現場は、赤坂御所のすぐ北側の住宅街。たけしさんは衝撃で4メートルほど飛ばされ、かぶっていたヘルメットが外れて頭を強打したとみられ、耳などからかなりの出血があった。

担当医によると、たけしさんは右頭部の陥没骨折と脳挫傷と診断されたが、手術の必要はない。時々「起こしてくれ」などと話したり、体を動かすものの、呼び掛けには応答しない状態という。 事務所関係者の話では、たけしさんは1日夜、テレビ局スタッフとの打ち合わせなどのため飲食店2軒に行った後、分室でシャワーを浴びたという。

たけしさんはミニバイクも運転できる乗用車の免許を持っていた。 たけしさんば漫才コンビ「ツービート」で芸能界に登場。昭和50年代半ばの漫才ブームに乗り、毒舌とテンポの速い語り口で人気者になった。

「バイクで転倒し重傷」。2日未明、テレビや映画に大活躍の人気タレント、ビートたけしさんの事故が伝られると、収容先の病院には事務所関係者をはじめ、100人を超す報道陣が詰め掛けた。一時は重体説も流れ緊張が高まったが、担当医師の「全治1カ月程度で回復する」との見通しにほっとした空気が流れた。

事故の一報が警察に入ったのは午前1時40分。東京都新宿区南元町の現場には、真新しい赤茶色のミニバイクが倒れ、銀色のヘルメットが転がっていた。バイクから投げ出され路上で頭を強打したたけしさんは、耳などから血を流しぐったりしていた、という。《共同通信》

2日未明にバイク事故で、重傷を負った人気タレント、ビートたけしさん(47)の容体について、所属事務所の森昌行社長が2日夜、入院先の東京都新宿区の東京医大病院前で会見し「対話とまではいかないが、たけしさんの言葉が聞き取れるようになった。快方に向かっていることは間違いない」と述べた。

たけしさんは頭部以外のけがの具合を調べるため、2日午後になって首のレントゲンを撮ったが異常はなく、脈拍、血圧とも正常。ベッドに体全体を固定されているため「1秒でもいいから外してくれ」としゃべったりしているという。

事故前に飲酒していたとされていることについて、森社長は「私は本当に把握していなかった。事故原因については警察の調べを待ちたい」と話した。復帰の時期は「今の段階では分からない」としながらも、目に見えて回復する様子が見られることから安どの表情がうかがえた。

たけしさんには家族が付き添っており、弟子の「たけし軍団」のメンバーの見舞いなどは他の患者の迷惑を考えて見合わせているという。《共同通信》

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【プロ野球・ロッテ】八木沢荘六監督が休養

ロッテは2日、千葉マリンスタジアムで八木沢荘六監督(49)の休養と、中西太ヘッドコーチ(61)の代理監督就任を発表した。同日、パ・リーグから公示され、西武17回戦から指揮を執った。

八木沢監督はロッテが千葉に本拠地を移した1992年から監督を務めたが、2年間の成績は6位、5位。3年契約最後の今季も、1日現在で34勝51敗で低迷している責任をとって休養することになったもので、監督として復帰することはなく、事実上辞任となった。《共同通信》

【細川護熙元首相】新党「時期にこだわらず」

日本新党代表の細川元首相は2日午後、長野県軽井沢町で開かれた党夏季研修会で講演し、新・新党結成について選挙協力と財政の両面から「準備は早急に始めるべきだ」と強調した。ただ、時期については、「いろんな人がいろんなことを言っているが、私はこだわっていない」と述べ、小沢新生党代表幹事が米国で表明した9月中の新党結成の考えとは一線を画した。

新党結成の手順については一気に新・新党を目指すのではなく、理念や政策の一致した党同士が先行して新党をつくった方が最終的にはまとまりやすいとの見方を示した。細川氏はその場合のメリットとして「そういう約束事をしておけば、どことどこが吸収合併されるとの話にはならない」と指摘し、旧連立与党内の一部にある新生、公明両党主導の新党づくりへの反発が避けられるとの考えを示した。《共同通信》

【村山内閣】資産公開

村山首相と20閣僚の資産が2日、公開された。閣僚と同一家計の家族を含む資産は、共同通信社調べによる時価換算の「実勢価格」で、閣僚の平均が10億円と羽田前内閣の7億2000万円を3億円弱上回った。

自民党総裁の河野副総理兼外相が87億6000万円で断然トップ。これに53億3000万円の小沢国土庁長官(自民)が続き、15億円で3位の田中科技庁長官(同)以下を大きく引き離した。《共同通信》

【政界談話室】

○…村山首相は2日午後、官邸で五十嵐官房長官の夫人、孫らの突然の訪問を受け、びっくり。津由子夫人らが官房長官の仕事場を見学した後、顔を見せると、首相は官房長官の4歳の孫をひざの上に乗せ、「元気がいい。かわいい子だな」とこ満悦。女房役の官房長官の家族とあって記念撮影のサービスも。この直後、国対委員長時代から親交の深い自民党の梶山静六前幹事長が「家内から言われて地元(茨城)のブドウと納豆を届けに来た」と首相執務室に。こちらは家族ぐるみの付き合いと見せつつ、秋の臨時国会に向け意見具申との見方が専ら。

○…この日から長野県軽井沢で始まった日本新党夏季研修会に参加した江田五月副代表は、記者団から「小沢新生党代表幹事が9月中にも新・新党を結成するべきだと言っているが」と聞かれると、「時期が先にありきではない」と、小沢構想を切り捨てた。「細川政権は民意の表れだった。しかし今の政権はゆがんでいる。それを許したわれわれは反省しなくてはいけない。だれが反省すべきか、私もそうだが、他にもいる」と小沢氏批判に向かいそうになったところで、「ぼくはつい余計なことを言って皆さんを心配させてしまうから」としりすぼみ。《共同通信》



8月2日 その日のできごと(何の日)